私の昔の思い出
ロフト付き って良いですよね。隠れ家というか何というか。
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私の病気(下痢する病気)の原因は
不明です。
しかし
食事制限していると
無症状にすごせます。
しかし生活の質を向上するために
そのためふたつの面から
解決をしようと考えています。
ひとつは原因物質の探求
もうひとつは代替食品の開発です。
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「笑う」とがん細胞を
やっつけるとのことで
「笑っています」
皆様もご一緒に

アスカルも笑っています

ロフト君もよろしく
新着エントリ

ロフトってこういう感じなんです。
一度見学に来てください。
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陶芸は面白い
陶芸は面白いですよね
皆様も陶芸をされたことがあると思います。
でも陶芸をにわかにしようと思っても
陶芸の土等の材料や
焼くための釜がないので
そう簡単にはできないでしょう。
それで陶芸教室に通うことになります。
今から十数年前になるますでしょうか。
陶芸教室に小学校低学年の息子と娘を連れて行った時のお話です。
先生;陶芸教室にようこそ
まず基本的な作り方
のヒモ作りの方法を
お教えします。
(こうして
ああして
そうして、、、
と詳しく説明する)
私 ;(そうかコップの様な物はそんな風に作るのか。)
先生;できあがると乾いて小さくなるから
大きめに作って下さい。
私 ;(やっぱりそうでしょうね)
先生;では皆様作り始めて下さい。
私 ;(がんばって作るゾー)
時間が相当たって
私 ;なかなか難しいよね
この出っ張っているところが難しい。
ウー 中が細かいから難しい。
先生;皆さんできましたか
できた物を
机の上に置いてくださーい。
私 ;やっとできたぞー
机の上に置いて出来上がり
先生が回ってきて
先生;これ出来上がりですか
これも焼くのですか。
私 ;ハイお願いします。
先生;、、、、、
、、、、、
、、、、
(困惑した先生)
そして焼き上がった物

実物は何回も引っ越しした時に
なくしてしまいました。
ウサギが
人参を持っていて
人参の筒の中に
鉛筆が立てられる
鉛筆立てなんです。
もちろんヒモ造りの方法で
作っていません。
先生は一生懸命説明したのに
ガッカリですよね。
先生あの時は、誠にすみません。
昔の電卓は、アンティーク電卓と言うそうです。 その3

の電卓は、
昔のことを
忘れないために
大切に保管していますが
もう少し
古い電卓も持っています。
いや電子卓上計算機を持っています。
でもこれは、
私が買ったものではありません。
20年ぐらい前に
小型ごみの日に
ごみとして出ていたのです。
私はその電子卓上計算機の
テレビコマーシャルが
記憶にあったので
「これはすごいぞ」
と思ってひらって帰ったのです。
皆様ご存知でしょうか。
この電卓

確かテレビコマーシャルでは、
「もっと小さくなるのですが
これではちょっと」
と言って
手のひらの半分の大きさの
同形のおもちゃを示すのですが。
この電子卓上計算機覚えていますか。
昔の電卓は、アンティーク電卓と言うそうです。 その2
電卓は、
優れた計算器具です。
大した熟練もなしに
大きな計算が
即時にできるのです。
私が大学に持っていって
計算をしていると
そろばんを
片手に持った
友人がやってきて
「これが電卓か。
なかなか面白そうだ。
でもそろばんには、
叶わないな。
そんな早さでは、」
と言ったのです。
私は、
「そんなことはない。
競争してみよう」
と言いました。
それでみんなが見る前で
計算の競争になりました。
結果は、
皆さんも
ご推察できるように
私の惨敗です。
友人が
珠算1段であることは、
よく知っていましたが
これほど
すごいとは、
知りませんでした。
と言うわけで
文明の利器は、
熟達していない私に使われて
結果として
恥をかいてしまいました。
私は、
珠算は、3級ですので
もちろん
電卓の方が早いです。
皆様はどうですか。
電卓より早いという方は、
豊かですよね。
昔の電卓は、アンティーク電卓と言うそうです。 その1
BS放送の映りが悪いので
2階の屋根裏部屋の
BSコンバーターが置いてある
ところに調整に行きました。
そうすると
私が
昭和50年ごろ買った電卓が
見つかりました。
電池式で発光ダイオードです。
写真では、

こんなものです。
手でなじむような
丸い形です。
私と電卓の出会いは、
昭和47年ごろ
大学の実験で
計算を沢山やらねばならなくなったのです。
私は、そろばんは3級ですが
掛け算は、苦手です。
掛け算・割り算は、
その当時は計算尺でしていたのです。
そんな理由で
私の母は、
松 下 電器の電卓を買ってくれました。
当時のお金で26,00円です。
電卓は、
画期的な
ものですね。
でも、でもですよ。
電卓より
鍛錬された人間の方が
もっと優れているのです。
それは明日に書きます。
わが家にクーラーがやってきた時 その7
わが家には、今普通に使っている
空冷式クーラーを
買ったことになっていますが、
当時はもう少し違う方式で
冷やすのが普通でした。
さて問題です。
昭和45年頃までのクーラーは、
どんな方式で冷やしていたのでしょうか。
1.冬降った雪を使う。
2.井戸水を使う
3.みんなでウチワで扇ぐ。
正解は、
2.井戸水を使う
です。
荘なんですよね。
昭和45年ごろまでは、
クーラーを使うためには、
井戸水を使うのです。
井戸水は、
一年中12度から14度ぐらいですから
これを冷却源に使うやり方は、
技術が未熟な昔は、
大変有効なやり方だったんです。
地下水を都会のビルでは、
くみ上げるため
だんだんと地盤沈下し
問題となっていた時代でした。
今住んでいる
わが家の
先住者は、
すごい金持ちだったんで
井戸水の
クーラーがあったそうです。
そのときの名残で
井戸だけが
今わが家にも
残っていて
便所の流し水に使って
重宝しています。
井戸水は、
夏は冷たくて
気持ちいいですよ。
ずっと昔のわが家に
井戸があったら
どんなにみんな幸せだったことでしょう。
わが家にクーラーがやってきた時 その6
わが家では、
クーラーは
壁に専用の穴を開けずに
窓に少し木材を用いて
枠を作り
取り付けました。
当時のクーラーは、
高価のものだったので
なるべく小さい容量のものを
買ったのです。
それでわが家では、
一番小さいお部屋の窓に取り付けました。
兄が
機で枠を取り付けて
窓の左上端に取り付けたのです。
その下には、
ガラスを入れました。
クーラーは、
半分お部屋に残り半分が
外にあります。
木製の窓は、
閉められないし
開けられなくなります。
適当なところに金具を取り付けて
窓の鍵はかかるようにしてありました。
また
夜は雨戸を閉めますので
閉めて鍵がかかるようにします。
やっとクーラーが付いた
その時
涼しい思いを
やっとすることになります。
今でしたら
電車に乗っても
車に乗っても
学校に行っても
冷房がきいていますが
当時はありません。
天国ですよね
暑いときにクーラーは、
いいですよね。
家族の皆様
御父母兄様
無理をして買って頂いて
本当にありがとうございました。
わが家にクーラーがやってきた時 その5
皆様
昭和40年ごろの
クーラーをどのように付けたと
お思いですか。
さて問題です。
昭和40年ごろの
クーラーは、どのように取り付けたでしょうか。
1.壁にクーラーの大きさの穴を開けて取り付ける。
2.冷たい空気が出る所だけの小さい穴を壁に開けた。
3.窓の近くに置いて使うときには窓を少し開けた。
正解は、
1.壁にクーラーの大きさの穴を開けて取り付ける。
です。
そうなんですよね。
今のクーラーは、
セパレート型で
小さい穴を開けるだけで住みますが、
昔は、
クーラーの
大きさの穴を開けたのですよね。
今もそんなクーラーが残っている
お家もあるでしょうし
穴だけ残っているお部屋も
あるでしょう。
昔は大変ですよね。
でもわが家では、
少し簡単な
方法でつけたのです。
なにぶん倹約家ですので、
当然ですよね。
わが家にクーラーがやってきた時 その4
そんなこんなで
クーラーを買うことになりました。
たぶん昭和42年ごろかと思いますが
そのきっかけは、
もちろん
暑い夏と
私だったんです。
その年は、暑い夏で
もうくたくたです。
私は母に
クーラーを
懇願したのです。
毎日
「クーラー買って
クーラー買って」
といったのです。
母は相当渋っていましたが
結果として
筋向いの
電気屋さんで
クーラーを買うことになりました。
買ったクーラーは、
機能的には、
今のウインド型クーラーと同じですが
大きさや形が
全く違います。
幅 60cm
高さ 40cm
奥行き40cm
重さ 40kg程度でしょうか。
こんな箱のようなものを
どのように取り付けていたのでしょうか。
皆様のおうちでは、どのように取り付けましたか。
一般的な取り付け方法がどうであったかどうかは、
いまさら知る由もありませんが、
わが家でが、
私の家の中で
一番小さい4.5畳のお部屋の窓に
取り付けたのです。
後になってわかることですが
我が家の家の経済状況は、
この当時でも大変だったんです。
そんなことも知らずに
すみませんでした。
本当にごめんなさい。
わが家にクーラーがやってきた時 その3
わが家にクーラーがやってきた時 その3
前に話した床机(しょうぎ)について
少し詳しくお話いましょう。
昭和30年代の映画なんかで
道端の床机に座って
うちわをパタパタしながら
二人で将棋を指している映像が流れたのを
覚えている方も多いと思います。
その床机は、普通幅が40〜50cm程度です。
何しろ使い方によっては、
床机をまたいで座るくらいですから
そのぐらいの幅でないと座れないですから。
それに対して
わが家の床机は、
幅が90cm長さが180cm位あります。
この普通より大きな床机は、
何と言っても節約家のわが家ですから
もちろん自家製です。
私の父が作ったものです。
父は本当に器用な人で
何でも作ってしまいます。
この床机は、
広い我が家の庭の
日の当たらない場所におきます。
そしてそこで
寝るのです。
そうなんです。
わが家の床机は、
ベッドだったんです。
皆様のお家にも
そんな大きな床机なかったですか。
便利ですよね。
わが家にクーラーがやってきた時 その2
わが家にクーラーがやってきた時 その2
昔より地球温暖化が進んだからでしょうか。
はたまた単なる暑い日なのでしょうか。
でも昔より暑いように思います。
昨日今日とクロス貼りをしていましたが
暑い夏でも
糊が乾いてしまうので
窓をけることはできません。
すごく暑かったです。
でも今はどんなに汗をかいて帰ってきても
シャワーを浴びて
扇風機を当たり
クーラーの部屋で
ゆっくりと
涼みながら
くつろぐこともできます。
しかし私の父母兄が
大変な仕事についていた頃には、
そんなものなどあるわけもなく
まず 家に帰る前に
大川で
足や体を洗った後
家に帰って
うちわでパタパタして
風通しのいい場所に
父が作った床机(しょうぎ)で
一服するぐらいのものです。
昔と今では、
大きな違いですよね。
こんなに大きな違いと
気温とは、比例しているのでしょうか。
そんなこんなで
私が中学生になったとき
たぶん昭和42年ごろ
購入することになるのですが、、、
わが家にクーラーがやってきた時 その1
夏ですから
エアコンがいいですよね。
昔 私の住んでいるの家の周りは、
田んぼばかりで
渡ってい来る風も何がしか
涼しいような気がします。
また家も
以前にお話しましたように
壁と柱の間や
木製の建具周りが
隙間だらけです。
冬は寒いが
夏は、ある程度快適です。
だって家の中ですずむしが鳴くような環境ですから
いいのでしょう。
吉田兼好の徒然草でも書いているように
「家は夏向きに
作ることが最善だ」と
あります。
何もそのつもりはありませんが
わが家は、
そのようになっていたのです。
でも、
そんな家も建て替えられ
高気密住宅とまでは行かなくても
低気密住宅
の端くれになってしまったわが家
に住むようになったのです。
それから私の家の周りも
住宅化が進み
田んぼも消えうせ
コンクリートとアスファルトの照り返しが
強くわが家に
差し込みます。
それでわが家は暑くなってしまったのです。
すべてのことに昔は良かったといいませんが
これについては、
昔は良かったように思います。
でも冬は寒いですよね。
皆様はとうですか。
サメ皮で目を擦る 少し痛そうなお話です。その4
サメの皮でまぶたの裏をこすられたお話ですが、
今回は、最後です。
こすられて
本当に目のごみは、
取れたのでしょうか。
あまりにも痛いので
目のごみどころではありませんでした。
その傷みは、翌日にも続き
取れたかどうかわかりません。
翌々日になると
痛みはなくなったような
あるようなわからないのです。
何か違和感があるのですが
これがサメの皮のためか
目のごみのためか
判らないのです。
それで3日目に
「困ったときの神頼み」
を実行することにしました。
私の村の神社
皇産霊神社に
お参りに行きました。
賽銭は、確か100円を使ったように思います。
さて結果は、
何と何と
目が正常に戻ったのです。
神社のご利益で治ったのか
あるいは、サメの皮のために治ったのか
はたまた、自然治癒したのか、
今となっては、全くわかりません。
それにもう一度試したくも決してありません。
さて皆様どのようにお思いですか。
お分かりの方は、
右のメールアドレスに
メールを!
わかりませんよね。
別にメールはよろしいです。
サメ皮で目を擦る 少し痛そうなお話です。その3
つまらないことで「引っ張って」申し訳ございません。
サメの皮でまぶたの裏を
こすられて
待合室の椅子に戻ってきた私は、
脱脂綿を見て
びっくりしました。
何と脱脂綿が
「真っ赤」だったのです。
赤い脱脂綿を使っていたわけではありません。
そんなギャグをするような
軽い目医者さんではありません。
血で染まっていたのです。
血液は少しでも
多いように見えますから
本当はたいした量ではなかったでしょうが
やっぱり血が出ていたのです。
目から血が出たのは、
そのときだけです。
皆さんは目から血が出ましたか。
出ませんよね。
現実に出たらびっくりですよ。
お金を支払って
家まで気をつけながら
ゆっくり帰りました。
ごみが取れたかどうかわかりません。
と言うのは、こすったことが痛いので
わかりません。
本当に直っているのでしょうか
皆様どう思いますか。
他人のことなどわかりませんよね。
サメ皮で目を擦る 少し痛そうなお話です。その2
昨日
サメの皮で目をこすると言う
少し痛そうな話の続きです。
看護婦さんは、
滅菌サメ皮を持ってきました。
紙のケースに入っていて
大きさは、
たぶん1CMX3CM位でしょうか。
紙を破って
ピンセットでつまみ
持ちます。
目医者さんは、
「少し痛いですよー」
と言いながら
まぶたを裏返します。
まぶたを裏返しにするって
痛いですよね。
少しではないような気がするのですが。
それから、
サメ皮を目に近づけ
まぶたの裏をそれでこするのです。
その痛いこと痛いこと、
少しでは、絶対ありません。
私が痛そうにしているのを見て
目医者さんは、
「少しガンマしてくださいね」
と言うのです。
何度くらいこすったか覚えていません。
それから水(たぶん生理食塩水)で
洗ってから
軟膏をつけて
脱脂綿を私の目に当てて
終わりです。
目に少しではない傷みをこらえながら
待合席に座ります。
脱脂綿を取ってみると
何と脱脂綿が
脱脂綿が
脱脂綿が、、、
たぶん目医者さんは、
このサメ皮治療を
したのがはじめてかもしれません。
だって少し痛いと言っていたのに
激痛ですもの。
でもすごく痛いですよと言ってくれてたら
絶対にしないでしょうね。
やっぱり知っていて
言ったのでしょうかね。
すみません。
明日に続きます。
サメ皮で目を擦る 少し痛そうなお話です。その1
皆様
サメの皮膚と言えば
「鮫肌」と言って
ザラザラしている代表です。
わさびをおろす下ろし金にも使えるぐらいですから
本当にザラザラしているのです。
そんなサメの皮で目を擦った
痛ーいお話です。
別に恐くはありませので
最後までよんでください。
それは今から
20年ぐらい前の
晩春の頃のお話です。
私が会社に出勤しようとして
外に出た時
目に何か違和感が
ゴミでも入ったような
感じがしたのです。
でもたいしたことが無かったので、
会社に行って帰ってきました。
なお目がコロコロする感じなので
夕方に目医者さんに行きました。
染色して
暗室で診てもらいましたが
何もないという診断で
目だけを洗って帰宅しました。
それから2日後
まだ痛いので
もう一度行きました。
目医者さんは、
なお一層
まぶたの裏や
隅々まで注意深く
診て頂きましたが
やっぱり何もなかったのです。
それから3日後
やっぱり痛いので
目医者さんに行きました。
もちろん同じ目医者さんです。
地元では、有名な名医です。
目医者さんは、
「見てもないが、
タンポポの綿毛のような物は、
見えないので
そのような物が
まぶたの裏に
入っている可能性がある。
少し痛いが
サメの皮で取るしかない。
使ってみますか。」
私は、使ってみますとしか
言えないので
そう返事をすると
目医者さんは、
看護婦さんに
滅菌サメ皮を取ってくるように
言いました。
私は、そんな物を
備蓄していると言うこと自体
不思議に思ってしまいました。
皆様は、
滅菌サメ皮を
見たことありますか。
見たことなどありませんよね。
そんな不運なこと
皆様には
起こらないでしょうね。
次回に続く
夏の思い出 その10
こちらの地方では、
今日も暑いです。
この暑さは、
ラニーニャの関係で
フィリッピン近海の水温が高いため
そこから生じた上昇気流が
日本に舞い降りてきて
断熱膨張のため暑くなっているそうだ。
40度を超す気温が出るのも
そのためかも知れません。
断熱膨張のため湿度が普段の夏より
低いように思います。
湿度がない分
「心もち」太陽光が
直接肌に当たっているような気がします。
それでピリピリする感じです。
昔は、湿度が高くムシムシするような感じなんです。
近頃は、ピリピリするような感じで
日に当たりたくないとと思うのです。
きっと砂漠の民が
頭から足先まで
布で隠すあのやり方は、
きっとこの様な低湿度の
地域の習慣だと思います。
高温多湿でやると
「あせも」ができてしまいますもの。
日本でも布をぐるぐる巻きのファションが流行しそうですよね。
そんなわけないか。
夏の思い出 その9 せみ
今のせみは、
やかましくジージー鳴いています。
しかしちょっと前のせみは、
ジージーだけの鳴き方ではなかったように思います。
何もわからないけど昆虫については、
全くわからない私ですけど
せみの鳴き声くらいは、聞いていたのでわかります。
ミーミーと鳴くミンミンゼミ
ツクツクボーシと鳴くツクツクボウシ
カナカナと鳴くヒグラシ
なんか有名ですよね。
特にツクツクボウシは、
夏の終わりになると鳴き始め
その鳴き方が特長なので
記憶に良く残っています。
しかし最近では、
全くその鳴き声を聞いたことがありません。
地球温暖化のためでしょうか。
それとも自然破壊のため
ツクツクボウシは、もういないのでしょうか。
「ツクツクボーシ」とまねをしたのも
もうだいぶ昔ですね。
夏の思い出 その8 せみ
せみの鳴き声でやかましい今日この頃
私の小さい時
私はせみの鳴き声をあまり聞きませんでした。
何故なのでしょうか。
それは周りに木がないのです。
私のふるさとの村は、
空き地のすべてを耕しています。
木の生える場所などありません。
また家の庭は、
農業の仕事場ですので
植木などはやしていません。
それにもっと大きな原因は、
終戦間近い頃
B29の大群が私の村の近くの
陸軍衛生材料廠を爆撃に来ます。
その焼夷弾が全部それて
私の村に落ちてしまったんです。
そのためわが村の家々は、
全部焼夷弾が命中し
消し止めた一軒を除いて
焼けてしまいました。
その時に
わずかばかりの立ち木も
焼けたのです。
神社の森も焼けてしまいました。
そんなこんなで
せみが生きるための
木がないので
私の小さい頃は、
せみが鳴くことは少なかったのです。
戦争はいやですね。
夏の思い出 その7 せみ
もう暑い日が続いていますね。
ニュースでは、
「立秋も過ぎたのに
秋とは名ばかりの暑い日が続いています」
と言う決まり文句を言ってます。
これに対して
私はいつもの決まり文句を
家族のものに言って
「ひんしゅく」をかっています。
どういう風に言っているかというと
「そもそも立秋の前18日間が
夏の土用で
夏が最も夏らしい時期です。
つまりすごく暑くて
太陽が痛いほど輝く季節です。
つまり暑さが極大値に達している時期で
立秋は、極大値の次の日で
暑いのに決まっています。
極大値の次が極小値になっていたら
1年は2日間になってしまします。」
と言っているのです。
そんな毎年言っていることはさておいて夏について
またお話しましょう。
皆様がもしよく照った午前中で
庭に木がある家で
このインターネットのブログを読んでおられるなら
ジージーやかましく鳴いていると思います。
正確に言うと
クマゼミで
鳴いているのではなく
羽をこすっているのですが、、、
私の子供の頃に帰ると
意外だと思いますが
そんなジージー鳴くせみなどいません。
皆様の子供の頃どうでしたか。
皆様はお若いし
もっとお金持ちだから
せみの声を聞いていたかもしれない。
夏の思い出 その6
エアコンもつけずに窓を閉め切って寝ることは、
相当の困難が伴います。
皆様もご推察の通り暑いのです。
それで前にも言いましたうちわでパタパタです。
しかし父母兄は、疲れきっているので
睡魔には勝てませんので
寝てしまいます。
然るに私は、
疲れていないので
いつまでもパタパタやっています。
寝息を聞くと余計に眠られず
暑くなってパタパタです。
そうなるとなおいっそう目がさえて
眠られなくなります。
はっきり言って私は子供のときから不眠症でした。
子供のくせに不眠症
困りますよね。
もう少し時代が進むと
扇風機が家庭に入ってきます。
扇風機便利ですよね。
前にも言いましたが
殿様になった気分です。
寝る前には、
扇風機をかけて寝ます。
涼しいけど
扇風機をかけて寝ると
朝起きた時
しんどくて起き上がれなくなるという
『うわさ』があって
寝るときは切って寝ます。
本当に扇風機をかけて寝ると
問題が多いのでしょうか
皆様どうですか。
夏の思い出 その5
夜になると
寝るしかありません。
ラジオ番組も9時になると
ほとんど聞くべきものもなく
テレビがあるわけでもなく
寝るしかありません。
寝るときは、
扉や雨戸をすべて閉めます。
もちろんよからぬ泥棒や
蚊から身を守るためですが
もっと他にも理由があったかもしれません。
エアコンがないにけど
窓は全部締めきって寝るのです。
当時は地球温暖化や都市のヒートアイランド現象などありませんでした。
だから当時は今より涼しかったかもしれません。
しかしエアコンなしに寝るのは大変です。
少しあければきっと夜風が入ってきて
涼しいともいます。
それなのに
窓を閉め切るわけです。
きっと網戸もなかったし
貧しかったけど
それ以上に貧しい人もいるので
締め切っていたのでしょう。
もっと私の考えですが
当時の夜は、
月が出ていないと
本当に真っ暗です。
きっと物の怪に対する恐怖もあって締め切ったかもしれません。
漆黒の暗闇は本当に怖いものです。
皆様は、夜は怖いですか。
今も私は怖いです。
夏の思い出 その4
今は夏が嫌いだけど
昔はすきだっとという始まりではじまった
このシリーズですけど
今になって考えると
本当かどうかわかりません。
夕暮れになって
六甲に太陽がかかるころに
みんなは仕事から帰ってきます。
本当に汗水になって帰ってくるのです。
今でしたら蛇口をひねって
シャワーでもするところですが、
当時はそんな簡単にはいきません。
川で水を汲んで
お風呂桶に運び
ただでさえ暑いのに
わらに火をつけて
焚くのです。
火の番の人は大変です。
やっと沸いて
湯船につかります。
本当に大変ですよね。
それから
夕食です。
同じようなものを食べて
蚊をうちわでパタパタやりながら
逃れつつ
床に入るのです。
忘れていましたが
牛さんの世話もあります。
暑い日は、川に連れて行き
水浴びさせ
ロールを炊いて与えます。
人間自分一人でも大変なのに
昔は大変ですよね。
ありがとうございました。
夏の思い出 その3
父母兄が仕事に行った家は静かです。
姉は勉強をしていますし、
騒いだりしませんから、
家は私が音を立てない限り
静かです。
それから、当時はせみが鳴かなかったように思います。
私の家の周りには、田んぼばかりで
木はありません。
私の記憶が正しいなら
それでせみもいなかったのかもしれません。
そんな暑い夏には、
外の県道を歩く人もいないし
外で遊ぶ子供もいません。
地道の県道の向こうに
ぼんやりと陽炎が見えます。
本当の静寂の世界
それは暑い夏の午後です。
日ごろは飛び交っている
蚊やハエさえも暑さのために声を潜めている
そんな夏の昼下がりです。
私は好きだったんです。
でもその炎天下
草取り・稗取りで
父母兄は、今思えば働いているのです。
なんということでしょう。
認識不足もここまで行くと
罪悪かもしれません。
ごめんなさい。
夏の思い出 その2
今日は台風が来ているためででしょうか。
蒸し暑いですが、エアコンをかけて快適です。
でも子供の頃は、エアコンなんかもちろんありません。
エアコンと言うかクーラーをわが家が買ったときの話は、
後日として続きを書きます。
夏の朝だからといって特別な料理もなく
麦飯とお味噌汁漬物で朝ごはんを食べて
父母兄は仕事に出かけます。
夏休みですので姉がいますので
ひとりにはなりません。
しかし平屋建てのわが家は、
昼間になると暑いです。
でも当時家の周りは、緑の田んぼですから
風があると涼しいような気がしました。
何もすることがないけど
なんかしていたのかもしれません。
全く記憶にありません。
昼になって昼ごはんを食べた後
一日で一番暑い昼間
父母兄は、昼寝の時間です。
朝も早いし、暑さと仕事のために疲れている
父母兄は、すぐに深い眠りにつきます。
しかし私は、一日中休みですので
睡魔など襲ってくるわけがありません。
しかし じっとしていないといけないので
ただただ寝たふりをするのです。
小さい私にとっては、
本当に酷な時間です。
30分も経たないうちに
父母兄は起き
父の『作業』の号令下
仕事に出かけるのです。
本当に暑い日差しの中でかけるのです。
今思えば本当に大変なことだったでしょうね。
それなのに私は、「じっとしている」ということから
開放されて喜んでいたのです。
父母兄申し訳ございません。
ありがとうございました。
夏の思い出 その1
暑いですね。
夏ですから暑いのは当たり前ですよね。
夏の土用から
立秋までを
夏が最も夏らしい時期
ー季節ー
ですので
当たり前ですよね。
でも私の住むあたりは、
今年は夏らしい天気は、少ないように思います。
わがままな私ですので
「夏になれば夏が嫌い」
もちろん「冬にならば冬が嫌い」
です。
でも私が小さいときは、
夏は私が最も好きな季節です。
働かない私ですから
夏は、その良い面だけの
恩恵を受けていたからだと思います。
私が ものごころ ついた
昭和35年ごろの
一日を書きましょう。
夏の暑い日は、
父母兄は早く起きます。
たぶんまだ薄暗い時におきます。
「朝は朝星、夜は夜星」で働いていたのです。
私はもちろん寝ていますので
わかりません。
夏の朝早く起きればわかりますが、
まだ気温は、低いですが
湿度は、高く少し動くだけで
汗が出ます。
父母兄は、汗だくで
帰ってきて
「てぬぐい」を濡らして
汗をふき取ります。
私は、やっと起きて
顔を洗います。
夏働くのは大変です。
父母兄ありがとうございます。
少し前のスターレット その4
少し前のスターレット その4
長年乗ったスターレットを
「捨てる」第3理由は、
昔のスターレットが
燃費が悪く・騒音が大きく・排気ガスがひどいので
買い替えを決意したのです。
燃費は、リター当たり8km程度です。
今のプリウスと比べると
半分以下です。
騒音は、女房が実家に
車で帰ったとき
遠くからでもわかるくらいの
騒音だったそうです。
排気ガスは、ディーゼル車でもないのに
何となく黒い煙が出るのです。
やっぱり地球や
環境に悪い車に
乗り続けることは、
良くないように考えました。
それで長い間のって愛着のある
スターレットを「捨てる」ことになりました。
ごみとして捨てるために
32,000円必要でした。
本当によく走って
いい車だったのに残念です。
今鍵だけが残っています。
愛着あるものを
捨てるのは、なんか物悲しいですよね。
少し前のスターレット その3
昨日の続きです。
さて第一の問題が
私の個人的な問題だったんですが、
第二の問題は、
家族のものの意見です。
それは、例の交差点事件の
前年の同じ暑い夏の日のことです。
家族でたぶん天文台に行った帰り
神戸あたりで
渋滞で止まってしまいました。
第二阪神国道と呼ばれた
国道43号線での出来事です。
片側4車線の大きな通りですので
回りは車、車です。
私の第2子が
「こんなに暑いのに
なぜ隣の車は、
窓を閉め切っているの」
と不思議そうに
私に言ったのです。
そうなんです。
私の子供は、
車にエアコンが付いているとは、
考えていなかったのです。
私の車には、エアコンが付いていないのです。
そのために小さい時から
私の車に乗っていた子供が
そう考えても
不思議ではありません。
もちろんスターレットを買った当時
車にエアコンが付いているのが
当たり前でした。
それなのに
私がこのエアコンの付いていない車を
買ったのは、
色々理由はありますが
一言で言えば
安いからです。
節約家の私には、
当たり前です。
やせ我慢で
私は暑さに強いとか
少ししか乗らないからエアコンなしで十分とか
エアコンは体に悪いなどと
わけのわからぬことを言っていました。
かわいい子供に犠牲を払うのは良くないということが
第二の理由です。
少し前のスターレット その2
昨日の続きです。
当時クラクションを鳴らしたと言って
殺人事件が起きたばかりなので
そのように考えたのですね。
でも事実は、
180度いや
90度違っていたのです。
男が最初に言った言葉は、
「この車まだ走っているんですね。」
だったんです。
私の乗っていたスターレットは
ミリオンセラーとでも言うのですか
買った時には、
たくさん道路を走っていました。
色も同じクリーム色で
よく売れた車なんです。
その後
男二人は、
懐かしそうに
中の計器板や
足回りを見ていました。
前のスカート部分が
新しいのを見つけると
「まだこの車
部品あるのですね。」
と言って後ろの車に帰っていきました。
なんということでしょう。
「わざわざ降りてきて
そんなことを言って帰って行ったのです。
夏の本当に暑い
日差しのきつい
昼に、、、、
本当になぜなの
そんなにこの車は、
懐かしい存在なのか」
と本当にショックでした。
これが第一の理由です。
少し前のスターレット その1
今日私の車の車検に行ってきました。
私は、車のことがわかりませんし
興味もないので全く車屋さん任せです。
今のプリウスに5年乗っています。
前の車
スターレットには、20年乗っていました。
エアコンも付いていませんので
故障知らずで良く走っていました。
後ろに大きなものも乗せられて
本当に便利な車だったんですが
なにぶん古くなった上
ある問題ができたので
新しい車に乗り換えました。
その第一の問題は、
その直前に起きた交差点での出来事です。
ある交差点にで止まりました。
その交差点は、
大通りに出る
人や車の少ない道で
赤が本当に長い交差点です。
その交差点で赤で止まって待っていると
後ろに珍しく止まった車から
男の人が2人降りてきてこちらにやってくるのです。
ルームミラーでその様子を何気に見ていた私は、
焦りました。
「何か悪いことをしたのだろうか。
因縁でもつけられるのではないか。
追い越しでもやって恨まれているのだろうか。
どうしよう。
窓を閉めないと、、、」
とっさに考えました。
でも私の車は、
エアコンが付いていないので
夏の日は、
全部の窓が
全開です。
すぐには閉められません。
焦れば焦るほど
硬直して動けなくなっていると
男が二人
窓越しに私の車の中を見るのです。
さて私の運命やいかに、、、
次回をお楽しみに、、、
ごめんなさい。
こんな しょうもないことで引っ張って
すみません。
学校の成績 その1
以下の話は、自慢話ではありませんので
ご安心下さい。
私の小学校の成績について
書いてみます。
「そのようなもの
知りたくない」
と考えておられる方も
多いかも知れませんが
逆に
「こんなブログを書く人物は、
どんな成績であったのだろう」と
興味をお持ちの方もおられると思いますので
少し書いてみたいと思います。
小学校入学して最初に
頂いた通信簿では、
オール3でした。
そうですよね。
昔は、通信簿と言ったですよね。
難しく言うと
「正規分布になるように
5段階評価された成績です。
学業について
個々に作られた
学籍簿に記載されている
成績をそのまま
書き写したもの」
です。
このオール3は、
長続きしません。
すぐに体育と音楽が
2の評価になってしまいます。
本当にドジな私ですから
体育の時間は、苦手でした。
また生来音痴ですので
音楽の時間は、
死ぬほどいやでした。
ひとりで歌う時など
「目から火」のでる思いです。
皆様は、音楽体育好きですか。