昭和30年代始めの頃

貧しかったけど、幸せだった、あのころのことを、、
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私の病気(下痢する病気)の原因は
不明です。
しかし食事制限していると
無症状にすごせます。
しかし生活の質を向上するために
そのためふたつの面から
解決をしようと考えています。
ひとつは原因物質の探求
もうひとつは代替食品の開発です。
ご協力くださる方は、メールください。

上記メールアドレスをクリックしても
新しいメールが出てきません。
上記のメールアドレスを
あて先に打ち込んでください。
メールください。

ロフトで笑ってすごそう
「笑う」とがん細胞を
やっつけるとのことで
「笑っています」

皆様もご一緒に


アスカルも笑っています
ロフト君もよろしく

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2008年01月27日(Sun)▲ページの先頭へ
皆様はバスを追いかけましたか。

久しぶりに
昭和30年代初めの頃のお話です。

当時は道路も狭い代わりに
車も全くと言っていいほど
通らなかったですよね。

時々
乗り合いバスが
通っていきました。

そんなとき
皆様方の中には
バスを追いかけた方
おいでではありませんでしょうか。

若い方は
バスが珍しいので
追いかけたと思っておられることでしょう。

しかしそうではないのです。
じゃ何かと言いますと


さて問題です。
昭和30年代初めまで
バスに限らず車を
追いかけた
少し変な子供達がいました。
その理由は
1.車と競争したかった。
2.車の排気ガスの臭いが癖になっていた。
3.単に車が好きだった。
























正解は
2.車の排気ガスの臭いが癖になっていた。
です。

そうなんですよね。
昔のガソリンは
精製が言うなれば粗悪なために
芳香族の有機物を含みなした。
今なら発ガン性どうのこうので
大問題ですが、
これらの有機物は
結構においが良い
好きな人は好きなんです。
習慣性が出来るのです。

私は良いにおいとは思いませんでしたが
良いにおいと思う人もいるのです。

皆様いかがですか。
なお今のガソリンには
含まれていませんので
ご注意下さい。


2007年12月08日(Sat)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 ラジオ その1

昭和30年代初めの頃 ラジオ

昭和30年代の始めの頃は、
ラジオは大変高価なものです。

私のおじさんに当たる人で
大変寛容で賢明な方だったんですが
昭和20年代の中ごろに
「ラジオは音しか聞けないが
今に
絵も出るようになる」
と言ったのです。

聞いているみんなは、
そんなことは絶対に起こるはずがないと
口をそろえて言いました。

当時はすでに
テレビは発明されていましたが
おじさんはそんなことを
たぶん知らなかったと思います。

きっとおじさんは、
技術革新の波を感じていたのだと思います。

話は飛んで
ラジオは
今の14型テレビの大きさくらいありました。
暗いところでラジオを見ると
ラジオの中が
ボーと明るいのです。

皆さんは見たことありますか。
何となく温かみがありましたよね。

実際ラジオは温かかったけどね。




2007年10月27日(Sat)▲ページの先頭へ
今日は27日秋祭りの日です。

前に
昭和30年頃の我が村の秋祭り
申し上げたことがありますが
昨日は宵宮
今日は本宮だったんですが
昨今の事情で
日曜日になったので
今年は、
明日の日曜曜日です。

重い御神輿を
当時は担いでいましたが
そのような重いものを
担ぐ事のできる力のある人は勿論のこと
人数自体も激減しましたので
今は御神輿と言うより
山車になっています。

そうなんですね車を
御神輿につけて
引っ張るのです。

それも警察からのお達しか
警察官が先導して
1回だけです。

それでは昔はどうだったのかというと
勇壮そのものです。

1トン以上はあると思われる
御神輿を担いで村中を回ります。

村境にくると
隣の御輿と
ぶつけ合って
気勢を上げるのです。

テレビで見る
「灘のけんか祭り」ほど
過激ではありませんが
間近で見ると
迫力があります。

昭和30年頃は、本当にすごいですよね。
今は楽で良いですけど、、
何かもの足らないような
気もします。



2007年09月16日(Sun)▲ページの先頭へ
床下浸水は大変です その6

トントン屋根は、
釘で打ちつける音が
トントンと音が出るので
トントン屋根と呼ばれるのです。

さてその職人さんが行う
見ていて はらはら どきどき
する技は、
な 何と


釘を口の中に入れて
舌で一本ずつ
出してくるのです。
小さい釘を
うまく出すのは驚きです。
それを左手で取って
右手の金づちで
一回打って仮止めし
もう一回強く打って
叩き込みます。
その間に
左手で新しい板を持ってきて
また釘を口から取ってきて
の連続です。

すばやくそれを行うのです。

そんな裏技の
物ができていなくて
雨が漏ってしまうのです。

さてこのトントン屋根ですが
相当の耐久性があります。

文明の利器は、
本当にいいですよね。



2007年09月15日(Sat)▲ページの先頭へ
床下浸水は大変です。 その5


床下浸水から逃れられた
新しい家
でも大きな欠陥が
第二室戸台風のとき
露見するのです。

私の住むところを
直撃し
台風の目が通った
台風です。

その台風は、すさまじく
家はゆれ
家人は、
柱が倒れないように
全く無駄な行為ですが
柱を持っていました。
風はすごく雨もすごかったのですが
何と
雨漏りがあったのです。
雨漏りが困るので
建て替えたのに
新しい家も
雨漏りがして
がっかりです。

父母兄は、
本当にがっかりです。

うまくいかないものなんですね。
さて何故雨が漏ったのでしょうか。
何かを屋根に施工していなかったためです。
さてそのしなかったものとは、
1.かんかん屋根
2.トントン屋根
3.い屋根




















正解は、
2.トントン屋根
です。

トントン屋根とは、
昭和35年ごろは、
ヒノキの薄い板(厚さ1mm程度)を
小さい釘で屋根の下地に
一面打ちつけたものです。

今ならタッカという自動的に打てる
道具で
板を屋根に
止めるのですが
当時は無いので
手で打つのですが
さて問題ですが
釘を金づちで打つのですが
釘をひとつずつ供給しなければなりません。
どのようにひとつずつ供給したでしょうか。
1.口からひとつずつ出した。
2.腰の袋からひとつずつ出した。
3.女の人がひとつずつ出した。



正解は、明日へ


2007年09月14日(Fri)▲ページの先頭へ
床下浸水は大変です。 その4

床下浸水に悩まされ続けて
ついにわが家の建て替えが
行われることになりました。

この床下浸水した家は、
私の父が
作ったものです。
その家を壊して
新しい家を建てることになりました。

それなりに立派な家を
立てることになるのですが、
完成するのは、
立て始めてから
10年後です。

床下浸水しないために
付近の土地より
1m30cmぐらい土盛をしました。
道路より30cmばかし高くなったのです。
付近の住宅地より1mぐらい高かったように記憶しています。
そんな高い敷地に立てたのです。

でも
昔のドロボー
書いているように
うつり住んだときには、
全くの未完成で
床下浸水はしませんが
とても内部は、あばら家だったんです。

見掛け倒しだったんですよね。
何故そんな状態かというと
ひとえにお金が無かったからです。

今も昔も大変です。
本当に、、、


2007年09月13日(Thu)▲ページの先頭へ
床下浸水は大変です。 その3

私の家を襲った床下浸水の
水ですが
もちろん雨水なんです。
この雨水は
降ったときは、
もちろん透明な水です。
泥水を含まない限り
透明な水なのです。

私の家の周りには
田んぼや畑ばかりですので
泥水を含む余地がありません。

そんなこんなで
私の家を襲う水は、
透明な水なのです。

そのため水が引けば
後片付けは、簡単なのです。
昔 公共放送の
豆知識の番組を見ていると
「テレビが浸水したときには、
完全に乾かすと
テレビがまた点く時がある。」
言っていたのを覚えています。
今ではそんなことほぼ不可能ですよね。
泥水が付いて
使えなくなるのに
今と昔は
私の家に限らず
だいぶ違っていたようです。

床下浸水が
たびたびで
その上雨漏りがひどいので
ついに母兄は
わが家の建て替えを決意するのです。

雨漏りはいやですよね。
床下浸水はもっといやですよね。
それからお金が出て行くのは、
もっといやですよね。


2007年09月12日(Wed)▲ページの先頭へ
床下浸水は大変です。 その2

いろいろな原因で
床下浸水になるわけです。

梅雨の長雨
台風の豪雨
秋の長雨
は有に及ばず
夏の激しい夕立でもその危険性があります。

でも今の床下浸水と
大きく違うところがあります。

さて何でしょうか
1.水が違う
2.引き方が違う。
3.魚が取れる。












正解は、
1.水が違う
です。

そうなんです。
水が今のように
泥水でないのです。
今テレビで見ていると
泥を取り除くために
大変な苦労している場面が
よく出てきますが
私の家の床下浸水に
それがなかったのです。

雨が降ると
屋根からは漏ってくるし
下からは水が来るし
本当に大変でした。

でも何故泥水で無かったのでしょうか。
なぜかと言うと
何故だと思いますか。

2007年09月11日(Tue)▲ページの先頭へ
階段のスイッチ その6

前の回答を申し上げますが
正解は、

です。

よくできていますよね。
でもこの4路スイッチは
普通のスイッチ(片切りスイッチ)と比べると
ずいぶん高いスイッチです。

中を分解したことがありますが
構造が複雑です。
やっぱり高いのは当たり前です。

そんなこと皆様にはあまり関係なかったですね。
ごめんなさい。

この項終わり

2007年09月10日(Mon)▲ページの先頭へ
床下浸水は大変だ その1

先日の台風で
浸水した家が
写っていましたが
とても大変ですね。

泥水が
床下に入ってきて
大変ですよね。

昭和30年ごろ
私の家も床下浸水に
何度も見舞われました。

その背景を言いますと
工業用水やクーラーの冷却水を得るために
井戸を掘って地下水をくみ上げたため
地盤沈下が起きて
地盤が低くなったのと
宅地化が進んで
田んぼが少なくなって
水がたまる場所が少なくなったのが原因です。
そのほかの私の家の事情では、
元々田んぼより少し高い畑の土地に
家を建てたため
敷地が低かったことにも起因します。
そのためわが家では、
少し床が高く建てたのですが
それは床上浸水を防ぐもので
床下浸水には、役に立ちません。

困ったことですよね。
あたしは楽しかったのですが、
ごめんなさい。
父母兄の苦労は大変でしたでしょう。


2007年09月09日(Sun)▲ページの先頭へ
スイッチの不思議 その5

階段の電灯が
何箇所からでも
消したり点けたりできると言うことですが
その回路名は、
何でしょうか。
1.3路回路の上だから4路回路
2.沢山回路
3.早よ回路



















正解は、
1.3路回路の上だから4路回路
です。
そうなんですよね。
4路回路なんです。
でも
3の次で4と言うことではありません。
スイッチに
4本の電線が行くから
4路回路なんです。

前にも言いましたが
最初に考えた人は、
天才ですね。
それではどんな回路なんでしょうか。




をつないでください。
ヒントスイッチを増やすときは、
真ん中の4路スイッチを増やします。


2007年09月08日(Sat)▲ページの先頭へ
スイッチの不思議 その4

スイッチぐらいで
引っ張ってすみません。
昨日の問題できましたか。
できましたよね。

正解は、




答える前に
問題です。
階段のスイッチは
2箇所から切ったり点けたりできるのが
3路回路ですが
さて
高層ビルのような階段でしたら
点けたり消したりするところが
何十箇所にもなりますが
そのような
電気の回路はできるでしょうか。
1.簡単にできる
2.理論的にはできるが実際は無理
3.絶対無理














正解は、
1.簡単にできる
です。
解説は、
次回

さて昨日の回答は、

です。
よく考えてありますよね。
最初に考えた人は、
本当に賢い人だと思います。



2007年09月06日(Thu)▲ページの先頭へ
スイッチの不思議 その2

「階段の電灯が
下でも上でも付けた消したりできるか」
と言う不毛の議論が
我が家で起きたといいましたが
この大規模な議論は、
全く根拠がありません。

消したり点けたりできると言う
母と姉の
その根拠と言うと
「専門家の電気屋さんが
言っているのだから
そうなんだ」
というものです。

できないと言う
兄と私は、
「電気は、
川のような流れで
2箇所で流れを止めたり
流したりするような構造は、
絶対できるはずがない」
と言うものです。

どちらも
主観的で
客観性のない
意見です。

皆様なら
すでにこのような
ことが
本当につまらない
議論であることがわかっておられると思います。

結果は、もちろん
兄と私の敗北
母と姉の勝利です。

でも疑問が晴れたわけではありません。
この疑問が晴れるのは、
私が中学になったときです。

珍しかったんですよね。
階段のスイッチは、当時では珍しかったんでしょう。
特に貧乏な私の家では、


2007年09月05日(Wed)▲ページの先頭へ
スイッチの不思議 その1

昭和34年ごろの 私の家が建て替えになって新しい家にかわるときの
お話です。

それまでの家は、
雨が降ると
雨漏りがすると同時に
床下浸水するので
建て替えなったのです。
もっと他にも問題があったのですが、、、

新しい家は、
2階建てで
階段にもちろん電灯が有って
下からも
上からも点くそうです。

このスイッチについて
わが家では、
大論争が起きたのです。

新築中の家をたびたび見て
出入の電気屋さんに
「階段の電気は、
上からも下からも
消したり点けたりできる」
と聞いたのです。

その話で家族は、
2分されました。

母と姉は、
電気屋さんが言うのだから
「上からも下からも電灯が
点けたり消したりできる」
と言いました。

兄と私は、
「そのようなことはない」
と言う意見だったです。

家族は特に根拠もないのですが、、、
こんな不毛の議論をすることになるのです。
それは家が
「完成」(本当は、完成には程遠い状態での”完成”です)
するまで続くのです。

無知は怖いですよね。

やはり知識は高めておいたほうがいいかもしれません。
特に貧乏人の私は、そう思いました。


2007年07月24日(Tue)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その7

昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その7

今日の朝は、つまらぬ役に立たない
ことをくどく言ってすみませんでした。

蚊帳は、正規にたたむ場合は、
そのように行うのですが、
面倒な場合や
相当古い蚊帳で
腰がない場合は、
簡易なたたみ方をします。
つり手を集めてひとつにして
パーと振り上げてひとつの束にして
それから丸めて
しまっておきます。

もちろん簡単ですし
時間もかかりません。

節約家の私の家は、
もちろん古い蚊帳ですから
正規のたたみ方などできるはずはありません。
やっぱり
節約かは、時間も節約していたんですよね。




昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その6

昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その6

必要は全くないと思いますが、
蚊帳の取り扱い方について説明します。

蚊帳をたたむのは、
さして難しくはありませんが
説明するのは大変難しいです。

まず、長辺の2辺の角のつり手を
はずします。
パタパタするように蚊を追い出して
もう一方の辺に近づきます。
角のつり手をふたつ重ねて持って
その間の蚊帳の角を
引っ張って長辺の辺に合わせます。
会ったところを離さず持って
もう一方の
つり手を一緒に持ちます。
その後同じようにもう一方の間を
同じように合わせて
前に重ね合わせた同じところに合わせます。

両手でつり手と重ね合わせたところを持って
上へパーとあおり上げ
下を整えます。
その後つり手の集団と
もう一方の端を合わせて
折ります。
もう一回縦に折った後
反対に二回折終わりです。

わかりましたか。
想像力の豊かで 聡明な読者なら
お分かりになるかもしれませんが、
私の説明が悪いのでわかりませんよね。
ごめんなさい。

わかっても仕方がないのに、、、
全く役に立たない無駄な知識ですよね。

今日は本当に無駄な回だったと思います。
ごめんなさい。


2007年07月23日(Mon)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その5

昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その5

今日はたぶん昭和36年ごろの
少し変わった思い出です。
きっとこんな体験をした人は、
少ないことでしょう。
でもあのような時代ですので
その時代を生きた人の中では、
皆無ではないと思います。

たぶん6月の終わり頃
蚊帳をはじめて吊った頃です。

私が父母の中に川の字で寝ていたのですが、
夜寝ていると
朝方足元が
なにやら冷たいので
目を覚ましてしまいました。

水が触れたような
気がしたのです。

でも暗がりですので
朝までそのまま寝ました。

朝蚊帳をたたんでいた母が
私の足元が濡れていたこと
そしてネズミらしき毛が落ちていたことを
発見したのです。

これらの事実から
「夜 濡れ ねずみが
私の足元に来て
どういうわけか
一服して帰った」と推測したのです。

もう少し昔には、
ネズミに赤ちゃんが かじられると言う
事件が起きたことがあるので
そう判断したのです。

このような推測は、
合っているでしょうか。
今となっては、確かめるすべもありません。

皆様経験がありますか。
ありませんよね。
ネズミと一緒に暮らすなんて、、


2007年07月22日(Sun)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その4

昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その4

蚊帳を吊る時には蚊帳を部屋の中央において
つり手を釣り具につけます。
ゆっくりと四隅にたぐり寄せます。

それから
「うちだし」と言って
蚊帳の中に入ります。
もちろん うちわで周りと
自分を扇いでからです。

ゆっくりと蚊帳の下を
お布団の外側に出すのです。

どんなに注意していても
蚊が蚊帳の中に入ってくることもあります。
そんな時には、
追い出さなくてはいけません。
どのようにするかと言うと
役に立たないけど
聞いてください。

まず、長い辺の一辺だけ残すように
他の端を丸めて
寄せます。
パタパタするように寄せるのです。
夜中に眠いのにしなければならないのに
大変です。

昔は大変ですよね。
ところで現在は、
何故蚊が
極端に少なくなったのでしょうね。


2007年07月21日(Sat)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 蚊帳 その3

蚊帳はとても便利なものです。
新しい蚊帳は、
糊が硬く付いているので
シャゴシャゴしていて
畳との間に隙間が開いてしまいます。
こんなに新しい蚊帳は、
あまりよろしくありません。

だからと行って古い蚊帳は、
穴が開いていたり
ほころんでいたり
また布の網目が一部粗くなっていたりして
問題多いと思います。

また古い蚊帳は、重いように思います。

蚊帳を吊るのは、
どのようにするかと言うと
3人寝れる
6畳用の蚊帳を例に挙げて説明します。

まず蚊帳を押入れから出してきて
部屋の4隅と
長いほうの辺の中間6っ箇所にある蚊帳の吊り手を吊ります。

鴨居の上に
釘を打って
蚊帳の釣り具を取り付けます。

釣り具は、



こんな形をしていて
少しだけ便利に作ってあります。

上げたり下げたりできるのです。

昔も今も
生活を便利にするために
考えているのですよね。

私も考えていますが
もうひとつです。

2007年07月20日(Fri)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その2

昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その2

蚊帳のつり手について
少しお話を、、、

蚊帳は昔には、
ゆっくりと寝るための
本当に必需品です。
当時は割りと高価なもので
大切にあつかっていたとことでしょう。

終戦間近いころ
金属類の供出が
政府よりお達しありました。

どこの小学校に有った
二宮金次郎の銅像も供出されたのです。

そんな時庶民は、
蚊帳のつり手を供出したのです。

前にも言いましたとおり
丸い輪になっていますので
取るためには、
アルミの輪を切ってしまうか
アルミの輪を止めている
紐を切るか
紐の元をほどくかです。

アルミの輪は、切れないし
紐を切ったら
蚊帳を吊るとこに困るので
紐を止めている
ところをほどく方法だったのでしょう。

でも紐は、しっかりと飾り縫いで
補強の布に止められていますので
取るのもまた同じように付けるのも
大変であったように推測されます。

そして取ったアルミは、
ほんの少しです。

こんなことをしているようでは、
とても勝てませんよね。

でも供出品は、戦争に使われることなく
戦後の一部の人たちの復興に役立ったようです。

昔は大変ですよね。



2007年07月19日(Thu)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 蚊帳(かや) その1

昭和30年代初めの頃

台風が去って
暑い日が私の住むところでは
続いています。
アスカルがいるところの
下の駐車場に行くと
蚊が
飛んでいました。
アスカルは大丈夫かな。
と心配しております。

ところで
私が本当に子供だった
昭和30年代初めの頃は、
蚊といえば
大変です。
集団で襲ってくるのです。
それから身を守るのが
蚊帳です。

かやは、もちろん蚊帳と書くのですが
私は、小さいとこは
蚊屋だと思っていました。
蚊から身を守る家と言う意味で
蚊屋なのですが、、、
あさはかですね。

それはさておき
今の人は、
蚊帳を知らない人が
いるようですので
少しくどく 蚊帳を説明すると

「蚊帳とは、
粗く織られた硬く糊付けし布
(寒冷紗:かんれいしゃと言います。)を
箱状に縫い合わせます。
角部分に布で補強し
四方の隅と
大きい場合は、
その中間にも
蚊帳の吊り手を取り付けます。

蚊帳の吊り手は、
丸い輪の様な形です。
今ならプラスチックで作られていますが
当時は、アルミで作られることが多いようです。

蚊帳わかってくれましたか。

わかっても仕方がありませんよね。
ごめんなさい。

母は、いつも
「蚊帳はありがたいものだ
もったいないことだ」
と言っていました。


2007年07月12日(Thu)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 うちわ その6

昭和30年代初めの頃 うちわ その6

夏でうちわをパタパタやって
涼をとるのは
たいへんですが、
冬場でも昔は、
パタパタしなければならないのです。

それは、
火をおこすときです。
今は、スイッチポンですが
当時はなかなか大変です。
からけし(たぶん殻消しと書くのかもしれません)を使って
魚でも焼く手順を書きますと
まず殻消しをを用意しなければなりません。
これは、お風呂などを沸かしたときの
蒔きの残り火を
殻消壷に蓄えておいたものです。
普通の炭より
火がつきやすいのが
特長です。
だからと言って
マッチで付けられるような
ものではありません。
まず かんてき(七輪のこと)に
くしゃくしゃと新聞を丸めて
火をつけて入れます。
直後に
殻消しを上に乗せます。
新聞が燃え終わったら
かんてきの下の
空気を入れるところから
うちわで扇ぎます。
そうすると
殻消しの火は、大きくなり
ようやく炭に火がつくのです。
その間煙も出ますし
すすも出ます。
現代と比べれば
それはそれは、大変です。

と言って私はしなかったのですが。
お母さんごめんなさい。
ありがとうございました。

いろいろに使えて
とても便利で
必需品の
そんなうちわは、
どのようにして
手に入れていたのでしょうか。
今なら
きっとどこかでもらってきたものでしょうが
生産性の悪い当時
対価なしにいただけなかったのではないかと思います。
例えば買い物を良くしたとか
上得意だとかでないともらえないでしょうから
節約家のわが家が
もらえたのは
僅かかなかったかもしれません。
それできっと買ってたのでしょう。

古いのがあったような気がします。
紙で修理しているのもあったように
記憶しています。

でも確かなことはわかりません。
何しろ私にとっては、
大昔のことですから、、、



2007年07月11日(Wed)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 うちわ その5

昭和30年代初めの頃 うちわ その5

もちろん涼しくなるためにも役立ちますし
蚊を追い払うのにも役立ちます。
同じように扇風機も蚊を追い払うのに役立つみたいです。

扇風機を買ってまだ日が浅い頃
扇風機の下に
蚊がたくさん落ちているのです。
びっくりです。
こんなに蚊をやっつけることができるのなんて、

話は変わってすみませんが、
蚊をやっつけるのには、
他にも方法がありますよね。
昭和35年ごろでしたら
例えば蚊取り線香とか
アースとか。
アースは、
商品名ですので
一般名は、なんというか知りませんが、
当時の
スプレー式の
蚊用殺虫剤は、
「アース」とか言うのがあるのです。
これは、
高圧ガスを使うスプレー缶ではありません。
ご存知の方は、
聞き流してください。
難しく言えば
ベルヌーイの法則を
使ったものです。
すなわち「速い気流の流れは、
陰圧になる。」と言う法則を利用しています。
噴霧器は、
薬液を入れた缶から
ストローのような細い管が出ています。
そのストローの先端に
強い空気の流れを出すような
空気鉄砲のような
物が付いています。
空気鉄砲の取手を引っ張り
強く空気をストローの先に当てると
細いストローに
薬液が出て
そこに強い空気に流されて
ゾル状に
空中に拡散されるという
構造です。

学校ではじめて見かけたときに
不思議なものだと思いました。
なぜここから出るのか
教えてくれませんので
中学校に上がってはじめてこの仕組みを知ったとき
積年の疑問が氷解した気持ちでした。

話は変わりますが
わが家では、
蚊取り線香や
アースは、ありません。
うちわで
パタパタやるしか方法は
ありませんでした。

節約家ですもの当然ですよね。
皆様使いましたか。
蚊がいないので
使わなかったかもしれませんね。


2007年07月08日(Sun)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 うちわ その4

昭和30年代初めの頃 うちわ その4

うちわは、
夏に使うことが多いですが
夏に使っているのに
涼をとる以外にもよく使いました。

それは、
何だと思いますか。
最近では、
全くその目的には、
使いません。

昔のことをご存知の方なら
すぐにお答えになるでしょう。
そうなんですよね。
蚊帳(かや)に入るときに使うのですよね。
また別の機会に
蚊帳のことを
例によって くどく詳述しますが
今回は、パスします。

昔は農薬を使いませんので
かの大群が
我が家を襲います。
蚊帳がなくては、
一睡もできないでしょう。
蚊帳の中に
家が侵入すれば
家族全員大騒ぎです。
蚊帳に蚊を入れないことは、
至上命題です。

そのためには、
入るときに
付近を大きくうちわで扇いだ後
蚊帳のそばに座り
自分自身を扇いで
体についている
蚊を追い払います。
そうしてやっと
蚊帳の中に入るのです。

出るときは、
大きく扇いだ後
出るのです。

なかなかですよね。
疲れてしまいます。
皆様そんなことしましたか、
、 若い方は、
「何を言っているのか」
わからないでしょうね。
すみません。

2007年07月06日(Fri)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 うちわ その3

昭和30年代初めの頃 うちわ その3

この頃梅雨の真っ盛りで
じめじめして
汗がじっとり
本当にいやですね。
だからといって
梅雨が明けて
カーと暑い夏が来ても
いやなのですが、
自分勝手で済みません。

さてそんなときは、
昔は、うちわを
使うのですね。

今だったら
シャワーでも浴びて
それから扇風機に当たって
エアコンの聞いたお部屋で
一服する
と言うのが常道でしょう。

昔なら
きっと
行水あるいは、
濡れ手ぬぐいで体を拭き
うちわで扇いで
涼陰の場所に
「しょうぎ」でもだして
一服するのでしょうね。


どちらが快適かというと
もちろん現在の方が
格段に快適であることは、
説明や証明を要さないです。

でも何となく昔の方が
良いような気がします。
汗でじとじとであっても
汗が出るほど
うちわでパタパタしていても
良いような気がするのは、
私の偏見でしょうか。

皆様どのようにお考えですか。
昔を体験したことのない方は、
分からないかも知れませんね。

と言いながら
今エアコンの部屋にいますけど、、、
ごめんなさい。



2007年07月04日(Wed)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 うちわ その2

昭和30年代初めの頃 うちわ その2

暑いときにうちわでパタパタやるのは、
涼しいけど疲れます。
テレビの時代劇で
殿様が下僕にうちわで扇がれているところが
写っていると
「気持ちいいだろうな〜」
と思ってしまいました。
でも貧乏人の私の家には、
もちろん扇いでくれる人などいないので
自分でパタパタしていました。

でも扇風機が家に来ると
本当に便利だなと思いました。
昔の殿様より
「快適だ」と思いました。
すなわちこれを大げさに言えば
「文明の進化で
庶民が殿様の待遇になる」
と言う大変革が起きたのです。

でも寝るときには、
扇風機に当たって寝ると
翌日 体が痛くなって
起きられなくなると言う
「うわさ」があって
寝るときは、
お布団で各自が
パタパタやっていました。

文明の進化は、
庶民にとって都合がいいのででしょうかね。
皆様どのようにお思いですか。





2007年07月03日(Tue)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 うちわ その1

昭和30年代初めの頃 うちわ その1

うっとしい梅雨ですが
皆様お変わりございませんか。

雨の合間はとても暑いので
エアコンなんか かけてしまってます。
贅沢ですよね。

さて昭和39年までクーラーのなかった頃
涼を取るのは扇風機です。
今でも風呂上りには結構使っています。

でも扇風機が家にはじめてきたのは
たぶん昭和35年ごろかと思います。
テレビより遅かったのではないかと記憶しています。

扇風機がない時代は、
涼を取るのは
もっぱらうちわです。

当時のうちわは
竹で できており
竹を もとの所から先を
細かく裂いて
それを根元に刺した
もうひとつの竹に掛けた糸で
引っ張るように開きます。
その開いた部分に
紙を貼ります。

今のうちわは
その形を模した
プラスチック製ですよね。

このうちわは、
昭和30年代はじめの頃
必需品です。

今はエアコンが必需品ですけど、
暑かったあの頃は
うちわが必需品だったんです。
でも冬でも必需品ですよ。

うちわでパタパタやっていた時代が懐かしいです。


2007年06月11日(Mon)▲ページの先頭へ
アスカルの飼い主の屁理屈 住まい その2

アスカルの飼い主の屁理屈 住まい その2

このカテゴリーは、
何の根拠もない事柄を
あたかも理由があるように
私アスカルの飼い主が論述するものです。
たぶんに妄想が含まれますので
真に受けないで下さい。
『決して他言は無用です』
言ったあなたが恥をかきますから、、、

昭和35年頃の庶民の家は、
昨日述べた理由で
極めて機能重視の家だったと思います。

そのため
建物は、
安い建築用材 木材・竹・土等を
適宜用いて
いわゆる和風の家を建てたのだと思います。
それが一番安価で
かつ防犯性、あるいは遮音性・断熱性が
他の工法より優れていたのでしょう。
洋館建てなどお金がかかる
ペンキや漆喰木材を多用します。
日本の風土に合っていないので
そのまま持ち込むと
傷みが早いのでしょう。

と言うわけで
昭和35年頃は、
和風建築です。
いいですよね。
最近はまた見直されてきていますが
和風はいいですよね。
でも隙間が少し多すぎませんか。


2007年06月10日(Sun)▲ページの先頭へ
昭和35年頃の初めの頃 さくら荘 その33

昭和35年ごろの初めの頃 さくら荘 その33

今日は前の続きではなく
一話鍵の話を挟みます。

昔の映画を見ているときに
「鍵穴から部屋の中をのぞく」というシーンを
見たことはありませんか。

でも今の鍵穴をのぞいても
中は絶対に見えませんよね。
本当にのぞけたのでしょうか。
のぞけたんですね。
中ののぞける今なら欠陥商品の鍵の名前は、
「箱錠」と言います。
箱錠は、
当時としては、唯一の
外からも中からも掛けられる鍵なのです。

『箱錠』の構造は、
簡単と言えば簡単です。

まず問題を簡単にするため
語句を説明したいと思います。
鍵とは、
手に持って持ち歩く物で
これのみを鍵といいます。
ドア等に付いている鍵を入れるものは、
『錠』または『錠前』と言います。

箱錠の鍵は、
軸と鍵目が付いた旗のような部分に
分かれます。

鍵を錠に差し込む穴は、
いわゆる鍵穴ですが
これは、丸い穴とそれから続く長方形の穴の形をしてます。
この鍵穴の形は、
前方後円墳の形に似ています。
私が習った社会の教科書には、
鍵穴形と書いてありました。

この鍵穴の丸い部分に軸を
長方形の部分には、旗のような部分を差し込みます。
ある程度差し込むと
軸の部分が太くなっていて
差し込めなくなるようになります。

そうすると鍵を回します。
箱錠の中には、
旗の切抜きの形に合わせて
壁が設けてあり
旗の切抜きと
壁の切抜きとの形が合うと
そこを通り抜けて
籠のデッドボルトを動かす突起を
移動させるように回転します。

こうして鍵の開閉ができるのです。
外からと中からと
同じ鍵で開けるために
それも簡単に開けるために
旗の部分が
前後で対称になっています。
それによって簡単にできるのですが、
当然鍵穴は、中からと外から共用ですので
部屋の内外が通じているのです。

のぞける以外にも
この箱錠は、大きな欠陥があります。
それは、鍵の種類が
少ないことです。
上記原理のに従えば
左右対称で
必ず軸と繋がらなくてはなりませんので
いろいろな形を編み出すことができません。

たぶん十数種類しか鍵がありません。
さくら荘は、20室のでかろうじて
すべて別々の鍵になったか
あるいは、同じ鍵の部屋が
あったかもしれません。

当時の空き巣は、
この鍵を
すべて持っていたら
いつでもは入れたのです。
事実持っていた空き巣は多いと聞いたことがあります。

ピッキングなど必要ないのです。

びっくりしますよね。
鍵は大事なものなのに
隣の人と同じなんて、、、





2007年06月08日(Fri)▲ページの先頭へ
昭和30年代初めの頃 さくら荘 その36

昭和30年代初めの頃 さくら荘 その36

軍用犬の犬舎から
100mほど東に行ったところに
同じく木造の住宅が
建っています。
コの字型で南が開いています。
2階建てで
外は板張りです。

この建物は、
大手重電気会社の
三○電気の社宅で
大勢の社員が
住んでいました。

入り口は北側にあって
当時としては珍しい洋館建てだたんですが
立派なつくりだったように思います。

この社宅は、社員さん用で
お給料の高い人用です。
工員さん用の社宅は、
ここから1kmほど離れた
工場のそばにあって
ちょっとみすぼらしいような建物でした。

中まで見たことがないので
わかりませんな
相当立派なものだったかもしれません。

やっぱり当時でも金持ちと
それなりの人には、
差があったのですよね。

当時は、まだ
ウサギ小屋といわれていませんでしたが
いずれも小さいですよね。


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