ロフト付き は、おもしろい - 2016/04

ロフト付き って良いですよね。隠れ家というか何というか。
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2016年4月
         

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『心をダイヤモンドのように
清らかで堅くて光るもの
にしてください。
神様が見ていて
助けてあげるようにと
私たち(妖精)にお命じになります。』
(私のブログ小説よりの一節)

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ロフトで笑ってすごそう
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2016年04月30日(Sat)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その37

コンパは
病院の職員の中では
よくやっています。

合コンではなく
忘年会のようなものです。

正弥や千香は
コンパは
苦手です。

正弥は
お酒が嫌いですし
千香は
殆ど飲まないので
苦手です。

隅の方で
食事を
ゆっくりとするタイプです。

話し相手もないし
苦手だったのです。

ふたりは
普通は
出たくなかったのです。

でも
千香は
正弥が出るというので
話す機会だと思って
いつもと違い
積極的でした。

世話役の
例の
看護師は
ふたりを
となり同士に座らせるように
していたので
否応でも
正弥は
千香の隣に
座りました。

焼き肉店でしたので
焼き肉を隣同士に
食べながら
何を話そうかと
頭で考えつつ
黙って
食べていました。





2016年04月29日(Fri)▲ページの先頭へ
ドアシートの張り方

ドアが
古くなったときや
少しばかり傷が付いたとき
傷が付かなくても流行に合わなくなったとき
そんな時は
皆様どのようにされますか。

最近のドアは
ドアと
ドア枠が
1組になっています。

取り替えるときは
枠まで
取り替える必要があります。

古い
ドアなら
枠に合う
ドアの販売はもうありません。

ドアをあたらしくしくするのには
困難が伴います。

そこで
ドアの
リフレッシュする方法は
シートを張る方法です。

最近のシートは
よくできていました。

耐候性も優れています。

そこで
シートを張ることにしました。





詳細はドアもカスタマイズ

ブログ小説「ふたりで行くよ」その36

いつもは
お化粧なんか
殆どしないのに
急にしました。

でも
逆効果だったのです。

正弥も
高校の時に出会った
千香が
気になっていて
今も心の
片隅で
覚えてはいますが
わからなかったのです。

正弥は
わからなかったけど
懐かしい感じは
していました。

そして
気にしていました。

正弥との再会の時間は
すぐに終わってしまいました。

振り返り
振り返り
帰って行く
千香を
正弥は
不思議に
みていました。

その
ことが
正弥の
印象に
残ってしまいました。

千香は
何かしらの用事を
作って
仕事で
正弥の所に
3日に一度は
やって来ていました。

そんなに
やって来る
千香を
正弥の同僚の
気が付く看護師は
コンパに
誘ったのです。

クリスマスの
前々日の
コンパでした。




2016年04月28日(Thu)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その35

冬が来る頃
千香の指導医が
主治医をしている
患者が
整形外科に
転科することになりました。

千香は
患者に付き添って
正弥が働く
整形外科に
いきました。

正弥が
仕事を
しているのをみました。

千香は
整形外科の
担当看護師に
カルテを渡して
説明しました。

説明している間も
何となく
正弥の方をみていました。

担当看護師は
それに気が付きました。

担当看護師は
若いけど
男女のことは
よくわかっていました。

すぐに
ぴんと来た
彼女は
正弥を
呼びました。

正弥は
呼ばれて
千香の所に
やって来ました。

正弥にとっては
病院内では
初めての
出会いでした。

千香の顔を
みましたが
思い出せませんでした。

千香は
いつになく
お化粧をしていたのです。

整形外科に行くことが
わかって
していたのです。












2016年04月27日(Wed)▲ページの先頭へ
AIで小説書けるって本当ですか

AIは人工知能ですよね。

将棋や碁・チェスで
人間を打ち負かすまでに
なってしまった
AIです。


もうすぐ
店番や
レジ打ち
郵便配達
車の運転手なんかも
AIがするんですよね。

少し危険性もあるので
なかなか
障害が多いかも知れませんね。

小説家なら
そんな心配がないので
文壇は
AIの独壇場になるかも知れません。

ひょっとしたら
今年の
芥川賞は
AIだったりして
、、、、、、、、



言っておきますが
私は
AIではありません。

それが証拠に
こんな拙文書いておりますから
そのくらいは
読者のもわかりますよね。







ブログ小説「ふたりで行くよ」その34

そう懐かしく思う
正弥だったのです。

なぜ
「好き」ではなく
懐かしい気分になるのか
千香には
わかりませんでした。

翌日から
正弥の存在が
気になりました。

居る場所が
違っているのですが
同じ病院ですので
会うことも
多かったです。

一方
正弥は
千香の存在を
まだ知りません。

気が付いていなかったのです。

そんな
片想いのような
時間が
過ぎていくのです。

普通の
恋愛ならば
もっと積極的に
近づくところですが
その時は
ただ
懐かしいと言うだけでは
遠くで
みているだけで
満足できたのです。

暑い時期が過ぎ
秋が来て
寒い木枯らしが
吹いた頃に
ふたりの関係は
少しだけ
進むことになります。



2016年04月26日(Tue)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その33

千香は
実習の時にも
「正弥」の名前が
離れませんでした。

正弥正弥正弥が
頭の中を
ゆっくりと
巡っていきます。

それなりに
実習を終えて
お部屋に帰りました。

大学に入ったときから
住んでいる
お部屋は
大学の近くで
高速道路の
横にある
古いアパートでした。

昔の震災でも
潰れなかった見かけは
古いが
頑丈だけの
アパートの
1階が
千香の部屋でした。

勉強のための
本以外は
殆ど何もない
お部屋でした。

千香は
電気を点けて
本棚の
前の本を
少し移動させて
置くにおいてある
アルバムを
出しました。

アルバムを
出して中程の
ページを
開きました。

小さな写真が
貼られています。

その写真を
ジーッと見て
千香は
正弥が
正弥であることに
気が付きました。

あの
懐かしい
正弥だったのです。








2016年04月25日(Mon)▲ページの先頭へ
初任給をもらったときのこと


今日は4月の25日新卒の方が初任給をもらう日です。
37年前私も頂きました。
でも私は初任給を1円も使いませんでした。

当時の私の初任給は115,000円くらいで
その半分近くの50,000円を尼崎市に寄付して
その残りの全額を女房殿に預けて貯金しました。
私は親と同居していましたから生活費は不要です。
それとお弁当を持って行っているので小遣いは全く不要でした。

だから
そんな風に
出来たのです。  

今も
小遣いなんて
使った事はありません。

でも
利益が上がらない
仕事が
趣味の領域だと言われたら
相当使った勘定になるみたいです。


ブログ小説「ふたりで行くよ」その32

正弥と千香は
異性には
人気が
全くなかったのです。

そして
もっと
大きなことは
異性に興味が
なかったのです。

正弥も
千香も
両親がいるし
仕事も
充実しているし
恋愛に
興味が
なかったのです。

同僚や
知り合いからは
草食系だと
思われていました。

なかったのは
運命の出会いを
待つためだったと
後日
思うのですが
この時までは
そうだったのです。

相手のことに
最初に
気が付くのは
千香の方でした。

ある日
食堂で
ランチで
並んでいたときに
千香は
正弥と
ぶつかりそうになりました。

目と目があって
その後
正弥の
名札が
目に入りました。

名札には
もちろん
「正弥」と
書いてありました。

その時は
気が付きませんでしたが
なんか
その
名札の
印象が
残っていたのです。






2016年04月24日(Sun)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その31

正弥は
子供の時から
女友達は
いません。

女友達どころか
男友達も
少なかったのです。

とくに
看護師の専門学校へ
行った頃には
女友達は
皆無でした。

看護師になって
働くようになっても
正弥自体が
積極でなかったのもありますが
彼女は
いませんでした。

正弥は
家族が
いたし
それに
患者の
おばさんの中では
人気の
看護師だったのです。

正弥は
男性の看護師は
女性に
人気がないものだと
思っていました。



千香は
勉強家で
その上
友達も多かったのです。

彼女の周りには
男女問わず
いました。

でも
特定の
男性と
お付き合いするような
雰囲気ではなかったのです。

特に
医学部に行くと
女性は
結婚相手としては
見られなくなるのが
普通だそうで
千香に
そんな考えを持って
近づく男性は
いませんでした。












2016年04月23日(Sat)▲ページの先頭へ
懸賞金50,000円 下のレシピでスポンジケーキを作れる人募集

懸賞金50,000円 下のレシピでスポンジケーキを作れる人募集

ビールを
限度いっぱいに
入れたスポンジケーキを
先日作りましたが
スポンジケーキには
バターも
入れなきゃと思って
入れました。

普通なら
メレンゲの中に
多量のビール
それに泡を消すバターを
入れるなんて
絶対 絶対無理だと
私は思っています。

下のレシピで
スポンジケーキを
普通に作れる人は
メール下さい。

実際に作れる人には
5万円差し上げます。
(但し1名に限る)

私の器械
キスワンを使いますと
大丈夫です。

ビールの
スポンジケーキは
ビールの発酵臭が
気になりますので
バターを入れました。

レシピ
卵2個110g
小麦粉 40g
コーンスターチ10g
大豆粉10g
砂糖40g
ビール100g
無塩バター40g
5atm 15min 170℃40min
ビールを使ったスポンジケーキの募集 懸賞金50,000円付

ブログ小説「ふたりで行くよ」その30

実習生は
各科回ることになります。

でも
残念ながら
正弥がいる
整形外科の
リハビリには
回ってこないのが
予定になっていました。

実習生は
忙しい
ものすごく忙しいのです。

病院の中で
会うこともありました。

カンファレンスや
食堂などで
何回も会っているのに
会っても
互いに
わかりませんでした。

高校の時は
ちゃんと
相手の目を見て
話もして
強く
印象に残っているのに
わからなかったのです。

お互いに
高校の時とは
変わっていました。

正弥は
ひ弱な
感じから
頼れる
看護師になっていました。

千香は
高校の時とは
殆ど同じと
本人は
思っていましたが
女性は
高校生から
大学生への
変身は
相当なものです。

正弥が
記憶していた
高校生の
千香と
7年も経って
医学生になった
千香とは
全く別人に
映ったのです。









2016年04月21日(Thu)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その29

あらすじ
江戸時代の
小作人として
生まれた
弥七とおちよは
過酷な時代を
より良く生きるために
頑張って
生活していました。

何十年も
連れ添って
お互いに
慈しみ合って
暮らすようになったとき
「来性も一緒になろうね」と約束して

この世を去ります。


昭和の終わり平成の始まりの頃
正弥と千香が
この世に生まれてきます。

ふたりは
小学校の時
高校の時
出会いましたが
そのことには
気づきませんでした。

さてふたりは
、、、、、、



正弥が
勤めはじめたとき
千香は
隣接する
大学に
入学していました。

正弥が
最初に勤めたところは
整形外科の
病棟で
力がいる仕事を
一手に引き受けることになります。

正弥が
男性という理由だけで
力があると
見なしているのです。

誰が見ても
頼りなさそうで
力がなさそうな
正弥に対する
大きな誤解です。

しかし
仕事は
容赦しません。

知らず知らずのうちに
正弥は
力が付いてきたのです。

1年も過ぎると
たくましい
看護師になっていました。

そうなると
もっともっと
力が必要な
所に
回されて
より
たくましくなって
いきました。

4年も過ぎると
もう充分な
看護師になっていました。

そこへ
千香は
いわゆる
「医師の仮免許」の試験に合格して
実習に入っています。

2016年04月20日(Wed)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その28

普通の男子なら
女性ばかりの
学校は
「超ラッキー」と
思うところですが
正弥は
そんな風には
思いませんでした。

友達になる様な
学友もおらずに
孤独に
勉強をしていました。

成績が
パッとしない
正弥にとっては
手伝ってくれる
学友がいないのは
困ったことでした。

でも
何とか
頑張りました。

親の
期待に応えるようよう
頑張ったのです。

21歳の春に
幸運にも
准看護師試験に
合格することが出来ました。

看護学校の
先生の間では
「絶対無理」と
思われたいのに
本当に
幸運でした。

看護師は
慢性的な
人手不足ですので
経験の全くない
新卒の
正弥にも
働き口がありました。

バブル後の
超氷河期時代でも
正社員として
勤めることができました。

正弥は
両親の
助言に従って
良かったと思いました。

そして
千香が
通っていた
付属病院に
勤めはじめたのです。


2016年04月19日(Tue)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その27


そこで
いろんな理由を考えて
「先の地震の時に
ボランティアで
行ったとき
医師になりたかった」ということに
しました。

千香は
勉強して
頑張りました。

その結果
西宮の
私立の
医科大学に通うことになりました。

家からは
遠いので
近くに
お部屋を借りました。

高校の時と同じように
元気に勉学に励んでいました。



かたや
正弥は
大学に行くほどの
学力がないと
自他共に
認めるほどでした。

正弥の両親は
心配して
「手に職」を付けることが
必要だと思います。

やはり
医療職がよいというので
看護学校に
行くことになりました。

男子でも
看護士になれる
コースが
出来たので
行くことになりました。

女性ばかりの
学校では
正弥は
大変な目にあいながらも
頑張っていました

2016年04月18日(Mon)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その26

千香は
同学年で
自分より
優れている人間がいることを
初めて知りました。

負けん気の強い
千香は
それから
地図の読み方や
オリエンテーリングなどを
練習したのは
言うまでもありません。

そんなこんな
千香ですから
高校も
頑張って
やっていました。

家業の
散髪屋も
手伝っていました。

頑張り屋さんの
千香は
成績も
比例していて
優秀でした。

高校2年生になったとき
進路を
決めなくてはならなくなりました。

千香は
子供の時から
散髪屋さんに
なりたかったのですが
親は
反対していました。

散髪屋さんの
苦労を
よく知っていた
両親は
反対したのです。

何となくですが
頭の賢い子は
お医者さんに
なったらと
言われて
医学部に行こうと思いました。

単純な
動機で
医師になろうと
考えていたので
不謹慎かとも
思いました。


2016年04月17日(Sun)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その25

班で初めてあったときは
頼りない
人だと思っていたのですが
正弥の
テキパキとした
行動を見て
千香は
少し感動を覚えました。

そして
よーく
正弥の顔を見てみると
懐かしい
感じがするのです。

イケメンとか
格好いいとか
そんなものとは
ほど遠い
正弥でしたが
千香は懐かしく思ったのです。

もう従順に従って
付いていく以外無かったからかも
わかりません。

オリエンテーリングは
坂を上ったり
脇道にそれたり
島の中を
3時間くらい
走り回って
終わります。

千香は
付いていくだけでしたが
班は
3位に
入賞しました。

みんなの前で
表彰状と
粗品をもらって
写真に納まりました。

最後の
お別れの時は
正弥と千香は
互いに見つめあっていました。

住所とか
連絡先とか
聞く勇気は
ふたりにはなかったので
ふたりで写った
写真だけを
持って
別れていきました。


2016年04月15日(Fri)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その24

千香は
病院から帰ってきて
その遅れを
取り戻そうと
焦っていました。

3日目の
オリエンテーリングです。

朝食後
小豆島の地図に示されている
場所を巡って
クイズに答えていくという
ものです。

小さい島ですが
歩いて回るには
大きな島です。

千香は
初めてで
そのうえ
地図が
あまり読めません。

昔から
方向音痴と
言われていたのです。

それに対して
正弥は
勉強や
運動能力は
さっぱりですが
地図だけには
強かったのです。

そのうえ
三度目ですから
よくわかっていて
地図を
サーと見ただけで
わかりました。

みんなに
「こっち」と言って
小走りで
出発しました。

千香は
付いていくしかありませんでした。



2016年04月13日(Wed)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その23



正弥は
何か
懐かしいような
気持ちになりました。

千香は
利発で行動的ですが
美しいとか
かわいいとかいう
表現には当てはまらない
まったく普通の
女性でした。

顔や
姿に
惹かれたというのではなく
ただなんとなく
懐かしく思ったのです。

それは
友達の懐かしさでもなく
親のような
やさしさでもありません。

千香をじっと見た瞬間
電流に感電したかのような
懐かしさを
感じたのです。


かたや
千香のほうも
同じように
感じたかというと
何も感じませんでした。

正弥が
そこにいても
空気のような
存在だったのです。

ただただ
千香は
カッターのときの
恐怖だけが
頭の中に
あって
正弥を
認識するところまで
来ていなかったのです。

2016年04月12日(Tue)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その22

実際は
10分くらいの間でしたが
漁船が救助に来た時には
また海は
なぎってしまっていました。

漁船に曳航されて
港に帰ってきたとき
正弥は
ふらふらでした。

それ以上に
千香は
どうしようもなく
顔が青ざめ歩くのも
おぼつかない様子で
同じ班員の
女性に
助けられながら
船から上がりました。

全員
陸に上がると
救急車が来て
気分の悪いものだけを
病院に
運んでいきました。

正弥の班では
千香だけが運ばれました。

リーダーが
病院に
ついて行ったので
正弥たちは
宿舎に戻り
お風呂に入って
待つことにしました。

夕方
待っていると
リーダーに連れられた
千香が
帰ってきました。

千香は
自分のために
理科教室が
遅れたことを
謝りました。

正弥は
そのとき
千香の顔を
じっくりと
はじめてみたのです。

2016年04月11日(Mon)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その21

しかしその日は
少し違ったのです。

海に出たときは
鏡のように
波のない海だったのですが
沖に出て
帰ろうかと思った瞬間
空が
急に
真っ暗になって
風が強くなり
波が立って
波頭が風で白く
飛ばされるほどになったのです。

カッターは
大きく前後左右に揺れて
今にも
ひっくり返りそうになりました。

リーダーは
波に向かって
櫂をこぐように
いいました。

海のへさきを
波が来るほうに向け
思いっきり
漕いだのです。

正弥も
いわれるがまま
平素は
出ないような力を
出しました。

波のしぶきが
体にあたり
船の中に
海水が入ってきます。

カッターは
重たくなって
漕ぐのも
おぼつかなくなります。

正弥は
とも(船の後ろ)にいたので
ゆれは
差ほどでもなかったのですが
へさきにいた
千香は
上下のゆれのために
体の力を消耗させていました。

夏と言っても
嵐の中では
体の熱も
奪っていました。

カッターに乗っているものには
それは長く感じた時間が
過ぎました。

2016年04月10日(Sun)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その20

同じように班分けして
班長を決める方法も
変わっていませんでした。

正弥は
毎年来ているので
要領も
わかっているのに
班長には
選ばれませんでした。

その年に
班長に選ばれたのは
千香でした。

千香は
初めての参加ですが
利発で
行動的な
性格を
リーダーは
見抜いていました。

この年の
理科教室は
正弥にとっても
千香にとっても
思い出深いものになります。

正弥が入った班の
理科教室の
予定は
リーダーの
指導や
千香の
創造力で
思いのほか
うまく進んでいました。

丸太で
いかだを作って
川くだりの時には
一番になったくらいです。

2日目の
午前中
海が
思いのほか
なぎったので
カッターで
海に出ることになりました。

正弥は
三回目であったので
いつものように
沖までて
競争しながら
港に戻ると
思っていました。

2016年04月09日(Sat)▲ページの先頭へ
サイト管理をしているe6210.comが復旧しました。

先日来より
不通になっていた
e6210.comの不具合を
直すべく
友人に聞きました。

プラグインが
悪いのではないかと言う助言により
プラグインを
更新の新しいものより
無効にしていきますと
原因がわかりました。

削除すると
大丈夫でした。

と言うわけで
一週間
悩んでいた
課題が
解決しました。

助言していただきありがとうございました。

明日から
更新します。


2016年04月08日(Fri)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その19

午前中は
実験をしたり
山を歩いて植物観察をしたり
川で魚釣りをしたりしました。

海が
なぎっているときを
見計らって
カッター訓練をしたりしました。

食事は
子供がすきそうなもので
正弥は
お代わりをしました。

そして
4日が終わって
正弥が帰ってきました。

両親は
日焼けして
精悍な顔つきになった
正弥の
変化に
少し気がつきました。

両親は
2年3年生になっても
同じように
理科教室に
行かせました。。


正弥は
そのような
集団での
行動は
苦手でしたが
親の言うことに
逆らうことも
億劫なので従順に
従っていました。

実験の細かいところ
少しずつは変わっていましたが
3年生になっても
理科教室の
班分けや
内容はほとんど変わりません。

2016年04月07日(Thu)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その18

高校受験も
そんな理由かどうかわかりませんが
地元の
公立校に受かって
親は
安心していました。


正弥の
高校での生活も
それほど目立たず
勉強もほどほどで
すごしていきました。

高校1年の夏休み
正弥は
父親の勧めで
夏の理科教室に
泊りがけで行くことになります。

両親が
正弥の成績が
あまり振るわないことを
心配したのが
理由です。

そういうわけで
3泊4日の
小豆島(香川県しょうどしま)の
教室に行きます。

理科教室は
実験や
実習を通して
理科の興味を高め
ひいては
勉強に励むような
プログラムにしてあります。

班に分かれて
行動することになっていて
男女それぞれ2名ずつ
それに女性と男性のリーダーがつきます。

最初のオリエンテーションがあって
それから
簡単なテストがされます。

班分けの参考にするもので
リーダーは
核となるような生徒と
その他大勢組みとを
見分けているのです。

正弥は
もちろん
リーダーには
その他組みに
認識されました。

班分けが行われて
活動の開始です。

園田は桜名所?

園和公園
全国津々浦々まで
桜が咲き乱れる
季節になってしまいました。

その時まで
生きていて
よかったと思います。

ところで
園田には
桜が
咲いています。

子供の時から
花見に出掛けていた
公園も
桜が満開です。

そんな
園田の桜を
ホームページにしてみました。



園田の桜

2016年04月05日(Tue)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その17

自力で
避難所を
出る人も
多くいましたが
父親の仕事の関係で
遠くの
賃貸住宅は
借りることができないので
避難所暮らしを余儀なくされていました。

梅雨の季節が来ると
仮設住宅に
当たる人がいましたが
正弥の家族は
優先権がないので
もれてしまいました。

だんだんと
体育館の人数が
少なくなってきたときに
ダンボールで
仕切りができて
それなりの
プライバシーも
確保できてきて
正弥にとっては
待ち待った
テレビも見れるようになりました。

今まで住んでいた部屋が
取り壊しになることが
わかったので
父親は
少し離れた
尼崎市に
引越しを決めました。

部屋の荷物を
すべて出して
引越しです。

引越し先は
今まで住んでいた部屋より
小さかったけど
避難所よりは
ましと思いました。

中学校が転校になるので
正弥にとっては
大きな変化ですが
避難所のことを考えると
許せると
思いました。

新しい中学校は
避難所からの転校ということで
みんなは
同情的でした。

先生をはじめ
みんなは
妙にやさしくて
勉強ができなくても
宿題をしなくても
許してもらえました。

そんな理由で
正弥の
勉強は
はかどりませんでした。

2016年04月04日(Mon)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その16

正弥の
父親は
震災復興の
仕事で
会社が急に
忙しくなりました。

避難所には
夜帰ってくるくらいです。

春休みが終わると
正弥は
避難している
体育館から
同じ
中学校の
校舎へ
通学することになります。

通学時間
1分で
教室に到着です。

便利といえば
便利ですが
やはり
体育館での
生活は
大変でした。

朝のトイレが
順番待ちになったり
ごはんは
菓子パンかおにぎり
夜は
並んで
どんぶりものとかでした。

教室に
残ることができたので
そこで
勉強したり
何もせずにすごしたりしていました。

テレビは
みんなが見るものしか
見ることができません。

正弥に
チャンネル権など
あるはずもなく
それが
不満でした。
        

2016年04月03日(Sun)▲ページの先頭へ
4月3日の思い出(再掲です)

私が子供の時に育ち今も住んでいる村は
昭和34年ごろまで
本当に貧乏な寒村でした。

そんな寒村では
年中行事も
経費の面から
いろんなことをできません。

節分・端午の節句・菊の節句・七五参
そのような行事はしたことがありません。
学校では文部省唱歌「鯉のぼりの歌」を
歌ったことはありますが
私の村では一軒の商家を除き無縁でした。

しかしそんな村にも
年中行事はあって
正月とお盆
収穫後の神社の秋祭り
それに大人たちのくつろぎの「伊勢講」です。

正月は前にも言ったように
元日は寝正月
二日目はお年賀
3日目間何もせず
4日目からお仕事です。

盆は
これといった休日ではなく
お寺さんに参ってもらう程度
特に休むということはありません。

神社のお祭りは
関わりのある人は
前日の夜と祭りの日のみ仕事は休み
その他の人はその時のみ休みです。

「伊勢講」は
おかげ参りから派生したものですが
春と秋に
その年の当番のところに集まって
宴席です。
もちろんその時までは仕事です。

すなわち仕事の合間に
行事といったほうがいいと思うくらい
仕事でした。

皆様誤解があっては困るのであえて書きますが
日曜日祝日などでも
もちろん仕事です。

大人たちはこんな風に
仕事に明け暮れていましたから
子供は
どこかに連れて行ってもらえるとか
遊んでもらえるとか言うことは
まずありません。

子供だけで
遊ぶしかなかったと思います。

そんな寒村にも
子供が楽しめる日があります。

それは
「お花見のようなもの」と
「お月見」です。



子供達だけでするお花見は
もちろん大人の協力があってのことですが
楽しい限りです。

素朴なそんな「お花見のようなもの」は
私の村では
「弁当節句」と呼ばれていました。

普通は
月遅れの桃の節句
4月の3日に行われます。

皆様は御存じない方も多いので
想像ができないかもしれませんが
想像をたくましくして
弁当節句の楽しさを共感していただきたいと思います。

以下は物語ですが、
当時をうまく再現できていればいいのですが、、、
(文中弟は私です。
伏字になっているのは実在のものです。)


明日は
4月の3日
ゆったりと藻川が流れる寒村にも
春の息吹がどことなく聞こえてきます。

遠くには
田起こしをするために
牛を使って鋤を引っ張っている
村人も
春霞の中に見られます。

母親は
橋を越えて住宅にある市場まで
明日の用意のために
海苔とカンピョウ・高野豆腐を買ってきました。

子供は
小学校4年の姉と1年生の男の子です。
姉は弟に
「明日は弁当節句だよ
賢くしていないと
「けと」(短気の方言)のお父さんが
『やめておけ』というかもしれないから
明日の朝出かけるまでは
静かにするんだよ。
そうしたら
明日は楽しい弁当節句なんだから

みっちゃんやよしおくんら皆と
行けるからね
静かにするんだよ」と
言って聞かせました。

弟は
いつもにも増して
父親の前では
賢く振舞うように心がけました。

ご飯を食べる時も
お膳の前に正座して座って
背筋を伸ばして
「いただきます」と言ったきり
静かに食べました。

弟は
明日のことが待ち遠しくて
はしゃぎたくなる気持ちを
ぐっと押さえていました。

無言の食事が終わって
お膳を各自が片付け
棚に仕舞った後も
弟は
ジッと座っていました。

横になったりあくびでもしようものなら
父親の一喝があるからです。


食後のラジオがつけられると
少しだけ
楽にできますが
無駄口を言って
父親の機嫌を損ねたらいけないので
ジッと座ったままでした。

時間が来て
母親に寝るように言われると
寝巻きに着替えて
父親と母親の前に座って
「お父ちゃんお母ちゃんおやすみなさい」と
手を付いて挨拶した後
布団の中に入りました。

わくわくした気持ちが
ありましたが
直ぐに眠りについてしまいました。

そのあと
母親は
麦とお米を洗って
鍋に仕掛けました。



翌日ご飯を炊く音で目が覚めた
弟は
服を着替えて
母親に
「お早うございます」と挨拶しました。

姉は固い雨戸を
開け始めました。
弟も行って手伝いました。


そのあと
土間の流しのところで
金タライに水を汲んでもらって
口をすすいで
顔を洗いました。

自分の手ぬぐいで顔を拭いて
台所まで帰ってくると
朝の間の仕事をして帰ってきた
父親に
「お早うございます」と挨拶しました。

父親が
足や手を洗っている間に
姉はお膳を並べ
母親はヘッツイさんから
釜を持ってきました。
お味噌汁と
お漬物が並べられました。

弟は
お膳の前に座って
父親を待ちました。

父親が座ると
家族全員で「いただきます」と
合掌してから
食べ始めました。

いつものように
背筋を伸ばして
食べていた弟ですが
少し足がしびれて
姿勢が崩れると
父親の鋭い眼光が光りました。

慌てて弟は
姿勢を正して
事なきを得ました。

それを見ていた姉は
ハッとした様子でした。

「ごちそうさま」の唱和のあと
父親の「作業」と言う声と共に
立ち上がり
父親は
仕事に出かけて行きました。

姉と弟は
お膳を片付けました。

こんどは、
母親は、白米だけを仕掛けました。

そのあと
カンピョウと高野豆腐を
水につけました。

鳥小屋から
卵を持ってきて
卵を割って
かき混ぜ
卵焼きを作り始めました。

卵焼きのいい香りが
家にただよいます。

鶏を飼っていて
毎日卵を産みますが
卵焼きを食べるのは
正月以来でしょうか。

弟は
台所で
母親の仕事を
見ていました。

卵焼きを
水屋に仕舞ったあと
母親は農作業に出かけていきました。

弟は水屋の中の
卵焼きを
しげしげと見ていましたが
手を付けることはありませんでした。

姉と弟は
昼までの辛抱と我慢しながら
家で遊んでいました。


昼の11時を少し回ったころ
急ぎ足で母親は帰ってきました。
手を洗う前に
母親は
ヘッツイさんに
火を入れてご飯を炊き始めました。

白いご飯だけの香りは
麦ご飯の臭いとは
全く違ういい香りです。

弟は
もうわくわくして
思わず叫びそうになるくらいでした。

母親は
火をくべながら
手を洗い
カンピョウと高野豆腐に味をつけて炊きました。

卵を帯状に切って
皿に並べました。

カンピョウは高野豆腐も切って
並べました。

生姜を漬けた
壷から
生姜を取り出し
切りました。

ご飯も音がして
炊けたの
少し蒸らした後
木の桶に入れて
酢と砂糖を混ぜたものを切るように混ぜました。

姉が呼ばれて
うちわで扇いで冷ましました。

母親は手際よく
海苔を敷きご飯を均等に並べて
その上に卵とカンピョウ・高野豆腐・生姜を上におき
巻いていきました。

20本近く巻いて
そのあと
水をつけた
包丁で切り始めました。
それを
まず皿の上に
切り口が上になるように
丸く並べ
二段三段とと積み重ねていきました。

皿に載せたのは
父親の分です。

もう一皿
母親の分を並べ
そのあと
洗った重箱のに
今度は横に並べました。  

重箱に
綺麗に巻き寿司が並ぶと
姉は
待っていたかのように
蓋をして
風呂敷に包みました。

姉と弟は
下駄を履いて
「行ってきます」と母親に言って
風呂敷に包んだ重箱を持って
家を出ました。

弟は
重箱を持ちたいと言いましたが
落としては大変なので
姉が持っていました。

その代わり
弟は
門(かど)にあった
ござを持って
家を出発しました。


弟が大き目のござを持って
姉が風呂敷に包んだ重箱を持って
まず近所の家に向かいました。

そこの家には
数人の友達が集まっていて
皆で連れもって行くことになりました。

村の中を通る
有馬道を外れ
春の草が
わずかに生えた
野道を
北に向かいました。
小川のせせらぎが流れていました。

遠くには六甲の山々が
春霞の中見えました。
風もない穏やかな天気で
今日の弁当節句には
格好の日和でした。

年に一度の
子供の楽しみの日になる予感がしました。

弟はうきうきした
気分で大きなござをもって
姉の後ろを
ゆっくりと歩いていました。

空にはところどころ
「ぴーちく ぱーちく」とヒバリが鳴いていました。

ヒバリは空の同じところでずーと鳴いていて
弟はその下にでも巣があるのかと思って
探しましたが
いつも見つけられませんでした。

姉やもう一人の大きなお姉さんが
「ここにしましょう」と
声をかけました。

弟は待ちに待った時がきたと思いました。
そこは
小高くなっていて
小さな梅の木があって
梅の花はもうすでに終わっていましたが
少し出た葉っぱが
青々と春を感じさせました。

弟はござを敷いて
下駄を脱いで
その上に上がりました。
姉もその上に風呂敷をおいて
開けました。

弟に
こぼさないようにと言って
弟の前に弟の重箱を置きました。
弟はそんなこぼすような
へまなまねはしないと
心の中で思いつつ
眼をキラキラ輝かせて
ふたを開けました。

姉自分の分の重箱を取り出し
前に起きました。

皆はおもいおもいの方向を見て
「いただきます」と言って食べ始めました。

遠くの山々
山まで続く田んぼ
ところどころの家々・鎮守の森
近くには小川
空には白い雲
そして
ヒバリの鳴き声
こんな中で食べる
三ヶ月ぶりの白いご飯の巻き寿司が
美味しくないはずはありません。

今なら
山紫水明
山青くして水あくまでも清い
と表現でもするのでしょうが
当時は全くそんな言葉を知らない弟は
ただただ
楽しくて
嬉しいと思いました。

弟に限らず皆は
一口で
お寿司を食べると言うことはなく
少しずつ
箸でつまみながら
食べました。


巻き寿司を
ふたつほど食べたら
大きいお姉ちゃんが
「じゃ次のところに行きましょう」
と声をかけます。


弟は
その声で
箸をおき重箱のふたを閉めます。

姉は風呂敷に重箱を包み
弟はござをくるっと丸めました。

姉と大きいお姉ちゃんの先導で
田んぼの畦を西に向かいます。

今度は隣村の神社に向かいます。

お昼を告げる
各村々のサイレンが
鳴り響きました。

のら仕事をしているお百姓さんたちは
仕事の手を止め
昼ごはんに帰り始めました。

知り合いの村人と
お姉ちゃん達は
挨拶をして
ゆっくりと鎮守の森に着きました。

そこには
大きな木が何本もあって
夏には
森になってしまいますが
まだ春先の
今は
新芽を出している木も
少なく
日が差し込みました。

その場所で今度は
丸くござを引いて
向かい合って座りました。

平素おしゃべりして
食事をしたことがない
子供達でしたが
その日は大人もいないので
「今度はあの木に登って遊ぼう」
とか
「お人形さんを買ってもらった」
とか
話しながらゆっくりとお寿司を食べました。

弟も
姉達の話を聞きながら
おしゃべりしながら
食べるのも良いものだと思いました。

お寿司をまたふたつ食べました。
お姉ちゃんは
話に夢中で
まだまだ時間はありましたが
全部食べては
もったいない気がして
箸をおいて待っていました。

ひとしきり話した後
「じゃ次のところに行きましょう」と声が上がりました。

弟は同じようにござを丸めて
準備をしました。

「今度は、○○さんちに行きましょう。
あそこの桜はとても綺麗だから」
と言いました。

田んぼの畦を
ゆっくりと歩いて
行きました。

太陽は春霞で
穏やかに輝き
気持ちが本当にいい日でした。


穏やかな陽光の中
○○さんの家に着きました。

○○さんは、農地改革があるまで
付近の村々に
田んぼを持っている
有名な大地主で
その家は
後に文化財に指定されるような
お家に住んでいました。

その家の庭には
当時は珍しい桜の木があって
ひときわ目立っていました。


その木が見える畦に
今度は一列に並んで
ござを広げて
食べ始めました。

弟は少し坂になった
ござの上で
重箱が転げ落ちて
お寿司が食べられなくなるのを
心配しながら
食べました。

同じように
弟は
お寿司をふたつ桜を見ながら食べました。

その場で少しジッとしていたので
弟は
眠たくなりました。

姉に重箱を返して
弟はござの上で
横になって
空を見ました。

平素なら
食べた後
直ぐ寝ようものなら
「牛になるぞ」と
父親の一喝があるのですが
今日はそのようなことはありません。

空の雲を見ながら
楽しい気分に浸っていると
寝てしまいました。

どれくらい寝たのかわかりませんが
「行きましょう」の声で起こされて
眼をふきふきしながら
ござを丸めました。

「今度は線路の桜を見ましょう」と
大きいお姉ちゃんが言い出しました。

弟の住んでいた村の真ん中を
阪急電車が通っていたのです。
阪急電車は
線路沿いに
桜の木を何本も
植えていました。
それは桜の帯になっていたのです。

弟の家は
線路のそばにありましたから
その桜は
毎日のように見ていました。

子供達の一行は
藻川の堤防の上の
線路の桜と
藻川の流れが見える場所に
ござをおもいおもいに敷きました。

太陽が西に寄って来たので
眩しかったこともあり
弟は藻川が見える
東向きに敷きました。


同じように重箱のふたを開け
4度目になって
もう残り少なくなったお寿司を
懐かしむように
もっとゆっくりと食べました。

一口食べては
遠くの生駒の山々を
もう一口食べては
春霞にシルエットだけの大阪城を
それから
ゆったり流れる藻川を
みながら
味わって食べました。

友達の中には
全部食べてしまった子らがいて
走り回って遊んでいる者もいました。

弟は
そんな子を
横目で見ながら
「おいしいものはゆっくりと味わわないと
もったいない」と
思いながら食べました。

どんなにゆっくり食べていても
食べたらなくなってしまうのは当然ですが
弟の重箱も
すべてなくなってしまいました。
重箱の壁についた
海苔のかけらも
箸で丹念に取って食べてしまいました。

姉に重箱を渡し
弟は
満ち足りた気分になりました。

弟はこの幸せが
ずーと続くと
思うほど幸せな気分でした。

他の子供のように走り回ることもなく
辺りを見回しました。

藻川の堤防は
最近大改修があって
綺麗な
台形の形になっていました。
川の流れは
ところどころに瀬ができており
その間は
ゆったりと流れていました。

遠くからでも
川の中に魚の
黒い影が
行ったり来たりしているのが
見られました。

弟が座っているところから
少しはなれたところに
橋がありました。

橋は真ん中だけがアーチ型の鉄橋になっていて
両端は木の橋でかけられていました。

すべて鉄橋だったんですが
戦後間もないころ
台風の大水で
両端が流されて
木の仮設橋になっていたのです。

そんな橋を見ながら
また弟はうとうとしてしまいました。


何時間寝ていたのかわかりませんが
夕日が六甲の方角に
なった時
姉は弟を起こして
家に帰るようにいいました。

弟は
ござを丸めて
家に帰りました。

家に帰ると
母親が帰ってきて
「今日はお風呂をたてるから
水を汲んできなさい」と
言われました。

姉と弟は
近くの小川から
バケツで水を汲んでは
お風呂桶に
入れました。

姉は大きな金バケツ
弟は小さな木桶で運びました。

何度も往復して
やっと一杯になったころには
西の空は
真っ赤に染まって
六甲の山の稜線だけが
見えました。

母親が
わらに火をつけて
風呂の焚口に
入れました。

そのあと姉は
わらを丸めては投げ込む係
弟は少し離れたわらの倉庫から
わらを運ぶ係になりました。

とっぷり暗くなったころ
父親が帰ってきました。

「おかえりなさい」と
言って
今日は笑顔で
弟は父親お迎えました。

父親は服を抜いて
先に風呂に入り
そのあと
姉と弟も風呂に入りました。

弟は
疲れましたが
きっちり座って
ご飯を食べました。

眠たいのがわかったのでしょうか
母親は
弟に「今日はもう寝ましょう」と声をかけました。

弟は急いで
寝巻きに着替え
座って挨拶をして
お布団の中に
もぐりこみました。

直ぐに寝入ってしまいました。

楽しい弁当節句の夢でも
見ているのでしょうか
寝顔は笑っているように
姉には見えました。






これで
お花見とお月見終わります。

お月見については
またそのころ
覚えていましたら
書いてみます。

昭和30年ごろの
風景が
頭の中に
浮かんできましたでしょうか。

私は
昨日のことのように
懐かしく思います。

その時怖かった
父親は今はいません。

母親も
96歳でこの世を去りました。

数々の幸せをもたらしてくれた
母親には感謝しておりますが
その恩返しができていません。
親不孝な私です。

「親の恩は返せるようなものではなく
噛みしめるもの」という
ご住職さんの言葉に
助けられている毎日です。

ごめんなさい。


















2016年04月01日(Fri)▲ページの先頭へ
桜が満開

老木ほど
桜は
早く満開になるようです。


私が
子供の時から
よくお花見していた
園和公園の
桜は
満開です。

たぶん
戦前に植えられた
桜だと思います。


園和公園