ロフト付き は、おもしろい - 2016/03

ロフト付き って良いですよね。隠れ家というか何というか。
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2016年03月31日(Thu)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その15

千香が
ボランティアに
学生生活に
活躍している頃
正弥は
目立たぬ
学生でした。

地震にあって
正弥の家族が住んでいる
お部屋自体は
ほとんど
被害はありませんでした。

部屋の中の家具は
倒れて
しまいましたが
正弥の家族に
ケガはありませんでした。

住み続けることが
出来ると思っていたのですが
それが
出来なくなっていたのです。

市の検査官が
緊急に被害調査をして
正弥の住んでいる建物全体を
「全壊」に指定して
立入禁止の
張り紙を張ってしまったのです。

そのため
正弥は
近くの
小学校に
避難を余儀なくされます。

すぐに
避難しなかったため
身を休める所が
あまり良い場所を
確保できなかったのです。

体育館の
入り口近くの
中央付近しか
空いていなかったのです。

プライバシーなど
全くない所です。

テレビ局のカメラが
昼とはなく
夜とはなく
撮影するのです。

正弥は
口を開けて
ぽかんと寝ている様子を
撮られてしまいました。





今年も桜の花が咲く時期まで、、、

春になると
不景気とか
好景気だとか
戦争だとか
平和だとか
水道が普及したとか
テレビが家に来たとか
そんなこととは
全く関係なく
桜が咲くのですよね。


そして桜は
示し合わせて
一斉に咲くのですよね。

満開になって
そして
散って
春は終わると
新緑の夏が
いつものようにやってきます。

私は
6月生まれですので
64回目の
桜の時期まで
生きてきました。

この歳になると
一日逃れで
日々過ごす毎日です。

また暑い夏の時まで
いや
しっとりと濡れた梅雨の時期を
待つことにします。











2016年03月30日(Wed)▲ページの先頭へ
「頭の片隅にもない」は「頭の中央に」にあることなの?

「衆参同一選挙は頭の片隅にもない」は
「頭の真ん中で考えています」と言うことでは
ないですよね。

「片隅にも」の
"も"は
それ以外のすべてを含むことですから
片隅を含むすべての頭の中で
考えていないこという意味だと
思います。

後者の意味で言うなら
「衆参同一選挙は頭の片隅にはない」と
言わないといけないのではないでしょうか。

我が国の首相に
そのようなことを
言って申し訳ございません。

でも
話によれば
衆議院の解散については
べつに
「ウソ」を言っても良いらしいので
言葉尻を
つかまえて
言うのは
全然意味がないみたいです。

だったら
そんなことを
報道しないで欲しいと
思ったのですが
適切さを欠いたでしょうか。

すみません。




ブログ小説「ふたりで行くよ」その14

父親に
ボランティアのことを
千香は
話しました。

父親は
すぐに
ボランティアの窓口に
なっているところに
連絡して
散髪の
ボランティアが
出来ないか
尋ねました。

しばらく経って
連絡があって
小学校で
散髪のボランティアの
依頼がありました。

次の週の
月曜日
朝早く
父親と母親は
出掛けていきました。

それを
見送りながら
千香も
行きたいと
思ったのですが
学校があるので
行けませんでした。

翌週は
春休みになったので
両親と一緒に
行くことになりました。


行った先は
北野に近い
小学校で
始めました。

両親は
手際よく
散髪していきました。

そんな間を
千香は
掃除をしながら
手伝っていました。

ちょうど
ニュース番組の
テレビも来ていて
報道されたのです。

そんな中
正弥の家族も
並んで座っていました。

テレビのニュースには
散髪する両親と
掃除をする子供が
報道されたのですが
その背景に
正弥も
映っていました。

両親は
テレビを録画して
写真にもして
店に飾りました。

店には
千香と
正弥の写真が
飾られていました。





2016年03月29日(Tue)▲ページの先頭へ
シクラメンはたくましい!!らしい

アパート
緑化計画を
続けております。

一昨年
露地にシクラメンを植えました。

シクラメンは
冬の花なので
昨年の
初夏に
枯れました。

今年の初め
芽がでてきて
花を咲かせました。

葉っぱが
それ程ないのに
花が
たんと
咲きました。

「シクラメンはたくましい!!」
としか言えません。






2016年03月28日(Mon)▲ページの先頭へ
マルチタスクは疲れます。

私は
ウインドウズ95が出たときに
パソコンを習うために
近くの高校の
夜間コースに行きました。

私のパソコン歴は
言うなれば
ウインドウズとともに
生きてきました。


成長したと言いたいのですが
残念ながら
成長はしていません。

それまでの
MS-DOSが
シングルタスクなのに対して
ウインドウズは
マルチタスクで
いろんな仕事が
たくさん出来るのです。

同時に
たくさんの仕事が
出来るのが特長です。

実際は
小刻みに
処理しているらしいのですが
表面上は
同時にしているのです。

コンピューターなら
そんな事ができますが
人間は
そんなことをすると
非常に
疲れます。


今日は
私は
メインの
修理の仕事(工程に分けると3工程です)と
お客様からの
要望を片付ける仕事
それに
偶然舞い込んだ用事と
少し込み入った電話2件を
処理する必要がありました。

マルチタスクです。

ひとつの仕事をしながら
電話を受け
仕事を中断して
用事を片付け
すべてを処理したのは
午後4時でした。

平素より
仕事が
早く終わったのですが
疲れてしまいました。

ものの本によれば
人間は
マルチタスクに向いていないそうで
疲れる原因かも知れません。


今日は疲れました。
疲れました。








ブログ小説「ふたりで行くよ」その13

以前の
お家より
小さくなってしまって
両親は
悲しんではいましたが
正弥は
小さなロフトが
付いている
この家を
気に入っていました。

父親の
就職が
なかなか決まらないので
母親は
パートタイマーとして
働き始めました。

学校が
終わった頃に
仕事から母親は
帰ってくるので
正弥には
ほとんど問題はありません。

正弥は
父親や
母親似て
背は高かったのですが
何か
ひょろっとしていて
頼りない感じで
どこにでもいる小学生より
すこし
見栄えは悪かったのです。

そればかりか
成績も
低空飛行で
はっきり言って
良いところはありません。

しかし
両親は
誉めて育てるという
教育方針を
つつがなく
貫いていて
正弥自身は
大丈夫と
思っていたのです。

劣等感も持たず
おおらかに
大きくなっていったのです。









2016年03月27日(Sun)▲ページの先頭へ
ベルギーのアクセントは後ろです。

以下の記述には
間違いがある恐れがありますので
ご自身でお調べ下さるか
スルーして下さい。


テロは怖いですよね。

戦争ですから
怖いです。

世界各地で
テロは起こっていますが
ベルギーでも
起こってしまいました。

ところで
ベルギーは
フランス語
オランダ語
ドイツ語が
話されるようです。

ニュースでは
ベルギーのアクセントが
前にある人と
後ろにある人がいるようで
どちらが正しいか
調べたのですが
もっと違うことがわかってしまいました。

ベルギー国内では
自国のことを
ベルギーとは言わないそうです。

だったら
ベルギーの言葉は
英語かと思ったら
英語では
「ベルジョン」(前にアクセントあり)と言うらしいので
ベルギーではないのです。

では
ベルギーは
何かというと
「ラテン語」です。

ラテン語は
死語です。

今話す人達はいません。

そんなラテン語の国名
ベルギーだったんです。

そして
ラテン語の
ベルギーのアクセントは
前ではなくて
後ろにあります。

ベルギーを
後ろにアクセントを付けて
発音する人は
すっごく
偉いですよね。



















ブログ小説「ふたりで行くよ」その11

まず
正弥から話は始まります。

正弥の
父親は
商社に勤めていて
それなりの職にありました。

神戸の一等地
北野に
戸建てを買って
住んでいました。

もちろんローンです。

母親は
同じ会社に
勤めていた
女性ですが
正弥が
生まれるのを機に
会社を辞めて
専業主婦となりました。

正弥が生まれた頃は
バブルの時期で
父親の
会社の業績は
極めてよく
それで
正弥も
子供なりに
贅沢をしたらしいのですが
正弥には
記憶がありません。

オーストラリアや
ハワイに行ったり
東京ディズニーランドに行ったり
したらしいのですが
写真だけの記憶です。

小学校に行く頃になると
父親の
会社は
財テクの失敗から
残念ながら
倒産してしまうのです。

高収入を
あてにして
蓄えがなかったので
ローンは
すぐに
払えなくなりました。

そこで
両親は
持ち家を
売却して
借金を精算し
近くの
貸し家に移ることにしました。








2016年03月26日(Sat)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」 その10

時間は
過ぎて
今から
30年前(1986年)
になります。

バブル期の頃です。

普通の
サラリーマンの家に
正弥が
3年遅れて
散髪屋の子供として
千香が
生まれてきました。

正弥は神戸
千香は京都の亀岡に
に生を受けたので
簡単には
ふたりは
出会うことはありません。

前置きが
あまりにも長くなりましたが
今後
この物語は
ふたりの間を
行ったり来たりします。

出会って
相手を
同じように
慈しむようになるまでに
時間を要してしまいます。

ついでと言ったら
何ですが
この物語では
夫婦の
終局の
関係は
慈悲だと思います。

愛は
仏教用語では
愛欲の愛で
動物が持っている
本能の愛です。

いわゆる
人間愛とか
人類愛とか
長年連れ添った
夫婦の愛は
慈悲と言います。

慈しむことなんです。

弥七とお千代の
互いの思いは
それは
慈悲だったんです。

愛欲から
遠く
高く
崇高な
慈悲に
なっていたのです。










2016年03月25日(Fri)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その9

弥七と
おちよの
話は
体が弱くなって
最期が見えてきて
来世の話にも
よくなりました。

法事などで
住職さんが
法話を
話された内容を
受けたものです。

人は死んだら
極楽に行って
その後
生まれ変わるという
考え方です。

弥七の家は
門徒ですから
現世がどのようなものであっても
阿弥陀仏が
必ずすくってくれると
教えられていました。

輪廻の考えと
混ざって
生まれ変わるのだと
思っていたのです。

おちよが
「来世で
また同じように
夫婦になりたいものです」と
言ったのを受けて
弥七も
「俺もおなじ

同じように
会えて
夫婦になろう」と
答えました。

本当に
仲の良い
夫婦だと
村中の人は
思っていました。


どんなに
夫婦が
慈しみあっていても
別れはあります。

弥七は
58歳
おちよは
少し遅れて
63歳で
この世を去ることになります。

ふたりは
村はずれの
墓地に
並んで
葬られました。








2016年03月24日(Thu)▲ページの先頭へ
「可愛い」は永遠の誉め言葉?

可愛いと言う言葉は
魅力的ですよね。

例えおっさんでも
悪い気はしないかも知れません。

話は変わって
私は
ロマンチックなものや
ファンタシックなな物が好きです。

「きもい」と言われようとも
好きなので
そんなドラマを見ています。

そんな中に
「スミカスミレ」があります。

65才の女性が20歳に戻って
人生をやり直すという
マンガの原作をドラマ化したものです。

(詳細はインターネットで検索を)

そのドラマの中で
主人公が
若いイケメンの男性に
「可愛いね」って
言われるのです。

本当は
65才の女性は
「『可愛い』って言われたのは
親以外にありません」とつぶやくのですが
そのセリフが
心に残って
離れません。

私も
小さい時に
何度も「正治は可愛いね」と
母親に言われたことがあります。

母親は
苦労人で努力家で
企業家でその上教育熱心でした。

私のような
出来の悪い人間を
誉めて育ててくれて
「まあまあ」の
人間になれました。

「可愛いね」は
優しい
言葉ですよね。











ブログ小説「ふたりで行くよ」その8

弥七と
おちよは
信じられないくらい
同じ時を過ごしたのです。

暑い夏も
寒い冬も
過酷な農作業の時も
夜なべの時も
過ごしました。

そんな時に
今までのように
黙って
仕事を
していることも
多いのですが
それとは
別のことも起こりました。

ふたりのよる年波には
勝てません。

腰が痛くなったり
目が疎くなったり
耳が遠くなったりしました。

そんなところを
見た
弥七は
気遣いの
言葉を
おちよに
言ったりもしました。

同じように
おちよも
弥七に
同じようなことを
言うこととなります。

そんな
相手を気遣う言葉が
きっかけとなって
話が
始まって
広がっていきました。

話してみると
楽しいことが
わかったのです。

止めどもなく
出てくる話題に
ふたりは
熱中しました。

もちろん
仕事をしながらのことで
他の者が
いないときです。

弥七も
おちよも
お互いに
「無口のように見えて
おしゃべりだ

わたしも
おしゃべりだったんだ」と
気が付いた次第です。




2016年03月23日(Wed)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その7

おちよは
最初の内は
単に
「旦那様に服従」していました。

年月が過ぎていくと
服従ではなく
「期待に応えたい」
「優しさを与えたい」というような
願望が
そうさせていくように思いました。

弥七も
「言ったことを
努力しながら
こなす
おちよに
思いやり」を
感じるようになりました。

互いに
愛おしく思えば思うほど
お互いの
行いは
優しくなっていきます。

それから
10年経って
弥七は
結婚した
長男に
家督を譲ります。

家長の権限を
譲ったのです。

いわゆる
隠居です。

隠居したからと言って
ふたりは
仕事を
しないと言うことはなく

朝早くから
夜遅くまで
仕事に明け暮れていました。

ひとつ違うことは
今までは
おちよは
家事全般の
責任があったので
弥七と
仕事を
一緒にする時間は
少なかったのですが
隠居後は
家事を
長男の嫁に
譲って
ずーっと
一緒に
仕事をしていたのです。

朝起きたときから
夜寝るときまで
弥七とおちよは
一緒にいたのです。











2016年03月22日(Tue)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その6

ふたりの間の
会話もほとんどないし
意見のすれ違いなど
あり得ません。

弥七の
仕事や
家事に関することは
的確ですし
絶対に服従するのが
妻の勤め
家人のつとめですから
逆らうことなどありません。

それに
嫌な仕事は
率先して
弥七が
しますので
反感を感じることも
なかったのです。

弥七の
父親が
なくなり
家督を
継ぐようになって
弥七は
責任が
重くなりました。

ちょうど
幕末の頃で
時代は
変わっていきますが
村の様子など
全く変わりなく
過ぎていきました。

何年かに
一度の
干ばつや
台風などに
傷み付けられながらも
必死に
農業に勤しんでいました。

弥七の
叔父さんや
叔母さんが
次々なくなり
子供が
農業の手伝いをする
世代交代が
進んでいました。

ふたりが
出会った時は
他の人に
決められただけだったけで
特に
思い入れもなかったのですが
15年の歳月が過ぎると
ふたりは
話をしなくても
通じていると
お互いに思っていました。



2016年03月21日(Mon)▲ページの先頭へ
人材は宝?

以下の文章には
誤りがあるかもしれません。

ご自身で吟味していただくか
スルーしてください。


今日のニュースを聞いていたら
防衛大学校で
自衛官に任官の希望を出さなかった方が
1割を超えたそうです。

先日のニュースでは
大阪市教育委員会では
教師任用試験を学力重視すると
発表してました。

同じくニュースで
パナソニックでは
介護休暇を超優遇するそうです。

これらのニュースには
人材を
どのように集めるか
事業は人材だということを
示唆しています。

一番目の
自衛官の任官が減少したのは
やはり
安部政権の「積極的平和」政策で
危険が大きくなると判断したのでしょう。

誰だって危険な危ない仕事を嫌います。

平和のためだといっても
犠牲になるのは個人ですし
優秀な人材は集めにくいでしょうね。

二番目の大阪市教員試験については
校長公募制度で教師からの登用が減少すると
みんながそのように思ってのことです。

優秀な人材は別の府県を受験することになって
大阪に集まるのは
「ちょっと」の人だけになった結果です。


いまさら試験で制度を変えても
たぶん無理としか言いようがありません。

三番めのニュースは
業績不振が続いて
志望者が減ったことへの対策の一環です。

思い切ったこの方法で
優秀な人材の拡散を防ぎ新たに優秀な人材を
集めようとしているものです。



いずれにせよ
今の資本主義では
資本はあまるほどあり
よき方法を見つけ出すと
そのリターンは
有り余るほどのものがあります。

その方法を見つけて
実施するのが
人材なんです。



 




ブログ小説「ふたりで行くよ」その5

弥七が
お千代の顔を
明るいところで
はっきりと見るのは
翌日
朝の仕事から
終わって
家に帰ったときです。

朝日に照らされて
輝いている
おちよを見たとき
弥七は
「おちよは
こんな人だったんだ」と
気が付いたのです。

それは
おちよにも
同じことで
「旦那様は
こんな方か」と
思った次第です。

食事の時も
仕事の時も
無駄口を
しゃべることは
江戸時代は
絶対禁止ですから
話をすることは
必要最低限です。

朝の挨拶や
仕事の内容など
が主で
優しさの表現など
あり得ません。

過酷な農作業を
ふたりはこなしながら
5人の子供を産み育て
15年の歳月が過ぎました。

弥七は
40歳
おちよは
3歳年下ですので
37歳です。

15年連れ添って
全く
ケンカもしていませんでした。





2016年03月20日(Sun)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その4

弥七は
選ばれ
結婚することになります。

近村の
よく働くと評判の
女性が
紹介されました。

結納金が
弥七の
父親から
支払われてから
女性が
嫁いできました。

夕方
家の前に
紋入り提灯が
飾られて
火が入った中
やって来ました。

女性なの名前は
ちよ
と言います。

当時は
女性には
必ず
名前の前に
「お」をつけて
おちよと
呼ばれていました。

おちよは
太ってはいませんでしたが
背が高く
骨組みもしっかりしていて
日焼けをしていて
精悍な顔つきの
女性でした。

美しいとか
可愛いとかには
ほど遠い存在でした。

特に夏が終わったころなので
真っ黒に日焼けしていて
その上
夕闇に紛れ
花嫁衣装のために
顔など
弥七には
わかりませんでした。






園田のライブカメラは頑張っています。

「園田のライブカメラ」と
検索すると
私どものライブカメラのページがが出て参ります。

何分
技術が
低いので
ライブの動画は表示されませんが
アクセス時の静止画は見えます。

この
ライブカメラを撮影している
ウエブカメラは

カバーが潰れてしまいましたが機能しています。
新しいものは設定の仕方がわかりませんので続けて使っています。
頑張っているウエブカメラです。

お昼間なら現在の園田の空が見る事ができます。
雲があれば流れていくのが見えると思います。


2016年03月18日(Fri)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その3

間違った子供を
結婚させて
跡継ぎにさせると
家が成り立ちません。

家が崩壊すれば
一家全員が
路頭に迷い
餓死が待っています。

絶対に
健康で
よく働き
残りの家人からも
慕われ
その上
子孫も残せることが
必須条件です。

それを
見極めるためにも
相当な年齢になるまで
結婚が
許されません。

家を継ぐことが出来る
子供だけが
原則結婚できます。

その相手になる
女性選びは
容姿とか
体型では
絶対に選びません。

絶対に健康で
よく働き
他の家人に
尽くせるものが
選ばれます。

当時の
農業や
家事は
力がいりますから
男性も
女性も
大柄で
力があるものが
選ばれることが
多かったのです。

女の子供を
嫁に出すことは
働き手を
失うことですので
その
代償として
結納金なるものが
納められる
慣習が
あったのです。

結婚できない
兄弟は
部屋住みとして
一生結婚せずに
家に残って
農業の
重要な
働き手となります。



2016年03月17日(Thu)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ふたりで行くよ」その2

先ず前世から始めます。

いまから
百数十年前
江戸時代の
終わりの頃から始めます。

ところは
摂津の国
川辺郡(かわべごおり)の
小さな村です。

その村は
歴史は充分にありますが
今は
小作人ばかりが
暮らす
貧しい村でした。

村はずれに
屋号が
カネスという
一家に
長男として生まれた
弥七がいました。

当時の村では
誰でもそうですが
「朝は朝星
夜は夜星」の働きです。

そんなよく働く
弥七には
6人の兄弟がいましたが
成人したのは
弟ふたりと
妹ひとりで
ふたりは
子供の頃に
亡くなりました。

当時では当たり前のことです。

そして
現代では
絶対に考えられないことが
結婚できる
男子は
ひとりだけです。

弥七が結婚できるか
弟の誰かが
結婚できるかは
父親の
胸の内です。

結婚できる者は
家を
任せられる
人間に
限られていたのです。










2016年03月16日(Wed)▲ページの先頭へ
ブログの更新が途切れ途切れになって

しばらくの間
ブログの更新が
飛び飛びになっていました。

毎日更新をしていたのですが
些細な
理由で
出来ませんでした。


理由は
全く個人的な問題です。

それまでの
私は
ブログの
アクセス数を
気にしていました。

ブログのサイドバーに
「あなたに書いています」と
言いながら
アクセス数を
気にしていたのです。

朝晩に
アクセス数を確認する
毎日でした。

こんなの良くないですよね。

1ヶ月して
わかりました。

アクセス数を
見ないようします。














ブログ小説「ふたりで行くよ」その1

ふたりで行くよ


ひとりで生きていくのも良いけど
ふたりで生きていくのも
まんざら悪いものでもありません。

ながく
ふたりで生きていったら
だんだんと
切っても切れない
間になっていくものだと思うのです。

一緒に
暮らすのが
何十年もなれば
もう離れなくなってしまうものです。

でも
最期は
きっとあります。

どちらか
一方は
先に行くことになります。

幸運にも
ふたり同時
亡くなってしまうときも
あるかもしれませんが
いずれにせよ
ふたりの間には
終止符が
打たれてしまいます。

そんなことが
わかっていますので
ふたりの中には
ある約束をする人も
出てくるでしょうね。

どんな約束かというと
「来世も
一緒になろうね」
です。

そんな約束をした
夫婦が
今までの
どれほどいたか
きっと
数え切れないでしょう。

そんな
理想的な
夫婦の物語を
今度は
書いてみようともいました。

明日から
お楽しみにして下さい。

少し無理かな?

2016年03月10日(Thu)▲ページの先頭へ
noteしてます。

2月の終わり頃から
noteしてます。

noteは
ブログのようでもあり、
それでいて
SNSのようでもあり、
小説やコラム
イラスト写真などの著作物を
売ることもできるものです。

だからといって
私が
他人様に
お金が頂けるようなものを
かけるわけもありません。

それよりも
コマーシャルが
ないのです。

と言うわけで
noteしてます。

出来たら
見に来て下さって
コメントなどして下さると
ありがたいです。

私にとっては
ハードル高いですが
がんばっている
つもりです。



私のnote

ロフトへはハシゴより互い違い階段で

今日は
ロフトへ上るときに
ハシゴではなく
互い違い階段の方が
優れているということを
ビデオにしてみました。

大げさに表現しています。

実際は
ハシゴで上り下りするときは
注意していますので
ビデオのように
落っこちることは
皆無です。

注意しなければならない分
大変だということかも知れません。

やっぱり
互い違い階段を
全室完備している
杉原土地有限会社の
ロフトが
一番良いと思います。







2016年03月09日(Wed)▲ページの先頭へ
ブログ小説「順子」最終話

この物語
最後をうまく画けませんでした。


私の非力のためで
申し訳ございません。


もう少し
精進します。

調べるといっても
南くんが
患者の情報を
南くんに告げて
調べに行ってもらうと
個人情報の管理から
問題があります。

患者の後をつけて
調べるというのは
ストーカーとなって
もっと問題になります。

そこで
臨床研究ということで
告知を受けた
患者のその後を
調べると言うことにしました。

臨床研究には
病院の
倫理委員会に
申請して
許可を得なければなりません。

順子に
反感を持っている
委員も
多くいましたが
今回は
すんなりと
許可されました。

順子は
何か深い考えがあるのかと
思ったくらいです。

多くの患者に
臨床研究の
用紙を書いた
文書を送りました。

患者の同意があれば
南くんが
訪問して
その後のことを
聞くというものです。

同意書を
送ってくる患者は
1割程度あって
総数が多いので
聞きに行くのも
相当量になりました。

南くんは
訪れた人だけに言えば
告知されて
良かったと言うことだそうです。

告知があったので
残った人生
有効に使えたという意見が
多かったのです。

順子も
南くんと
一緒に
患者宅を
訪れることも
多くありました。

亡くなった
患者も多く
遺族の意見を
聞きました。

「助からなかったことは
残念ですが
原因と
死ぬ時期がわかって
前もって
用意も出来た」と
評価してくれました。

それを聞いて
順子は
少しだけ
気が休まりました。

別れてから
南くんが
「先生は
正しいことをしているんです。

自信を持って下さい」と
順子にいいました。

順子は
その言葉で
すくわれたような気がしました。

今後とも
頑張って
医師を続けようと思いました。

順子は
一応終わります。
なんか終わり方
凄く変になってしまいました。

申し訳ございません。





ブログ小説「コンゴ川を渡ったボノボ」

遠いむかし
のお話です。

気が遠くなるような
今から
100万年前から180万年前の頃
アフリカの
大河
コンゴ川は
いつものように
コンゴ盆地を
悠然と流れていました。

その流れに
阻まれて
コンゴ川の
北岸に
住んでいたチンパンジーの祖先
(以下チンパンジーと書きます)の
一団は
閉鎖的な
社会が
築かれていました。

今でも
チンパンジーは
人間に次ぐ
知能を持っています。

当時は
最高水準の
知能を持ち合わせていました。

今と変わらない
習性を持っていたと
考えられます。

同じほ乳類の
牛や馬などと
全く違う習性は
チンパンジー同士の
殺戮といじめ・虐待です。

チンパンジーの
赤ん坊を
殺すことも
よく知られています。

チンパンジーは
他のサルと同じように
集団で
行動します。

他の集団を
襲って
殺してしまったり
あるいは
単独でいるチンパンジーを
襲うことも
よくあるそうです。

チンパンジーの
歴史は
いつも
血で塗られています。


そんな中
1匹のチンパンジーが
生まれてきました。

名前を
ボノボといいます。

ボノボの
母親は
優しい顔立ちの
チンパンジーでした。

ボノボの面倒をよくみて
愛情を注ぎながら
育てていました。

しかしあるとき
ボノボの属する
集団に
異変が起きます。

集団の
ボスで
ボノボの父親でもある
チンパンジーが
オス同士のケンカに負けて
死んでしまうのです。

チンパンジーの世界では
よくあることで
このボスの交代の
次にあるのは
子殺しです。

ボノボの母親は
それがわかりました。

同じ集団の
まだまだ幼い
赤ちゃんの
何匹かは
犠牲になりました。

たまたま
木の実を取るため
少し離れたところにいた
ボノボと
母親
集団から
逃げることにしました。

集団から
逃げると
チンパンジーには
多くの敵が
現れます。

木の上まで襲ってくる
敵は
蛇とか
豹とか
それに一番の敵は
チンパンジーとかです。

集団で
暮らしていると
誰かが
遠くから
襲ってくる敵を
察知することが出来るのです。

ひとりで暮らしていると
昼夜わかたず
周囲に注意を払わなくてはなりません。

木の上に棲む
チンパンジーは
四方ではなく
上下を含む
六方に注意を払わなくてはいけません。

子供を抱えて
逃げなければならず
エサを探す
母親は
身が細る
思いで暮らしていました。

ボノボも
子供心に
母親の苦労が
わかりました。

そんな生活が
数ヶ月続きました。

いつものように
木の上で
その日のねぐらを
作り始めた頃
豹が近づいてきていたのです。

襲いかかろうとしたその瞬間
母親は
ボノボを
抱いて
隣の木に
飛び移ろうとしたのですが
間に合わず
下の川に
落ちてしまいました。

犬や牛は
生まれつき
泳ぐことが出来ます。

チンパンジーは
木の上で
暮らしているので
水とは
縁遠く
本能的に
泳ぐことは出来ません。

水に落ちた
ふたりは

手足を
バタバタしながら
水の中で
もがいていました。

岸には
豹が
にらんでいます。

対岸まで泳がなければなりません。

ボノボは
身が軽かったのか
生まれつきかわかりませんが
泳げたのです。

母親は
ただ
ただ
手足を
動かしているだけです。

母親は
ボノボに
「早く
向こう岸に泳ぎなさい」
と叫びました。

小さい体の
ボノボは
必死に
泳ぎました。

命からがら
対岸に泳ぎ着いたとき
後ろを振り返ると
母親の姿はありませんでした。

ボノボの
よく見える
小さな目で
上流から
下流まで見渡しましたが
誰もいません。

ボノボは
大声で叫ぼうと思いましたが
敵が現れるので
やめました。

ボノボは
涙が出ました。

ひとりぼっちになりました。

小さい
チンパンジーが
ひとりで
生きていくのは
不可能に近いです。

しかし
ボノボには
好都合のことがありました。

それは
その年が
豊年満作の年だったからです。

木の実や果実は
木にあふれ
ごちそうが
そこらじゅうにあったのです。

小さい
ボノボを
襲って
食べようなどと
思う動物も
いませんでした。

数年が経って
ボノボは
肩幅が広い
立派な
チンパンジーになりました。

身軽に移動できる
ボノボを
襲おうとする
他の動物などいませんでした。

しかし
チンパンジーは
違いました。

本能的に
チンパンジーは
オス同士
争うのです。

オスのチンパンジー
オスのチンパンジーを見かけると
誰彼なしに
戦いを挑みます。

ボノボに
ケンカを売ってくる
チンパンジーも
多くいました。

普通なら
相互に
力を試すために
ケンカをします。

ボノボの場合は
無駄なケンカは
しません。

ただ逃げるだけです。

水の中に
逃げると
絶対に相手は
追いかけてこないので
簡単でした。

逃げながら
いつも思いました。

同じ
チンパンジー同士
なぜ仲良く
暮らせないのかと
思ったのです。

仲良く暮らしたら
もっと幸せで
もっと
もっと
恵まれた生活が
出来るのにと
思いました。

そんな日が
来ることを
コンゴ川に沈む
夕日に向かって
思っていました。


夕日に向かって
願っていた日から
数年が経って
ボノボも
数々の
社会的経験や
観察もして
仲良く暮らせる
そんな日は
やっぱり来ないと
思い始めた頃でした。

ある日
果実を取りに
あるチンパンジーの群れの近くまで
行ったとき
ある若い
チンパンジーを
見付けました。

木の実を
取っていた
その
チンパンジーは
自分の分を取って
食べた後
手に持てるだけの
木の実を持って
群れに向かいました。

よく見える
ボノボの目で
見ていると
その
若いチンパンジーは
群れの中の
老いたチンパンジーに
分け与えていたのです。

そのようなことをする
チンパンジーを
今まで見たことがありませんでした。

気になって
翌日も
そのチンパンジーを
見ていました。

同じように
していました。

そのチンパンジーは
メスで
若くて
可愛いように
ボノボには
思えました。

次の日も
次の日も
見ていました。

同じように
見ていたとき
群れに
一大事が起きました。

オスの序列が
大きく変わったのです。

若いチンパンジーも
大きな影響を
受けたのです。

他のオスに
言い寄られていたのです。

まだ若い
そのメスは
その気がないのに
逃げ回っていました。

しかし
屈強な
オスに
捕まってしまいました。

大きく
泣き叫ぶ声を聞いた
ボノボは
何の考えもなく助けに
行ったのです。

不意を突かれた
オスは
倒れてしまいました。

若いチンパンジーの手を持って
山の藪の中に
ふたりは
隠れました。

ボノボは
名前を
聞きました。

若いチンパンジーは
「ボノーラ」と
答えました。

ボノボは
ボノーラの
瞳を見つめて
「大丈夫か」と聞きました。

群れから
メスの
チンパンジーが
離れることなど
ないのですが
ボノーラは
「あんなところには
もう帰れないし
帰りたくない」と
ボノボにいいました。

ボノーラも
群れに中に起こっている
凄惨な
出来事に
心を痛めていたのです。

ボノボと同じように
チンパンジー同士が
仲良くなれないのかと
思っていたのです。

それで
ふたりは
一緒に行動することにしました。

ボノボは
足も速く力も強く
何よりも
泳ぎができるので
どんな危険からも
逃げることが出来るのですが
ボノーラは
すべてから
逃げることなど
無理だと思いました。

特に
同じチンパンジーからは
逃げられないと
思いました。

戦えば
きっと
ボノボは
勝てて
ボノーラを
守れるとは
思いましたが
他の
チンパンジーと同じように
同じ種で
争うなど
出来ませんでした。

そう考えて
コンゴ川を見ていました。

ボノボの頭の中に
大きな
考えが
浮かんだのです。

「このコンゴ川の
向こう岸に渡れば
他の
チンパンジーは
決して追ってこないだろう

ふたりで
この川を
渡ろう」
と
思ったのです。

ボノボだけなら
時間がかかっても
向こう岸に渡れるけど
ボノーラは
無理かと思って
水面を見ていると
上から
木が流れてきて
その上に
ネズミが
一匹
乗っていたのです。

「そうだ」と
思いました。

ボノーラを
木の上に載せて
運べばいいのだと
思ったのです。

ボノボは
渡れそうな
木を捜して
川岸を
探し回りました。

二日目に
それらしい
ものを見付けて
ボノーラを
載せてみました。

ボノーラは
怖がっていましたが
これしか方法がないと思ったのか
しっかりと
しがみついて
いました。


翌日
朝日が
上りはじめた頃
ボノボは
ボノーラが乗った木を掴んで
対岸に
ゆっくりと
泳ぎはじめたのです。

昼になっても
対岸まで
まだまだでした。

相当疲れてきました。

川の中程は
今まで経験したことがないような
波が出ていて
ボノボは
水を飲みました。

ボノーラは
黙って
ボノボを
見ていました。

夕日が
沈みはじめた頃
対岸が
迫ってきたのです。

日が落ちるまでに
対岸に
着かなければなりません。

最後の力を
振り絞って
対岸まで
たどり着いたときには
空は
真っ暗になっていて
星が瞬いていました。

近くの木に登り
疲れを癒しました。

ボノーラが
好みを取ってきてくれて
食べました。

(実際は
コンゴ川が
今から
100万年前から
180万年前までの間に
干ばつが来て
浅瀬になったときに
渡ったと
考えられています。)

翌日
日が昇ると
辺りを見回し
臭いを
嗅ぎました。

チンパンジーの
陰はありませんでした。

コンゴ川の南側には
チンパンジーは
棲んでいなかったのです。

ふたりは
仲良く
生活をはじめました。

ふたりの間には
たくさんの
子供が生まれました。

みんな仲良くと
子供に教えました。

食べ物も
分け合って
食べるようにしました。

ふたりの
願いは
叶って
ボノボは
今も仲良く
自然の中で
暮らしています。

人間の祖先が
チンパンジーの祖先と
別れたのは
今から
600万年前から700万年前です。

人間が
なぜ
ボノボから
進化しなかったか
残念でなりません。

取り立てた
理由もなく
戦争をしたり
人を怨んで殺したり
お金のためだけの人生を送ったり
そんなこと
チンパンジーと同じです。

万物の霊長たる人間ですから
チンパンジーの遺伝子を持っていても
ボノボと同じように
仲良く生きていくことも出来ると思います。

私は
そう信じたいです。

戦争を止めましょう

私怨を忘れましょう。




2016年03月05日(Sat)▲ページの先頭へ
運命に従っているだけ

私の人生は
ゆっくりと流れていますが
大きな目で見ると
波瀾万丈とまではいきませんが
変転流転の人生かも知れません。

ただ
ただ
人生の大きな流れに
身を任せているに過ぎないと
近頃は感じております。

運命に
逆らっても
ことが成就するわけでもなく
やはり
成り行き任せが
私のやり方かも知れません。

若いあなたは
あなたの力で
人生を切り開いていっていると思いますが
頑張って下さいね。

私は
63才ですので
道を切り開くというような
大それた事はやめて
「運命に従おうと」思います。


と言うわけで
防音室作っています。

はっきり言って
これは重い
、、、、、、


それから
こんなビデオも作ってみました。

ギャグかも知れませんが
おもしろいと
言って下さいますでしょうか。




2016年03月03日(Thu)▲ページの先頭へ
女性の考え方は私には理解しがたい

先日
女房殿が
「耳の中で
ゴロゴロ音がするの」と
私に言いました。

私は
女性は
共感型の考えの持ち主だから
女房殿に
「それは困りましたね」と答えておりました。

「お医者様のところに
行ったら」と
言うと
「私のことはほっといて」と言われることが
多かったので
問題解決型の答ではなく
共感型の答えをしていました。

何度も
言うので
一度
「お医者様に行ったらわ」と
言ったところ
すぐに行って
耳が治ってしまったのです。

女房殿は
「治ってよかった」と
言ってました。


こんなことなら
最初から
問題解決型の答の方が良かったように
思いますが
たぶん
最初に言ったら
ダメだったかも知れません。

答の選択は
とても
高度な推測がいると思います。

私には
無理
無理です。