ロフト付き は、おもしろい - 2015/09

ロフト付き って良いですよね。隠れ家というか何というか。
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2015年09月30日(Wed)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その204

鶴松が15才になった時
清左衛門は
家を
変えることにしました。

今までの
家は
地主の家としては
手狭です。

収穫できた
お米を
座敷まで積む
始末でした。

それに
清左衛門の
弟と妹も
同居していますが
縁側の隙間で寝起きしている始末です。

地主になれたのは
家人全員の
努力の成果であったのですから
家人があまねく
恩恵がなければならないと
清左衛門は
考えました。

と言うわけで
村はずれの
浄願寺近くの
少し小高くなった
畑に
家を作ることにしました。

大工としては
有名だった
叔父さんは
もう既に亡くなっていないので
村人の中で
上手な人に頼みました。

清左衛門や
弟も
手伝いました。
おますは
「鶴松にも手伝わせたら」
と言いましたが
清左衛門は
「やめとこう」と
答えました。

清左衛門は
頼みたかったのですが
鶴松が
うまくできなかったらと
心配して
頼めなかったのです。







2015年09月29日(Tue)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その203

塾での
勉強は
当時のことですから
漢文や儒学が主です。

「子曰、巧言令色、鮮矣仁」とか
言うのを
勉強しているのです。

儒学は
奥が深いから
終わりはありません。

鶴松は
はじめは
難しいことを
父母に披露して
誉められたいため
熱心に勉強していました。

それに
何分
体力と
気力がないので
勉強しかないので
勉強をしていました。

年数がたち
先代の
清左衛門が
なくなった頃には
田畑は
四町歩になっていました。

列をなして
墓場まで
清左衛門の棺桶を
運ぶ時には
鶴松も付いていきました。

紋付きを着て
恭しく
両親の後に付いていきました。

お葬式には
いろんなものを
持って
お墓までいくのが
習わしですので
鶴松も
しっかり持って
お墓までいきました。

住職さんが
読経したあと
清左衛門は
「私が生まれた時は
小作人でしたが
父が亡くなった時には
地主になりました。

父の
力だと思います。

感謝しております」と
挨拶して
棺桶に土をかけていきました。




2015年09月28日(Mon)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その202

村人が
出払って
閑散とした時間に
街道筋を
一目散に
私塾に向かいました。

帰りは
夜なべ仕事が
終わる頃に
帰っていました。

そんな時間まで
私塾は
やっていませんでしたが
早く帰りたくなかったので
自習していたのです。

始まったばかりの
小学校でも
成績がよかったので
塾でも
勉強は
嫌いではありませんでした。

そのうえ
よい成績を上げると
父母に
誉められて
はじめて
認められたような
気になったのです。

そのこともあって
初めのうちは
鶴松は
実力以上の
勉強をしていました。

鶴松は
本当は
仕事の方で
誉められたかったのです。

父母と
一緒に汗を流して
同じような働きができたらと
望んではいました。

それができない
鶴松は
「自分は
ダメな人間だ」と
思っていたのです。

ダメな人間だから
父母にも
軽く見られているのだと
思ってしまっていました。







2015年09月27日(Sun)▲ページの先頭へ
今日は観月会:お月見ですね

私の小さい頃
たぶん5歳頃までは
お月見は
我が家の
行事では
大きなものです。

お月様は
水の神さま
農業は
水が大事ですから
お月様を
敬愛するのは
貧乏な百姓としても
大事な
記念日です。

一家揃って
縁側で
お月様をめでます。

そして
父親が
お月様の歌を
歌います。

「お月様はお天道様の兄弟で〜

、、、、、、、

、、、、、、、」
と言う歌です。

今となっては
その詳細はわかりません。

そして
月見団子を
食べます。

相当な
出費です。

子供たちは
恭しく
それを聞いて
頂きます。



私の子供が小さい時は
お月見は
歌はありませんが
盛大に
祝いました。

子供たちが大きくなったいまは
もう何もしません。

お風呂に入って
窓から
月を見る程度です。

お月様は何も変わりませんが
時代は
変わりました。










2015年09月26日(Sat)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その121

当時は
医学というものが
ほとんどなかった時代です。

病気になると
生死を分けるかも知れません。

事実
清左衛門の
下ふたりの兄弟は
10代で亡くなっています。

それに
この高熱です。

実の親である
清左衛門や
おますは心配しました。

その心配する
父母を見て
少しうれしく思いました。

鶴松の
熱は
3日続きました。

おますや
叔母さんの介抱が
功を奏したのか
4日目には
平熱に戻りました。

しかし
あまり食欲がなかったこともあり
げっそりと
痩せていて
みんなの同情を
買ったのです。

そこで
清左衛門は
働き始めるのは
まだまだ早いと言うことで
私塾に
通わせることにしました。

となりの
西宮の宿に
今で言えば
中学校程度塾があったのです。

そこに通うことになりました。

みんなの手前がありますので
朝間の仕事だけはこなしてから
食事を摂って
塾に出かけるのです。





2015年09月25日(Fri)▲ページの先頭へ
女房殿はアルツハイマーからは遠いようだ。

先日
アルツハイマー病のスクーリング試験を受けました。

アルツハイマー病は
脳内にベーターアミロイドがたまって
障害を起こすそうですが
それがたまっているかどうか
血液検査で間接的に
測定するらしいのです。

健康番組で
放送していたのを
聞いた女房殿が
近くの医院で検査を
受けました。

今日結果がわかりました。

全く問題がないという結果です。

私も
受けようと思います。

私はぼけていますので
結果は
わかりません。








2015年09月24日(Thu)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その200

そばで見ていた
母親のおますは
心の中で
「まだまだ12才なんだから
力仕事は
大変だ。

もっと見守ってあげないと」
と思いつつ
みんなの手前
優しい言葉は
鶴松には
かけられませんでした。

鶴松自身は
頑張って
やっているつもりだけど
みんなにそんな風に
思われていたんだと
思ったのです。

翌日は
頑張っていたのですが
みんなには
そうは見えませんでした。

何日か
頑張っていたのですが
ある朝起きると
ふらふらするのです。

のども痛くて
赤ら顔になっていました。

ふらふらしている
鶴松の額に
おますは手を当てました。

あまりにも
熱いので
おますは
鶴松を
お布団に戻しました。

そして
病気の時しか
食べない
卵が
食事に付いてきて
お布団で
ご飯を食べました。

夕方になると
もっと高い熱になっていて
清左衛門は
心配そうに
鶴松を
見ているのを
薄目で
見ていました。







2015年09月23日(Wed)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その199

鶴松が
働き始めの時は
まわりも
そんな目で見ていて
働きが悪くても
文句など言いませんでした。

しかし
働き始めてから
1ヶ月も経つと
厳しい目になってきます。

鶴松は
親譲りで
12才にしては
背は高いです。

ひょろっと
高い鶴松が
とろとろ仕事をしていると
遠くからでも目立ちます。

鶴松は
真剣にしているつもりですが
そんな風に見えるのです。

生来
力がない
鶴松ですので
備中(田おこしに使う先が3本になっている農具)を
振り下ろしても
少ししか刺さりません。

ちょっとだけ
田んぼの土を
起こして
全く
はかどりません。

見ていた
家人や作男の手前
清左衛門は
鶴松に
言わなければならなくなりました。

「もっと腰を入れて
力を
出して
仕事をしなさい」と
言ったのです。

相手は
まだ
12才ですので
優しく言ったのですが
鶴松は
心に
大きく響きました。






2015年09月22日(Tue)▲ページの先頭へ
あなたはお仕事ですか

あなたは
お仕事でしょうか。

今日は国民の祝日
ですって
、、、、、

カレンダーのまわりが
今年のようになるのは
2026年らしいので
貴重な
一日だったそうです。

たぶん次の
国民の祝日までは
生きられそうもないので
、、、、、、、

最近は
サービス業にお勤めの方が多いので
働いておられる方も
多いことと思います。

私は働きが悪いので
今日も働いていました。

今日は
他の仕事が
少なかったので
入居者に頼まれていた
本棚を作りました。

オーダーの
本棚は
使い易いと思います。




棚板を留める
金具が
ホームセンターで欠品となっていて
完成出来ません。




2015年09月21日(Mon)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その118

清左衛門も
鶴松も
6才から
今津のお寺
浄願寺に
勉強のために通っていました。

いわゆる
寺子屋です。

明治5年になって
学制発布がされて
学校を作ることになりました。

今までの
教育拠点であった
お寺が
今津小学校となりました。

明治6年のことです。

鶴松は
内容はあまり変わりませんが
今津小学校に
通うことになりました。

4年制ですので
10才で卒業です。

鶴松は
親譲りの
秀才です。

12才まで
浄願寺の
私塾に
通うことになりました。

そして
12才になった時
清左衛門は
鶴松に
一緒に働くよう
言ったのです。

朝は朝星から
夜は夜星まで
続く
過酷な仕事です。

初めのうちは
誰もがそうであるように
後れを取りながら
仕事をしていました。

父親の
清左衛門は
自分の
働き始めた頃のことを
思い出して
「じぶんもそうだったなー」と
思っていました。





2015年09月20日(Sun)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その117

家督を
相続した
新しい
清左衛門は
子供に
特に鶴松には
厳しかったのです。

母親は
少しは取り直しましたが
鶴松は
不満でした。

自分が
総領息子であることを
自覚していませんでした。

普通の子供が
良いと思っていたのです。

鶴松が
物心ついた時には
すでに
清左衛門の家は
小作人の
貧乏百姓ではなかったのです。

清左衛門が
子供の頃には
その日の食べ物が
充分になく
みんなで分けて
食べ合ったこともあったのです。

そんな事態は
今の
清左衛門の家には
起こることは
少なくなっていました。

贅沢はないけど
他の
お百姓さんより
身なりも
よくて
牛もいたので
重労働も
少なくなっていました。

それを見て
鶴松は
余裕があると
思っていたのです。

父母が
自分に厳しく当たるのは
今の言葉で言えば
「愛されていない」と
思ってしまったのです。








2015年09月18日(Fri)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その116

伊之助が
よちよち歩き始め
夏が
終わりかけた頃
清左衛門は
家督を
亀太郎に
譲ることにしました。

明治10年の初秋です。

清左衛門の家のものは
当時としては
長寿です。

当時の平均寿命は
50才くらいでしたが
清左衛門は
68才になっていました。

近頃は
朝の間の仕事はともかく
午後の仕事が
辛くなって
みんなと
一緒に働けなくなったのです。

そこで
家督を
亀太郎に
譲ることにしました。

亀太郎は
名前を
清左衛門と名乗って
名実ともに
野田家の
戸主となりました。

役場に届けて
田畑を
相続しました。

戸主になって
清左衛門は
働くだけではなく
家の
統率が必要となりました。

先代の
清左衛門は
誰からも
慕われていました。

分け隔てなく
家人を
慈しんだからと
清左衛門は
思いました。

清左衛門も
父親がしたように
そのようにすることにしました。

総領息子(家督を譲る子供)には
厳しくすると
結果としては
家人全員に
平等になると
教えられていたのです。







2015年09月17日(Thu)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その115

「おとんぼ」とは
末っ子のことを言います。

伊之助が生まれた時
父親の亀太郎が44才
母親のおますは35才の時でした。

平均寿命が短かった
明治維新の頃ですので
35才は
相当高齢出産です。

おますは
出産後
1ヶ月は
普通の女性のように
しっかり
横になって
お布団を着て
寝ていました。

1ヶ月が過ぎて
仕事を
はじめようとしましたが
少しふらついてしまいました。

長く寝ていたからかもしれないと
思いました。

それをみていた
長女のおせいは
私がやるから
寝ていてと言ってくれました。

それで
伊之助をあやしながら
もう少し
休むことにしました。

それを見ていたのが
鶴松です。

襖の陰から
ジッとうらやましくみていたのです。

伊之助と
二人っきりで
過ごした時間は
10日ほどでしたが
鶴松には
それは
長い時間だと
感じていたのです。





2015年09月16日(Wed)▲ページの先頭へ
日本語の愛と英語のLOVEは違う

昨日
真宗の広報誌を見ていましたところ
英語のloveの訳語として
愛を当てているが
全く意味が違うと
指摘していました。

日本語の愛は
愛欲や
愛憎という熟語に代表されるように
本能としての
「愛」だそうで
人類愛とか
隣人愛とかいうような
誰彼なしに
人間を
愛するという意味は
持たないらしいのです。

仏教では
本能ではない愛は
慈悲と言う言葉が
適切だと
力説していました。

慈悲とは
1 《「慈」は、梵maitrī「悲」は、梵karuṇāの訳》仏語。仏・菩薩 (ぼさつ) が人々をあわれみ、楽しみを与え、苦しみを取り除くこと。
2 いつくしみ、あわれむこと。なさけ。

だそうです。

何となく
愛という言葉に違和感を
感じていたのですが
少しだけ分かったような気がします。

夫婦愛とか言いますが
結婚した時の愛情と
三十数年経った今その感情は
愛情と言うより
なんか深いものが
できたているように思うのです。

妻帯者のあなたなら
わかると思いますが
違いますよね。

まだまだ
慈悲の域には
達しませんが
そのように思います。






長編小説「昭和」その114

仕事が少し少なくなった頃
3番目の子供ができます。

女の子で
およしと言います。

赤ちゃんの時から
器量よしで
家人には
人気がありました。

一番目の子供
おせいは
7才になっていて
およしを
よく面倒をみてくれました。

お乳を
与える以外は
おせいが
育てていました。

必死に働く
父親の亀太郎や
母親のおますを
みていて
おせいは
小さいのに
よく働いていたのです。

両親の背中を
見て育つと言うより
それが当たり前の
時代だったのです。

おますは
田んぼの農作業や
食事の用意
お裁縫や
牛の世話
作男の世話に
一層力を入れました。

その甲斐あって
清左衛門の家のものは
よく働きました。

よく働いたので
またまた
大きくなることに
なったのです。

およしが
可愛い盛りを迎えた
3才の頃
おますは
4人目の子供
伊之助を生みます。

伊之助は
両親にとっては
おとんぼになるのですが
女の子の
およしより
可愛い赤ちゃんでした。


2015年09月15日(Tue)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その113

鶴松が生まれたあと
おますは
赤ちゃんができませんでした。

避妊していていたわけでもありませんが
あまりにも
過労からそうなったのかと
あとになって
わかりました。

自作地が
2町歩(2ヘクタール:2万平方メートル)になった頃
宮水運びは
なくなってしまいました。

今津にある
酒蔵が
船で
宮水を運びはじめたのです。

西宮郷の井戸から
船で
宮水を
運びはじめたのです。

船は
たくさんの荷物を載せられて
それでいて
軽く動かせるのです。

川を下って
海に出て
それから
運河を
少し
遡ると
酒蔵の近く着きます。

そこから運ぶだけですので
少しの手間しかかかりません。

亀太郎は
古くからの
付き合いなので
酒蔵は
その時だけ
呼ばれて
運んでいました。

おますの手助けは要らなくなりまいた。

それから
叔父さんや叔母さんが
相次いで
なくなったため
作男を雇い入れたため
おますの仕事は
大分楽になったのです。





2015年09月14日(Mon)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その112

子供のいない時期は
そんな
スーパーウーマンの仕事ができました。

しかし子供ができても
やはり
おますは
したのです。

亀太郎の
妹が
赤ちゃんの面倒を
みてくれていたのです。

お乳をあげる時だけ
子供に会うとうい
日課でした。

一人目の
おせいの時は
物珍しさもあって
おますは
母親として
よく接していました。

5年目に生まれた
二人目の
鶴松の時は
宮水運びと
新しい自作地の田んぼができて
ものすごく忙しくなりました。

そのため
鶴松は
妹に任せて
ほとんど
母親としては
接していませんでした。

寺子屋に通うになったら
母親と会う機会は
食事の時だけで
言葉を交わすことは
挨拶だけです。

鶴松は
淋しく思っていました。

そんなことを
言う相手もいなくて
勉強することだけが
鶴松の相手になっていました。

鶴松が
淋しく過ごしている間にも
清左衛門の家は
発展していきました。




9月27日生ドラムで防音室の公開実験を行います。

新しい防音室が出来上がりましたので
性能を調べたいと思います。

いつものように
特定波長の透過損失を測るやり方もしますが
今回は
生ドラムをレンタルで
設置して
ドラマーの方を
ボランティアでお願いしました。

防音室が
生ドラムで
どの程度
耐えられるか
公開実験致します。

皆様の中に
ご興味の方がおられましたら
ご参加下さい。

日時:1015年9月27日午後3時頃より
場所:兵庫県尼崎市瓦宮2-31-23 B101
電話:06-6491-6339
電話予約の上お越しください。駐車場は1台のみあります。
(建築業者同業者の方はご遠慮ください)
初めての試みですのでドラムの音が万一ご近所に漏れた場合はご容赦ください。

メールで
お知らせ下さい。
よろしくお願いします。


9月27日生ドラムを使った防音室の防音テスト見学会を行います


2015年09月13日(Sun)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その111

この時代の
フォーマルな服装は
紋付き袴です。

袴はともかく
紋付きを
着るだけで
フォーマルになります。

紋付きのような
一張羅(いっちょうらい:
1枚しかない上等なもの)や
綿入れ(綿のはいった着物)は
夏場
ほどいて
洗い張りをするのが
普通です。

女性たちの仕事は
奥が深い
洗い張りは
着物を
ばらして
縫って
元の反物の大きさに戻します。

それを洗って
糊を付けて
板に張り付けて乾かすか
竹籤の先に釘が付いたもので
引っ張りながら
乾かします。

それから
着物を
また作るのです。

一夏毎に
お布団や
着物を
ほどいて
作り直すのです。

女性の仕事は
これだけではありません。

現代でも大変な
子育てがあるのです。

おますは
結婚した時は
もちろん子供がいませんから
身軽で
天性の才能で
調理・裁縫・野良仕事を
こなして
その上
宮水運びを
していたのです。





2015年09月12日(Sat)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その110

裁縫仕事は
着物の仕立てや
繕いだけではありません。

夏になると
お布団も
洗わなければなりません。

お布団は
家財道具の中では
値高いものです。

お布団を
酷使しますので
痛みが激しいのです。

夏場
お布団を使わない時期に
お布団の中の綿を
出して
覆っている
生地を洗います。

バラバラに分解して
洗う方法をです。

何年かに一度は
綿の方も
打ち直しに出します。

打ち直しとは
長年使って
綿が硬く
固まったようになると
暖かみがなくなりますので
その綿を
ほぐして
かさ高にして
新しい
綿にかえる作業のことです。

粗いブラシのようなもので
綿をほぐす
作業は
埃が舞い散り
大変な仕事だそうです。

出来上がった
打ち直しの
綿は
30cmの90cm位の帯状になっています。

その綿を
お布団の形に
仕上げるのは
ちょっとした技術が
必要です。

この時代の
女性は
力と知識と技術が
必要です。






2015年09月11日(Fri)▲ページの先頭へ
藻川の堤防はあんな風には決壊しない

鬼怒川の決壊で
命を落とされた方のご冥福と
行方不明の方の即刻の生還を
心よりお祈りします。

被害を受けられた方の
早々の復興を祈念しております。


今日の夕刊に
鬼怒川の堤防が
決壊した断面が
大写しで掲載されていました。


全部土です。

土を固めた普通の堤防です。

決壊の理由はよくわかりませんが
結局水の勢よいより
堤防が弱かったからでしょう。


私どもの
賃貸の横にある
藻川の堤防は
土でできておりません。

見かけは
土で
芝が生えておりますが
数年にわたり
改修した結果
中は
ゴムのシートの上に
大きなコンクリートブロックが
乗っていて
その上に
薄く土をかけて
芝を生やしたものです。

中は
水を通さないように
できているのです。

「千丈の堤も蟻の一穴から」と言うことわざがあるように
少しの水の浸みだしが
決壊に繋がります。

ゴムシートで
それを防ぐのでしょうね。

越水または
溢水が起こるかも知れませんが
決壊の可能性は少ないと言えます。

鬼怒川も改修予定だったそうで
改修が行われていなかったこを
残念に思います。


遮水シートを使った堤防の改修


2015年09月10日(Thu)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その109

服は
もちろん
着物ですが
着物は
材料の
反物を
買って作ります。

現金収入の少ない
小作人には
相当の出費です。

反物を買って
着物を作るのです。

当時の女性は
裁縫は
必ず習得しなければ
ならない技術です。

裁縫ができないものは
結婚は
絶対にできません。

着物は
人の体格を測って
その人に合わせて
作るオーダーメイドの
製品です。

もちろん
手縫いで
作ります。

ミシンのない時代
手縫いしかありません。

単衣(ひとえ)の着物なら
手早い
おますなら
半日ほどで作ることができますが
昼間は
家事や農仕事がありますので
夜なべで作ります。

夜の明かりは
暗いので
手探りで
針に糸を通すことなど
神業的手法で
してしまいます。

服を新調しなくても
傷みやすい
着物ですから
繕いは
必要です。

そのうえ
過激な農仕事と
洗濯で
傷んでしまいます。






2015年09月09日(Wed)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その108

底だけ鉄できた
桶で
燃えないのかと
お思いでしょうが
それが燃えないのです。

鉄の部分だけ
火が当たるような
仕掛けになっています。

焚き物は
薪ではなく
藁です。

今津は
薪が取れるような
入会地を持っていませんので
薪は買わなければならないのです。

流木を
拾ってくるのが
薪が手に入る
最大の方法です。

そこで
藁を使います。

藁は
藁製品のために
使わなければならないので
枝川の
河川敷に生えている
ススキなども
刈り取って
使いました。

藁は
薪と違って
火力は強いが
パーッとすぐ燃えて
終わるので
かまどと一緒で
ズーッと
ついている必要がありました。

時間が
必要なんです。

夕食も
同じように済み
そのあと
用事を済ませ
最後のお風呂に入っも
仕事は終わりではありません。

裁縫仕事が
残っています。

当時の服や
お布団は
すべて
その家の
女たちが
作っていたのです。








2015年09月08日(Tue)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その107

おやつと言っても
ケーキやポテトチップスのようなものは
ありません。

麦飯のにぎりめしなら
最高ですが
そのようなものが
でることなど
ありません。

サツマイモの
蒸し物や
スイカとか
そんなものが多いのです。

当時の
サツマイモや
スイカは
全く美味しくありません。

サツマイモは
べたべたしていて
甘みなどほとんどなく
のどに詰まるような代物です。

しかし
不満など
言わずに
争って
食べた。

おやつの小休止のあと
長い一日の
終わりに向かって
仕事は続きます。

おますは
六甲に夕日が沈みかけたこと
帰って
用事です。

ご飯を炊いて
野菜を炊いて
漬け物を出して
牛のエサを作って
忙しく働きます。

お風呂の支度も
おますの仕事です。

川から
桶で水を運び
入れます。

冬なら
概ね4日から10日おき
夏なら
隔日に
お風呂を
焚きます。

お風呂は
そこだけ鉄でできた
桶です。



2015年09月07日(Mon)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その106

昼前になると
家に帰ります。

昼のご飯の用意です。

灰の中の
炭の火種を
出して
炊事の開始です。

同じようなメニューです。

食材が
同じですから
季節で
先ず同じ
メニューです。

時計がありませんので
太陽の位置で
昼かどうか
判断します。

お昼になると
お寺の
鐘が鳴りますので
みんな帰って来ます。

時計もないのに
ピッタリと
用意するのは
暦年の
勘です。

太陽がでていない
雨の日は
少し困難ですが
ほとんど
間違いが
なかったようです。

昼食後は
夏なら
みんなと昼寝ですが
夏以外なら
朝と同じような
片付けをして
足早に
野良仕事に向かいます。

朝から
昼までと
昼から
夜までを比べると
明らかに
昼から
夜までの方が
長いのは
当たり前です。

そこで
おやつの時間となるのです。

「腹が空いては
戦はできぬ」と
言う言葉通り
しんどい農作業ですから
おやつは当然です。




改正労働者派遣法が成立しそうです。

今国会の
最大の焦点である
安保法制は
山場となっています。

その影に隠れて
労働者派遣法が
改悪されそうです。


女房殿のリサーチによると
当地の近くの
大型店の店員の
多数は
派遣社員で
有期で勤務しています。

そのため
慣れた頃に
店にはいません。

3年で契約を打ち切っているようです。

販売店の
コストの多くが
人件費のため
競争で人件費カットの挙に出るのは
理解できますが
法律で
それを後押しするのは
如何なものか。

国会議員の
ご子息やご令嬢は
孫やひ孫は
絶対に
派遣社員にならないとでも
思っていらっしゃるのでしょうか。

「明日は我が身
子孫が
派遣社員の
冷遇の憂き目をみるかも知れない」と
思わないのでしょうか。







2015年09月05日(Sat)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その105

川というのは
農業用用水路です。

その中でも
水量の多いところでないと
いけません。

清左衛門の家からは
少し離れていて
桶に
洗濯物を入れて
歩いて行きます。

洗濯場の
川には
洗濯がし易いように
一部だけ
石張りになっています。

洗濯物を
水に浸け
石に叩くように
します。

洗剤などありませんので
そんな方法が普通です。

石けんができると
タライと
洗い板になるのですが
そんな方法が
ない時代の洗濯です。

力仕事という以外
何物もありません。

特に
泥の汚れは
今でも
落ちにくいのに
当時の
百姓の
服の汚れは
泥汚れが
主です。

悪戦苦闘の末
洗濯を終え
家に帰って
洗濯物を干します。

洗濯物を
干す方法は
物干し柱と物干し竿です。

数段の枝の付いた
物干し柱に
物干し竿を
掛けていきます。

物干し竿に
着物の
袖を通して
掛けるのです。

洗濯用の洗濯ばさみや
小物がなかった時代
こんな方法しかありません。

相当の
場所が必要です。

時間も必要です。

早々に
洗濯を終えて
田んぼに向かいます。

家事をするからと言って
農仕事を
しないと言うことの
理由には
なりません。







2015年09月04日(Fri)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その104

当時は
食器洗いの洗剤など
ありませんので
磨き砂が
唯一のものです。

磨き砂と言っても
わからない人がいると思いますが
今風に言えば
「クレンザー」です。

当時は
前述の
歯磨き粉と同じように
六甲の
山から
取ってきた
それに適した
微粒子の
粘土というか
砂というか
そのようなものを
売り歩く
少年がいたのです。

もちろん
清左衛門の家では
そのようなものから
磨き砂を買わずに
そこら辺の
適した
砂を使っていました。

釜が洗えると
「新しい麦ご飯を
洗って
仕掛けます。」

そうなんです
用意をすることを
「仕掛ける」と
当地では言うのです。

仕掛けが終わると
おますは
天気なら
洗濯をはじめます。

洗濯は
現代では
考えられないほどの
重労働です。

「川へ洗濯」とは
童話の中にあるセリフですが
おますも
川へ洗濯に行きます。





2015年09月03日(Thu)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その103

人間の食事と
牛のエサが
出来上がった頃
朝間の仕事から
帰って来ます。

冬なら
顔や手を洗うための
お湯を
沸かして
用意します。

皆が
お膳を
並べて
揃うと
大きな釜から
ご飯を
よそいます。

おますも
食べなければなりません。

何しろ
競争です。

食べられる
ご飯(麦飯ですが)の量は
決まっていますので
おますも
食べる必要があります。

家人の
ご飯を
よそいながら
自身も食べます。

体格の
大きな
おますですから
食べる量も
半端ではありません。

食事が終わると
後片付けです。

各自の食器は
洗いませんので
鍋や釜だけ洗いますが
洗う時は
藁すべを使います。

藁を束ねたもので
たわしのようなものです。

もっと
汚れている時には
磨き砂の代用に
砂を使います。



2015年09月01日(Tue)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その102

今と違い
家事全般は
時間が掛かります。

ひとつひとつ
仕事をこなす
必要があるのです。

その仕事のなかに
水汲みもあります。

清左衛門の家には
井戸がありません。

飲み水になる様な
水が出る
井戸は
里道を
1町(約109メートル)ばかし行った
共同井戸から
汲んできます。

家族が多いので
量ももちろん多く
天秤棒の
前後ろに
桶を下げて
何度と
行き交いします。

おますは
幼い時は
この係で
よく運んだものですが
亀太郎と
結婚してからは
清左衛門の家の
若い者がしていました。

亀太郎の
長女も
少しは運んでいました。

小さいからと言って
できる仕事は
しなければならないのです。

牛を飼い始めると
牛のエサを
作るのも
おますの
仕事になっていました。

押し切りで
藁を
細かく切って
たるに入れておきます。

そこへ
水に浸けておいた
麦を
焚いて
入れます。

塩を
入れて
出来上がりです。