ロフト付き は、おもしろい - 2015/06

ロフト付き って良いですよね。隠れ家というか何というか。
カテゴリ
ロフト付き は、おもしろい
ロフト付き は、おもしろい/一覧 (4635)


このブログは
読んで頂いているあなたに
書いております。

よろしくです。
杉原正治オン Google+

2015年6月
 
       

新着エントリ
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その49 (8/17)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その48 (8/16)
今日は終戦記念日 戦後それとも戦前 (8/15)
生産的と非生産的????? (8/13)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その47 (8/13)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その46 (8/12)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その45 (8/11)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その44 (8/9)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その43 (8/7)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その42 (8/6)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その41 (8/5)
勝ち組と負け組それに非参戦組があるみたいです。 (8/5)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その40まで (8/4)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その39 (8/3)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その38 (8/2)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その37 (8/1)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その36 (7/31)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その35 (7/31)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その34 (7/30)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚式その33 (7/29)
ヒアリと魔女の花???? (7/28)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚式その32 (7/28)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その31 (7/26)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その30まで (7/25)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その29 (7/24)
一所懸命・一生懸命はいやです。ただただ全力を尽くすだけです。 (7/21)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その28 (7/21)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その27 (7/20)
ブログ小説「ロフトで勉強しましょ」結婚編その26 (7/19)

新着トラックバック/コメント

皆様お元気ですか。
『心をダイヤモンドのように
清らかで堅くて光るもの
にしてください。
神様が見ていて
助けてあげるようにと
私たち(妖精)にお命じになります。』
(私のブログ小説よりの一節)

このブログにご意見のある方は

メールください。
ロフトで笑ってすごそう
亡きアスカルも笑っています

ジーッとアスカルを見ていると変わります。

アーカイブ
2005年 (50)
8月 (11)
10月 (4)
11月 (19)
12月 (16)
2006年 (211)
1月 (18)
2月 (6)
3月 (10)
4月 (20)
5月 (20)
6月 (14)
7月 (13)
8月 (12)
9月 (21)
10月 (27)
11月 (15)
12月 (35)
2007年 (301)
1月 (29)
2月 (18)
3月 (21)
4月 (32)
5月 (27)
6月 (31)
7月 (36)
8月 (28)
9月 (28)
10月 (26)
11月 (14)
12月 (11)
2008年 (265)
1月 (12)
2月 (15)
3月 (11)
4月 (13)
5月 (14)
6月 (17)
7月 (26)
8月 (31)
9月 (29)
10月 (42)
11月 (35)
12月 (20)
2009年 (414)
1月 (19)
2月 (27)
3月 (27)
4月 (33)
5月 (33)
6月 (26)
7月 (31)
8月 (33)
9月 (44)
10月 (45)
11月 (43)
12月 (53)
2010年 (475)
1月 (50)
2月 (48)
3月 (24)
4月 (32)
5月 (45)
6月 (49)
7月 (53)
8月 (37)
9月 (38)
10月 (39)
11月 (24)
12月 (36)
2011年 (314)
1月 (36)
2月 (26)
3月 (28)
4月 (24)
5月 (24)
6月 (25)
7月 (27)
8月 (27)
9月 (22)
10月 (22)
11月 (28)
12月 (25)
2012年 (374)
1月 (34)
2月 (31)
3月 (30)
4月 (25)
5月 (34)
6月 (26)
7月 (30)
8月 (29)
9月 (33)
10月 (42)
11月 (28)
12月 (32)
2013年 (503)
1月 (36)
2月 (33)
3月 (44)
4月 (31)
5月 (33)
6月 (31)
7月 (56)
8月 (54)
9月 (43)
10月 (45)
11月 (43)
12月 (54)
2014年 (573)
1月 (41)
2月 (40)
3月 (52)
4月 (53)
5月 (46)
6月 (49)
7月 (53)
8月 (48)
9月 (47)
10月 (55)
11月 (45)
12月 (44)
2015年 (494)
1月 (51)
2月 (43)
3月 (52)
4月 (47)
5月 (46)
6月 (37)
7月 (36)
8月 (33)
9月 (30)
10月 (36)
11月 (40)
12月 (43)
2016年 (417)
1月 (33)
2月 (10)
3月 (29)
4月 (30)
5月 (41)
6月 (40)
7月 (43)
8月 (40)
9月 (41)
10月 (34)
11月 (37)
12月 (39)
2017年 (244)
1月 (37)
2月 (31)
3月 (25)
4月 (29)
5月 (35)
6月 (34)
7月 (37)
8月 (16)


アクセスカウンタ
今日:1,287
昨日:7,489
累計:9,986,420


RSS/Powered by 「のブログ

2015年06月30日(Tue)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その54

昼からは時間が長い
特に夏場は
時間が長い
時計がなくても
それはわかります。

しんどい仕事が多い
夏場は
時間が長く感じられます。

お天道様(おてんとさま)は
容易に
六甲の山並みに沈んでくれません。

西日は
この上なく暑く
照り返しが
過ぎます。

西に向かって
仕事をする人などいません。

みんな東に向かって
仕事をしますが
背中が
暑いのです。

それまでに充分に
日焼けしていますので
赤く腫れ上がると言うことは
ないにしても
暑いものは暑いです。

そこで
3時頃の小休止があります。

亀太郎のお祖母さんが
おやつを持ってきてくれます。

「やれやれ」と言って
田んぼから上がって
小休止です。

木陰を捜して
一服して
おやつをたべます。

おやつと言っても
ふかし芋とか
干し飯
(著者は詳細はわかりません)
少し食べて
疲労を
回復させました。

夕日が
六甲の山並みに沈んでも
明るい内は
帰ることができません。

薄暗くなって
帰り始めます。

「作業終了」の
声とともに
家路に向かいます。




ロフトのお部屋の見学がユーストリームでもできます。

づーっと前は
テレビ電話と言えば
チャットでしたが
チャットは
少し時代遅れになってしまいました。

いまは
ユーストリームでしょうという
助言に従い
ユーストリームで
ロフトお部屋を
見学することができます。

要領としては
ウエブカメラが付いた
パソコンを
ご希望のお部屋に
持ってきて
ユーストリームを
配信します。

もちろん日時を決めておきます。

配信をして
電話で連絡を取りながら
ご希望の
ところを
配信するという要領です。

自宅にいながら
見る事ができますので
昼なら
明るく高く広い上りやすい
お部屋が
少しは体験できるかも知れません。

ユーストリームでお部屋の見学!をご覧下さい。

なお
ご要望がない場合は


こんな風で面白くないです。


夜間早朝は放送はしていません。(概ね午後9時頃より午前8時頃まで)

直接見られる方は
http://ustre.am/1ojFy で配信中です。ぜひ観にきてください!



2015年06月28日(Sun)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その53

朝食と
同じように
食事は進みます。

食事のメニューも
変わりません。

静かに
食事を摂ったあと
夏以外なら
ほんの一瞬の休憩のあと
「作業」の声です。

夏なら
昼寝です。

家族揃って
昼寝です。

亀太郎は
仕事をしていない子供の時は
昼寝の時間が
嫌いでした。

眠くもないのに
横になって
動いてはいけないのです。

たぶん
30分弱の
この時間が
嫌でした。

しかし仕事をしはじめると
この時間が
恋しくなります。

朝が早く
しんどい仕事を
長時間続けていると
眠たくなります。

亀太郎は
昼寝の
ありがたみが
わかりました。

眠ったあとは
体が
シャキッとなって
仕事が
またできました。

昼寝の
長寝は
禁物です。

余計に
だるくなるので
清左衛門は
遠慮もなく
「作業」の
声が出ます。

また仕事です。

夏なら
一番暑くなる
午後の仕事は
苦痛です。

そんな時に
清左衛門は
「休め」の声がかかります。

各々
田んぼから上がって
この影で
一服して
家から持ってきた
湯冷ましを
飲みます。



2015年06月27日(Sat)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その52

歯ブラシは
ヤナギの枝なら
歯磨き粉は
目の細かい
砂というか
粘土と言ったらいいか
そんなものを使います。

その砂は
六甲山の麓で取れて
売りに子供が
売りに来ていました。

砂だけでは
さっぱりした感覚が出ないので
ハッカとか
唐辛子・丁字などを加えたものも
ありました。

他に
塩で
磨く習慣がありました。

小作人の
清左衛門の家では
塩で磨くなど
考えられませんので
砂だけの
もので
歯磨きしていました。

甘いものなど
食べたことがない
亀太郎の歯
虫歯などありませんでした。

今で言えば
歯石は
ありましたが、
ほどほどの歯並びでした。

亀太郎は
6歳の時に
母親に言われて
楊子を
使うようになりました。

朝食後の一服が過ぎ
用をたしたあと
清左衛門は
「作業」の
声を上げます。

家人たちは
一斉に
用意して
田んぼに向かいます。

夏なら午前7時頃
冬なら午前8時頃の作業開始です。

軽作業で
暑くない時期なら
昼まで
働きづめです。

時計がないので
お寺の鐘が
正午を告げると
昼になります。

お昼になると
ぞろぞろと
揃って
家に帰ります。

家に帰ると
水で
手足をゆすいで
朝食と同じように
食事を摂ります。

暑い時期なら
服を脱いで
体を
水で濡らした
手ぬぐいで
拭きます。



2015年06月26日(Fri)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その51

お茶碗や箸を
洗うことはありません。

油の入った料理や
脂の多い食材を
扱うことなどない時代ですし
水道というものもない時代に
水で洗って
余計に食中毒を起こす
菌を付ける恐れがあるので
洗わないのは
当然のことです。

この習慣がなくなるのは
水道が
設備される頃に
終わります。

食後は
しばらく
そのままいます。

何もせずに
休息する時間になります。

と言っても
ほんの数分ですが
用をたすまでの
時間です。

外の
便所に行って
用をたします。

そのあと
手洗い鉢で
手を洗って
仕事に出かけます。

早飯が
芸の内なら
早くそも
芸の内です。

便秘の人なら
大変困るところですが
野菜が
ほとんど主食というくらい
食べていますので
便秘の人は
少ないみたいです。

トイレをサッサと終えます。

食後
歯を洗わないのかという
疑問がわきますが
それは
朝食前に
行っています。

手水(ちょうず)と言って
顔を洗う時に
一緒に
楊子(ようじ)で
歯も洗っています。

楊は
ヤナギのことで
ヤナギの枝を
叩いて
あるいは
噛んで
房のようにした
ものが
楊子です。

現代で言う
歯ブラシです。




2015年06月24日(Wed)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その50

現代では
よく噛んで
ゆっくり食べるのが
最善ですが
この時代の
食事は
早飯です。

早く食べて仕事をすると言うことと
早く食べないと自分の分がなくなると言う意味があります。

その日に焚く
麦飯の量は
決まっています。

1年に食べられる
麦やお米の量は
倉に仕舞ってある
量でしかありません。

家長たるもの
その量を
固く守らないと
いけません。

当然の如く
早く食べた方が
量が食べられます。

成人男子は
一日に
1升の麦飯を
当然の如く
食べたようです。

肉体労働ですから
そのくらいの量を食べないと
仕事ができないのでしょう。

どんぶり茶碗で
一気に
かき込みます。

おかずは
野菜の煮物と
漬け物です。

山のように
大きな皿に盛ってある
漬け物も
みるみるうちに
なくなってしまいます。

亀太郎は
まだまだ小さいので
たくさんは食べられません。

早飯も
自分は
8分のできたと
思っていました。

清左衛門は
充分に食べると
冬なら温かいお湯を
夏なら
湯冷ましを
お茶碗に入れて
最後の漬け物で
ゆっくりと洗った後
その漬け物と
水を飲んでしまいます。

そして
家人たちが
食べ終えたのを
確認してから
「ごちそうさま」と
と言って
食事を終えます。

家人たちは
その声を聞くと
各々
食事を終え
「ごちそうさま」と
唱和した後
お膳の中に
お茶碗と
箸を入れて
蓋をし
棚に仕舞い込みます。








2015年06月23日(Tue)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その49

食べることに感謝の意味もあって
食事中は
無言です。

音を出して
食べるのは
何の問題もありませんが
「頂きます」
「ごちそうさまでした」
以外の言葉は
言うことはできません。

「麦ご飯は
美味しくない」
と言うようなことを
言う人間は
この時代にはいませんが
もし言ったら
即座に
その場を追い出されて
食事は
なしになります。

それと反対に
「おいしい」と言っても
無駄口と言うことで
家長の
叱責の
対象となります。

食事を作っている
人達の
ただ報いとなるのは
綺麗に
釜の中のものが
なくなったという事実です。

各自の食事は
まず
お膳を出すことから始まります。

お膳とは
箱のようなもので
清左衛門の家では
木でできた
粗末な箱です。

上に蓋が付いていて
開けて
茶碗と
お箸を出します。

家長の
清左衛門以外は
自分で出すのが
決まりです。

亀太郎も
自分のお膳を
棚から取り出し
自分の席に
持っていきます。

中から
茶碗を出し
姉のところに持っていき
ご飯を
よそってもらいます。

席について
清左衛門の
「頂きます」の声のあと
みんなで
「頂きます」と
唱和して
食事が開始されます。







2015年06月22日(Mon)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その48

起きて
朝食までの仕事を
当地では
「朝の間の仕事」仕事と言います。

慣用句の
「あさめしまえ:朝飯前」の
語源となる様な
仕事です。

とにかく
朝起き縦の空腹時
重労働は
こたえるし
薄明かりの中する仕事ですし
簡単な仕事が
多いのです。

家長の
清左衛門は
そんなところに気配りしていました。

日が
充分に出たころ
家に帰ります。

外の
井戸で
手足と
顔を洗います。

汗が出る時には
服を脱いで
拭き取ります。

家に入って
清左衛門の母親と
亀太郎の姉が作った朝食を食べます。

朝食は
いつも同じです。
畑で取れた野菜の
漬け物と
煮物
それに
麦飯です。

漬け物は
大根が主ですが
キュウリや
なすなど
漬けられるものなら
何でも
漬けて食材にします。

煮物は
単に
水で炊いただけのもので
出汁を使っているわけでもなし
油揚げなどを入れて
美味しくなどしていません。

醤油や
味噌など
全く使っていません。

塩味のみです。

麦飯は
江戸時代の調理法では
誠に食べにくいものでした。

麦は
外側ほど硬くなっていて
お米のように
簡単に精白できません。

江戸時代は
麦を
水に浸けてから
砕いて
それから炊きます。

麦特有の
臭い(一般的には臭いと言います)と
ボソボソする
麦飯です。

清左衛門一家は
この食事になれているというか
食べられること自体を
感謝していました。



2015年06月21日(Sun)▲ページの先頭へ
ロフトのライブビデオ ほぼ10年ぶりに復活

ロフトのライブビデオを
以前やっていました。

ウエブカメラを
空いているロフトに置いて
見ていただいていたのです。

この8月で
ちょうど10年になりますが
雷で
故障してしまいました。

復活せねばならぬと思いつつ
10年が過ぎて
今日復活しました。

ユーザー guest
パスワード user
と入れて下さい。

暗視機能は切ってありますので
夜は真っ暗です。

明日ご覧下さい。

バン・チルトします。

ロフト付き のライブビデオ

長編小説「昭和」その47

正月が終わると
また一年の始まりです。

天気が
毎年同じなら
全く同じ
同じ年になるのですが
江戸時代は
自然災害が
多発した時代でした。

小氷河期が
やって来たと言われた時代でした。

今のように
冷害に強い品種改良などもなしに
冷害がやってくるので
農業に従事している
人間は
命を脅かされるくらい
大変なことでした。

清左衛門の一日は
1年365日の内
正月三ヶ日と
まつりの時
村の伊勢講の日以外の
360日は
同じです。

朝は
まだ暗い内から起きます。

現代では
夜でも
電気や
街灯があって
明るいですが
江戸時代は
夜は
月や星が出ていないと
真っ暗です。

日の出の前の
薄明かりを頼りに
起きるのです。

夏なら3時頃
真冬なら
6時頃です。

一番最初に
清左衛門が起きて
外の様子をうかがってから
「起床」の声を上げます。

就寝が早いので
40才を越えた
清左衛門は
早く目が覚めるのです。

ティーンエイジャーの
亀太郎には
まだまだ
寝たりませんが
目をすりすりしながら
服を着替えて
出かけました。

まだまだ暗い夜道を
田んぼに向かって歩いて行くのです。

間違って
水路や
どつぼに
落ちないように
気を付けながら
歩いて行きました。




2015年06月20日(Sat)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その46

元旦は
何もせずに
一日が終わります。

2日目は
事始めです。

新しい下駄を下ろして
小作人の清左衛門は
地主様のところに
年始の挨拶に出かけました。

近くの
五人組の仲間と
一緒に出かけました。

五人組は
江戸時代のはじめにできた
組織のひとつで
連帯責任で
年貢を納めさせたり
悪い企てをしないか
相互に見張りをさせる組織だったのです。

そんな組織ですけど
ぎりぎりの生活をしていた
小作人にとっては
相互扶助組織として
この時代には
なっていました。

年始に行くと
地主様の中には
ひとそれぞれで
挨拶だけで終わる者もいるし
御神酒を振る舞ってくれる
ありがたい
地主もいました。

そんな地主様には
一番あとに挨拶に行って
ただ酒を
たんと飲んで
清左衛門は家に帰りました。

家人は
うらやましそうな目で見ていましたが
それだけのことです。

3日になると
正月最後となるので
年中働いている
家人たちは
手持ちぶさたになってきます。

早めから
お風呂をたてて
順番に入って
早めに
寝ます。

そして
仕事が休める
正月は
終わってしまいました。



2015年06月19日(Fri)▲ページの先頭へ
安保法制を論議するのも良いがその隙に派遣法が変わるようだ

以下の記述には
誤るがあるかもしれません。

安保は
重要です。

将来の戦争を
どのように回避するかの論議と
思っています。


でも
新聞の隙間に
派遣法が成立間近と
書かれていました。

なぜ
みんなは関心がないのか。

派遣社員を
恒久化する法律なのに
自分が
自分の息子が
自分の孫が
派遣社員になることが
充分に予想されるのに
なぜ
関心がないのか
私は
信じられません。





長編小説「昭和」その45

正月元旦は
今で言う
寝正月です。

日が昇ってから
雑煮を作ります。

お餅と
大根が入ってもので
年末に仕込んだ
味噌仕立てになっています。

まず
ご仏壇と
かまどに
お供えしたあと
みんなで
食べます。

各自のお膳を
板間に出して
全員
正座して
家長である
清左衛門が
「おめでとう」というと
他の者は
口を揃えて
「おめでとうございます。」と
唱和して
食事が始まります。

いつもの食事の時と同じように
言葉はありません。

黙って
お茶碗を出すと
おかわりをしてくれます。

もう
お腹いっぱいになれば
お湯を入れて
お茶碗を
洗って
自前のお膳に
仕舞い込みます。

昼ご飯や
夜ご飯は
お湯を沸かすくらいで
他の用事はしません。

作り置きの
おせち料理を
黙々と食べます。

おせち料理と言っても
家で採れた黒豆
肥料にも使う干し鰯の煮物(田作り)
お餅
いつも野菜の煮物
くらいのものです。






2015年06月18日(Thu)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その44

農閑期の
農作業は
それ程でもありません。

夏の暑さに比べれば
冬の寒さは
仕事をしていると
苦になりません。

夏に
日射病(今は熱中症と呼んでいるようですが)で
倒れることが
あっても
冬の寒さで
倒れる人は
いませんでした。

こうして
一年が終わる
年末が来ます。

年末には
~社にしめ縄をかけて
30日には
餅をついて
31日には
おせちを作ります。

大晦日に
年越しそばを食べるような習慣は
ありません。

ご仏壇
床の間
かまど
倉庫に
お餅を供えて
正月を迎えます。

お寺では
除夜の鐘が
今と同じように
ならされますが
それを
起きて聞く人など
この時代には
ほとんどいません。

正月が開けると
3日までは
朝の間の仕事は
ありません。

1日は
雨戸も
開けることはありません。

もちろん
外にある便所に行くために
玄関の扉は開けますが
『福が逃げる』と言って
開け放すことはありませんでした。

















2015年06月17日(Wed)▲ページの先頭へ
新しい防音室のベースメント作って疲れてしまいました。

新しい防音室を作るために
炎天下で
コンクリートブロックを
積みました。

62才
もうすぐ
63才の
老人にはこたえます。

疲れました。

寒いのも嫌だけど
暑いのも嫌です。
ただの
ワガママですが






2015年06月16日(Tue)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その43

屎尿の
肥料を
「下肥:しもごえ」と
呼んでいます。

下肥は
少し置いてから
田んぼに撒きます。

置いておく施設が
「土壺:どつぼ」です。

現代でも
その言葉が残っていて
「土壺にはまる」と
よく聞きます。

土壺は
関西の方言で
関東では
野壺と言うらしいのですが
いずれにせよ
肥だめです。

雨水が入って
大事な
屎尿が
薄まったり
流失しないように
屋根が付いているものもあります。

土壺には
屎尿の中の
浮く成分が
浮いていて
あたかも
地面が
そこにあるように
見えるのです。

それを
見誤って
土壺に
落ちる人も
年に
何人かいます。

大人なら
亡くなるようなこともないですが
子供なら
亡くなることも
あったかもしれません。

そんな危険な
土壺が
田んぼのあちこちに
ありました。

亀太郎は
親によーく
言い聞かせられていましたので
そのようなことは
ありませんでした。



2015年06月15日(Mon)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その42

たんごは
口が40cm弱
底が30cmほどの
逆円錐台の形をしていて
2本の角のような
板が出ていて
底に
縄を通して
それを
天秤棒で担いで
運びます。

たんごは
竹で
強く輪掛けされていて
屎尿が
漏れないようにしています。

不潔とか
不衛生などという
域を
現代ではズーッと越えた
超不衛生な
入れ物です。

うまく担がないと
屎尿が
パチャパチャと
波だって
飛び跳ねてきます。

大八車に積んだら
何しろ
悪路ですから
飛び散ってしまいます。

臭いはもとより
いろんなものが
飛んできます。

そんな悪い環境なんです。

だからといって
やらないわけにはいきません。

お米や
他の作物には
肥料が必要です。

今では
植物の栄養素は
窒素リン酸カリの
三大栄養素と
他に10種の栄養素が
必要なことが分かっていますが
当時は
そんなことがわかるはずもなく
経験に頼っていました。

お米には
干し鰯が効果的なことが
分かっていました。

今津の
港にも
鰯が上がって
それを
干して
売っていました。

現金が
必要ですので
使えるかどうかは
小作人の
資金力です。















2015年06月14日(Sun)▲ページの先頭へ
今はこんなもので藁縄を作っているのか

今日報道番組で
興味深いものを見ました。

画面を
写真に撮りました。

祇園祭の
山車の組み立てに使う
藁縄を
作っているというのです。

長編小説では
手で綯っていると
書いておりましたが
現代では
高速で機械で綯っているみたいです。

あまり高速ですので
縄が見えませんが
手前の
ドラムに
藁縄が撒かれていきます。

私の小さい時は
足で回す
縄綯機がありました。

ロート状のところに
手で藁を差し込んでいくと
縄が綯っていきます。

そんな機械でした。

現代の機械は
自動で
藁も補給するみたいです。

写真の機械は
相当古そうですので
たぶん
何十年前には
こんな機械があったのでしょう。

(モーターとプーリーは新しそうです。)

びっくりです。

生産性は
凄く上がったと思いますが
でも
藁縄を使わなければならない
用途は
限りなく小さくなっているみたいです。

たぶん
写真の
2台で
充分に足りると
思います。

あなたはどう思いますか。

ご存じでしたでしょうか。














長編小説「昭和」その41

叔父さんの
大工としての技術は
相当なものです。

少しずつ
道具も蓄え
いつか
大工として
独り立ちする日を
夢見ていたのです。

しかし
大工仕事が
ズーッと
続くかどうか
心配でした。

叔父さんは
踏み切れないまま
へやずみとして
清左衛門の家に住んでいました。

今津は小さな村です。

歩いて行けるような
西宮宿は
少し大きな町です。

旅籠や
商家・職人の家などもありますが
大工仕事を
行う人が
町の中に住んでいて
仕事を
引き受けていました。

叔父さんに
仕事が回ってくるとは
思えなかったのです。

叔父さんは
何かにつけて
町に行って
仕事がないか
捜していました。

町に行く用事は
屎尿の回収と
野菜の販売です。

屎尿は
農業にとって
大事な
肥料です。

この時代は
野菜などと
交換で
町家から
屎尿を
もらって
田んぼの
「どつぼ」に
蓄えていたのです。

大八車に
桶
を積んで
運ぶ
あまりしたくない仕事です。

桶は
『たんご』と呼ばれていました。








2015年06月13日(Sat)▲ページの先頭へ
まだまだ まだまだです。

「この物語は
明治・大正・昭和を
疾風のように駆け抜けた
人々の物語です。」で始まる
「昭和」は
40話まで
きました。

まだまだ
江戸時代で
怒濤の変革が起きる
幕末・維新が
なかなか来ません。

まだまだ来ないと思いますが
根気強く待っていただくよう
お願いします。























長編小説「昭和」その40

まつりの次の日は
休みではなく
仕事です。

雨ならば
ワラ仕事
天気なら
麦の準備です。

亀太郎は
翌日
肩が
赤く腫れて
腕が上がりません。

休むわけにはいかず
ぎこちなく仕事をしていました。

まつりが過ぎると
一年お仕事の大半は
終わったことになります。

麦作りのための
用意と
冬の野菜の用意が主ですが
農閑期の
冬には別の仕事があります。

村のための
川普請や
道普請
それに
自宅や納屋の
雨漏りの修理
農機具の修理
など
仕事は
山ほどあります。

今なら
他の人に頼むのが
普通ですが
現金がない
小作人は
何でもできなければ
やっていけません。

時に鍛冶や
大工
水道工
井戸掘り職人などこなしていたのです。

叔父さんは
特に大工仕事が
得意で
農閑期には
他の家にまで
助けていました。

亀太郎も
叔父さんの助手として
働きにいって
仕事を
覚えていました。



2015年06月12日(Fri)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その39

平素
飲み慣れていない
お酒を飲んだ村人たちは
羽目を外すこともありますが
どんなことがあっても
酔って
地主さんに
絡むことはありません。

以前
絡んで
ひどい目にあった
小作人のことが
伝説になっているのです。

お酒を飲まない
世話役が付いていて
注意を払っているのです。

それくらい
地主と
小作人の間にはは
上下関係があります

亀太郎は
まだまだ子供ですから
飲酒できる環境には
なりません。

秋の
日が
西に落ち始めると
世話役は
だんじりを
神社に向けて
進みます。

秋の日はつるべ落とし
暗くなるまでに
神社の倉庫に
だんじりを仕舞うことになります。

おとなたちは
酔っぱらっていて
仕事ができませんので
飲まない
亀太郎の世代が
淡々と
片付けました。

倉庫にすべてをしまい込み
世話役が
扉を閉めたら
まつりは終わりです。

亀太郎は
名主の家によって
夕食をすませて
家に帰りました。

外で
服を脱いで
水で体を洗いました。

肩が
水にしみました。

すぐに横になって
寝ました。

父親の
清左衛門は
深酔いして
夜遅く
家に帰ってきました。





2015年06月11日(Thu)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その38

今津には
福應神社・上野~社があって
ふたつの神社の
だんじりが
ぶつかり合うのが
まつりの
最高潮です。

平素
働いてばかりの
日々ですが
この日は
朝の間の仕事だけです。

朝食後は
神社に集まってまつりが始まりです。

戸主は
羽織を着て
前を歩くことになっています。

亀太郎は
担ぎ手になります。

まだまだ
背が低いので
ぶら下がるようなものですが
まつりに参加していました。


叔父さんは
担ぎ手の中心で
頑張っていました。

叔母さんや
お祖母さんは
地主さんの家の
台所で
村中の人の
昼ご飯と
夜ご飯の用意です。

三拍子の
太鼓が鳴り始めると
だんじりが
動き始めます。

村の道は
細いし
だんじりは
重いし
右に揺れ
左に揺れながら
村中の道を
何回も
巡るのです。

ふたつのだんじりが
会った時に
だんじりあわせが
行われます。

その時々で
違いますが
ここぞとばかりに
ぶつかり合わせることもありました。



2015年06月10日(Wed)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その37

お米が取れると
麦を作り始めるまで
少しだけ余裕があって
その時間が
まつりです。

今津のある地方では
秋祭りが行われます。

神社の行事です。

今津の神社は
10月13日秋祭が行われます。

もちろん旧暦ですので
11月下旬
今の勤労感謝の日
あたりです。

まつりには
だんじりが繰り出します。

村人全員が
まつりに参加します。

村の行事の
事細かなことは
村の寄り合いで
決めることになっています。

もちろん
村の中にいる
地主の意見が
一番通るのですが
決められたとおり
実行するのは
清左衛門らの
つとめです。

だんじりに
乗って
太鼓を叩くのは
地主の子供です。

その他大勢のものは
だんじりを
担ぐ役です。

前々日に
神社の倉庫に
仕舞ってある
だんじりを
取り出します。

持ち手の丸太を
取付け
幕や旗提灯などを吊り下げます。

前日は
宵宮で
お酒が出ます。

家長が出席して
ただ酒を
飲めます。

清左衛門は
平素は
酒は飲みません。

飲めるような身分ではないと
思っていないし
酒を買うための
お金など
小作人には
ありません。

この時だけです。

逆に言えば
家長以外の人には
一年中
お酒など
飲む事はできません。

清左衛門は
家長ですので
ここぞとばかりに
飲もうとしましたが
平素は飲んでいないので
すぐに
酔いが回って
飲めませんでした。




2015年06月09日(Tue)▲ページの先頭へ
えびせんを食べようとしたら

女房殿が
スーパーマーケットに行くと
えびせんが
売っていたそうです。

小さい箱ですが
ずっしり重いのです。

中身が一杯だから
重いと
推測するのが
普通です。

女房殿は
重いのが好きだそうです。

そう言えば
キャベツや白菜は
重いものが
良品なのですよね。

買って帰って
封を開けて
食べようと見たら
上げてなかったのです。

そうなのです。

買って帰った
えびせんは
生の冷凍で
家で
油で揚げる必要があったのです。


とんだ失敗です。













長編小説「昭和」その36

中学の歴史の授業で
江戸時代の初めは
四公六民でしたが
暴れん坊将軍で有名な
徳川吉宗公が
五公五民に
引き上げられたと
講義を受けたことを
記憶しております。

江戸時代の末期ですので
基本は
五公五民だったと思います。

清左衛門が
農業を営んでいた
今津は
江戸時代初めは
尼崎藩領でしたが
幕末の頃は
天領となっていて
武庫之荘にある
代官所が支配していました。

幕府に
生産高の
五割を納めます。

残りの内おおかたを
地主に納めなければなりません。

小作人の取り分は
冬作の麦と
種籾の分と
頑張って作った収穫の増収分
でした。

ほとんどを
納めるのですが
それをしないと
取り上げられてしまいます。

田んぼを
散る上げられると
生活ができません。

今なら
別のところに
就職して
仕事もできますが
長年
農業を営んでいた
清左衛門には
際だった
技術があるわけでもなく
商才があるわけでもなく
資本があるわけでもありません。

田んぼがない
小作人は
飢え死にするしかないのです。

年貢が
どれほど多くても
納めるしかありません。




2015年06月08日(Mon)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その35

俵に入れた
玄米は
ワラ縄で
ぐるぐる巻にします。

コクゾウムシが付かないように
強く縛るのです。

そんなことしか
対抗手段がないことが
その縛る最大の
原因です。

現在のお米に
コクゾウムシが
混ざっていないので
知らないと思いますが
夏場
倉庫に仕舞ってある
俵から
ザァーザァーという音が
聞こえるのです。

屈強の若者が
俵を締めたからと言って
小さな
コクゾウムシがなくなるとは
おおよそ
考えられません。

大正時代になると
鉄でできた
テコの原理で
もっともっと強く
締める
俵締め器が
出るのですが
江戸時代のこの頃は
汗を出して
せっせと
締めるのでした。

俵に入れられた
お米が
倉庫に並びました。

地主から
年貢の量が
知らされたのです。

取れ高に合わせて
年貢の量が
決まります。

代官所の役人や
地主の番頭が
出来高を
算段していたのです。



2015年06月07日(Sun)▲ページの先頭へ
吸音材を張っていない防音室の防音テスト

防音室防音テストしてみました。

何度もしてますので
特に目新しものではありませんが
今回は
吸音材なしです。

吸音材ありも
取ろうと思います。

新しい知見を
得るためです。

どのようになるか
楽しみです。


防音室付きマンション

長編小説「昭和」その34

現代の農業なら
刈り取りから脱穀まで
一度にしてしまうし
籾摺りは
機械ですぐです。

江戸時代の末期は
稲刈り
乾燥
脱穀
籾摺り
の工程は
どの工程をとっても
大変な仕事です。

手数のある
清左衛門の家でも
これらのことが終わるのは
夜明け前から
夜更け過ぎまで
せっせせっせと
仕事をしても
1ヶ月余は要します。

どの仕事をとっても
辛い仕事です。

特に
屋外ですることの多い仕事で
雨が降ると
お米を濡らしてしまうので
空模様に
気を配りながらの
仕事でした。

お米には等級があって
品質によって
価格は違います。

一度濡らしたお米や
小米(小さいお米)などが混ざったお米
乾燥度合いの悪いお米などの
品質の悪いお米は
価格は安くなり
年貢として納める時に
斟酌されます。

倉庫に
バラ積みで入れられた玄米は
村にある
1斗枡で
正確に測られ
ワラで作った
俵に入れられます。

4斗で
1俵となるのですが
なんかかんやと
理由を付けて
多めに入れなければなりません。




2015年06月06日(Sat)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その33

仕事を急ぎました。

稲を
千歯こぎによって
脱穀し
収穫が始まりました。

脱穀したお米を
籾(もみ)と言います。

籾は
発芽する能力があります。

来年に備えて
一番良く
できたところの
籾を置いておきます。

倉庫の奥に仕舞ってしまうのです。

残りの籾は
籾摺りをします。

籾を
その名の通り
擦って
籾殻を取りのぞくのです。

お米は
外が一番柔らかく
だんだん中にいくほど
硬くなっている構造になっています。

籾を外すのは
指でもできますが
そのようなことをしていては
時間が掛かりますので
柔らかい臼を使います。

粘土を固めて
作った
臼の中に入れて
回して
籾殻を取りのぞきます。

籾摺りを
「うっすり」と
言っていました。

籾殻を取ったお米を
玄米と言います。

籾殻と玄米は
混ざっているので
とおみで
風にさらして
より分けます。

玄米は
倉庫にむしろを敷いて
一時蓄えます。



1 2    全37件