ロフト付き は、おもしろい - 2015/05

ロフト付き って良いですよね。隠れ家というか何というか。
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皆様お元気ですか。
『心をダイヤモンドのように
清らかで堅くて光るもの
にしてください。
神様が見ていて
助けてあげるようにと
私たち(妖精)にお命じになります。』
(私のブログ小説よりの一節)

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ロフトで笑ってすごそう
亡きアスカルも笑っています

ジーッとアスカルを見ていると変わります。

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2015年05月31日(Sun)▲ページの先頭へ
ベイクドチースケーキは膨らますことはできるか

ベイクドチースケーキは
しっとりとした感じが良いですよね。

あまり膨らんでいない方が
特長なのかも知れません。

変わったことが
好きな私ですので
膨らんでいる
ベイクドチースケーキを
目指しています。

チーズケーキがあるなら
餡(あん)ケーキもあって良いはずではないかと
あんケーキを作ってみました。

こちらは
サクサクした
食感です。

ケーキには
ない食感です。




特に意味のない
エントリーですので
無視して下さって結構です。



長編小説「昭和」その28

まだまだ未熟な
亀太郎であろうと
熟練した清左衛門であろうと
もう真夏になっている
田んぼでの仕事は
暑いと言う一語に尽きます。

笠を被っていても
汗が噴き出してきます。

熱中症になる様な人は
その時代は
生きては行けません。

きっと子供の時に
死んでしまったでしょう。

強健な
体と心を
持っている人だけが
この時代に
農業に従事することが
できるのです。

汗を
拭くこともできない
かんかん照りの田んぼを
ぬかるんだ足下を気にかけながら
進んでいきます。

時々降る
夕立が
恋しくなるような
暑い日々が続くと
人間とは反対に
稲は
株が多くなって
背も高くなります。

当時の稲は
背が高い品種であると言われています。

2番草が終わると
最後の除草の時期なります。

3番草を
やっとこさ排除すると
充分に
株が増え
水の管理は
一段落します。

田んぼから水を
抜きます。

旧暦の
七夕の時期(年によりますが8月の末です)になると
天気は
安定して
農作業も
一休みの時期になります。

お盆の行事が
普通は
営まれます。

旧暦では
お盆は7月の15日で
新暦では
8月末か9月はじめの頃です。

迎え火とか
精霊流しとか
この時代は
全国的に行われていました。

清左衛門の家は
浄土真宗の信者です。

真宗の信者を
門徒と呼ばれていました。

門徒では
迷信を信じてはいけないという
教えがあって
お盆だからと言って
ほとんど何もしません。

亀太郎の
新仏(あらぼとけ)が
あった年ですが
いつものように
清左衛門の
母親が
毎日お灯明をつけ
正信経を
上げるだけの毎日です。

盆だからと言って
休むとか
特別の料理が出るとかいうことは
ありません。

        

2015年05月30日(Sat)▲ページの先頭へ
もし生まれかわれるなら

「生まれかわることができるなら」
という
可能性とか
現実性とかを
置いておいて
そんなことが
起こったら
良いですよね。

先日
テレビを
女房殿と見ていました。

テレビの中で
3名は70名の何パーセントという
問題が出ていました。

私は
少し暗算ができますので
4.28パーセント?と答えたら
女房殿が
「正治さん凄い!(私のことです)

今度生まれてくる時は
暗算ができる人間になりたい」と
言いました。

私は
「今度生まれてくる時は
『正治さん凄い』と
言うほうになりたい」と
答えました。

隣の芝生は青いと
言いますが
本当にそうですよね。

ねたむ私は
『十悪』を
犯してしまっていますので
きっと
人間には
生まれ変わってくることは
できないでしょうね。

やっぱりそうです。





長編小説「昭和」その27

二番草の生える時期になると
稲も大きくなって
少々の雑草にも
負けないようになっていましたが
「ひえ」が
生えてくるのです。

稗(ひえ)は
同じ稲科の植物です。

小さい時には
ほとんど
稲と同じです。

稗を取らずに
育てると
稗の方が
よく育ち
背が高くなって
稗ばかりの
収穫になります。

江戸時代の初めには
まだ未開墾の
荒れ地があった
枝川周辺には
稗だけを
植えた田んぼもありましたが
この時代には
稗は
作ることがありませんでした。

稗を
取りのぞく
稗取りも
するのです。

稗は
よくみると
お米とは違います。

初めての亀太郎は
母親に
詳しく教えてもらいました。

間違って
お米を
抜いたら大変ですので
心して聞きました。

稗は
葉っぱの中心に
白い線が
入っていて
葉っぱの付け根に
毛が生えていないのです。

大きくなると
はっきりとわかるのですが
小さい時は
これがわからないのです。

しかし
清左衛門は
ほとんど見ずに
稗だけを
抜いていくのです。

亀太郎は
凄いことだと
思いました。


2015年05月29日(Fri)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その26

その年は
7月に入ってから
雨が降り
水の管理は
容易になりました。

稲の株が増えて
みるみる大きくなっていきました。

それと同時に
雑草も
生えてきました。

現在なら
除草剤で
パッパですが
手で抜くしかありません。

明治時代後期には
回転中耕除草機と呼ばれる
回転する刃が
田んぼの表面を
かき回して
草を抜いていきます。

そんな便利なものが
発明されていない
江戸時代は
手で抜くしかありません。

どの農作業も
同じですが
人海戦術で
手で抜いていきます。

田植え後
はじめて抜く草を
1番草と
呼びます。

稲も
大きくなっていませんので
草も小さいです。

稲より
草の方が
よく伸びるのです。

大きい田んぼを
片方から
抜いていくのです。

暑い日
雨が降る日も
抜いて
終わった時
抜きはじめたところには
もう
2番草が
生えているのです。


2015年05月28日(Thu)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その25

所々にある
用水池は
それぞれ決まっていて
清左衛門の村の
池は
少し上にあって
水を蓄えていました。

今津は
大昔は
武庫川の氾濫瀬で
石がごろごろの
ところでした。

この時代には
武庫川は
今の武庫川の位置にあって
JA東海道線と国道2号線の間から
その支流の
枝川が
今津の方向に
流れていました。

流れていると言っても
JR東海道線以南は
大雨が降った時だけで
水が流れていて
平素は
石ころだけの
川底が見えるだけでした。

今津付近は
氾濫の時に流れてきた
大きな石が
山のように
そこらここらに
あるところでした。

そんなところですので
池になるところは
少し上にあったのです。

村人の
役に回った家が
水車を持って
池に赴き
水を
掻い出して
用水路に流します。

それを下流で
使うことになります。

水車を
回す役は
順番に回ってきて
清左衛門の家からも
叔父さんが
夜出かけていきました。

夜通し
回し続けることになります。

奇妙なのは
いくら
池を水を掻い出しても
少なくならないことでした。


2015年05月27日(Wed)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その24

先々代の清左衛門が
戸主を務めていたころに
日照りが続いて
稲が
ほとんど枯れて
収穫できなかったことがあります。

田植えのあと
稲は少しやすんだあと
根が新しくなって
生気を取り戻します。

その後
気温と
水の管理が合えば
稲は
株はドンドン増えていきます。

ひとつの苗が
何株にも増えるのです。

ひとつの株から
ひとつの穂が出て
お米ができますから
株が増えなければなりません。

水の中に
稲がないと
株が増えません。

もちろん多すぎるのも
いけないことですが
絶対に
水が必要です。

稲作りには
豊かな経験と
運と
一層の努力が
必要です。

亀太郎が
働き始めた翌年は
少し日照りが続きました。

田んぼの枕(水を引き込む田んぼの名称)の
用水路を
せき止めても
水が
田んぼに入ってこなくなりました。

取水する
武庫川の
水も
清左衛門は
見に行きましたが
ほとんど枯れていました。

こんな時には
用水池から
水を引き込むことになります。

2015年05月26日(Tue)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その23

田植えは
一日中
中腰になって
足場の悪い田んぼを
後ずさりしながら
進んでいく
仕事です。

関東では
進みながら
田植えをするのですが
関西では
後ずさりしながら
足跡を
手で平にして
消しながら
植えていきます。

同じ日本でも
田植えの仕方が
大きく違うことを
清左衛門は
知るよしもなく
死ぬまで
知りませんでした。

旅行など
絶対に行けなかったので
知らなかったのです。

清左衛門の家では
働き手が
多いので
家人だけで田植えをすることができました。

5日かかりました。

家人が少ない家では
田植えを終えた村から
雇い入れるのです。

田植えをする人を
「さなえ」と言います。

早苗さんには
お金を払うか
労働で返すか
いずれにせよ
対価を払わなければなりません。

家人が多いことは
農業にとって
好都合ですので
子沢山は
農家の安定経営のためには
必須条件です。

田植えが済むと
仕事は
その年によって
大きく違います。

水の管理
稲の害虫や病気など
その年によって違うからです。


2015年05月25日(Mon)▲ページの先頭へ
遮熱塗料をすべての建物の屋根に塗装したら


昨日に報告しましたとおり
遮熱塗料は
効果があります。

原理は
太陽光の
熱になる波長
近赤外線を
反射するんです。

100パーセントは無理として
かなりの
近赤外線を
反射するみたいです。

メーカーのカタログによれば
塗ったクールホワイトは
全日射の反射率は91.0%(近赤外領域では87.8%)です。

屋根は
普通は
濃い色を使うのが普通ですので
遮熱塗料との差は
大きいのではないかと思います。

地球温暖化に対して
少しは役立つのではないでしょうか。

少なくとも
ヒートアイランド現象を抑制するかも知れません。

長編小説「昭和」その22

亀太郎はまだ子供で
幼いのに
働きは
屈強の清左衛門と同じ時間
働かなければなりません。

家族一丸となって
働かなければ
お米はできない
できなければ
家族全員の食い扶持がなくなり
家族全員が
餓死する可能性があるのです。

家長たる清左衛門は
幼い自分の子供に
情けをかけることは
できなかったのです。

それが分かっている
亀太郎は
日々
労働に勤しんでいました。

そして
農業に一番忙しい
田植えがやってきました。

現在なら
8条植えの最新田植機で
サッサと
1町歩の田んぼも
半日で
完了です。

清左衛門は
1町ほどの田んぼを
小作していましたの
半日で終わりです。

(8条植えとは8筋一度に植えながら進んでいく田植機のことです。
1町歩とは江戸時代の広さの単位で
現在の約1h(ヘクタール)で
3000坪 約10000平方メートルです。)

田植機などない
この時代
田植えは
大変な仕事です。

稲の苗の束を
左手で持ち
その中の一本を手にとって
中指に沿わしても
親指で
根を持ちます。

田んぼに
垂直に人指し指から差し込んでいきます。

手を離すと
苗が
田んぼに植わっているといことになります。


2015年05月24日(Sun)▲ページの先頭へ
ロフト屋根の遮熱塗料は効果がある

気温 屋根の温度
遮熱塗料塗装屋根面 33.1度 37.2度
遮熱塗料未塗装屋根面 53.2度
遮熱塗料を塗った面と
塗らなかった面は
明らかな差があります。

塗った方が
断然良いことがわかりました。


長編小説「昭和」その21

貴重な苗を
大事にしながら
苗取りを
朝から晩までしました。

現在の常識に従えば
朝から晩までと言えば
ながいと言っても
午前8時頃から6時頃でしょうか。

せれでも
昼一時間の休みを取っても
9時間です。

重労働ですので
9時間も働けば
充分に疲れていると思います。

江戸時代の末期のこの時代は
朝は朝星夜は夜星ですので
初夏のこの頃なら
午前4時前頃から
午後8時前までの働きです。

まだ暗い頃に
家を出て
薄明かりの中で仕事をして
7時過ぎに一度帰って
朝食を摂り
昼まで働き
短時間の昼寝後に
仕事に出かけます。
3時過ぎに
田んぼで
少し休んで
8時頃まで仕事です。

休む時間を入れなくも
13時間働いているのです。

重労働ですので
疲れます。

清左衛門が
大声で
「起床」と叫ぶと
朝が始まり
「終了」と
言うまで
働かなければなりません。

途中で
「休め」と
と言う言葉が
あると
休むことができますが
清左衛門自信が疲れていなければ
「休め」という言葉が
なかなか出てきません。

清左衛門は
なかなか疲れない
剛健な人間です。





2015年05月23日(Sat)▲ページの先頭へ
小さい防音室作り設置しました。

楽器もガンガンに使えるお部屋を目指しています。
「外部の音が録音の中に入って困る」という方のために
お部屋の中に
小さい防音室を
作ってみました。

完璧です。

やはり
小さい防音室は
防音性のが良いみたいです。



長編小説「昭和」その20

苗取りは
農業の中で
唯一座ってする仕事です。

小柄な
力のない
亀太郎にも
その仕事が回ってきました。

小さな
木でできた椅子に座って
両手で
苗取りをします。

のしろの田んぼは
充分に柔らかく作られていて
苗の根を
痛めず
抜くことができるのです。

苗を引き抜き
水の中で
バシャバシャと
洗います。

ワラで
束ねます。

水の中に入れて
すくっと
立つくらいの
大きさです。

苗を取りながら
進んでいきます。

父親からは
そーっと
抜くのだと言われ
水の中で洗うのも
そーっとするんだと
それから
ワラで束ねる時も
そーっと
苗を痛めないようするんだとも
言われました。

いろんな仕事に
未熟な
亀太郎ですが
こんなに何度も
言われるのは
初めてでした。

食べずに置いておいた
貴重な
種籾です。

一粒の種が
何万倍のお米になるのです。

貧しい
小作の
清左衛門には
代わりの種籾は
ありません。

あったとしても
今更苗にできる時期を
失しているのです。

苗は
貴重です。


2015年05月22日(Fri)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その19

大正時代に
水道が
塩素殺菌される
時代がやってくるまで
新生児の死亡率は7パーセント
一歳まで乳児の死亡率は15パーセント
でした。

一歳過ぎても
体が弱い小児は
亡くなることが多かった時代です。

弟が
亡くなったからと言って
特別なことではなかったのです。

小児の場合は
お葬式も簡単に行われて
墓地に
土葬されます。

葬式があったからといって
仕事を
休むことは出来ません。

一番忙しい
田植えに向かって
仕事は進んでいきます。

のしろの
水の管理を
注意深く
清左衛門は
していました。

日照りが続くと
水の管理は
難しくなります。

村の管理する
池から
用水することもありました。

暑い時期が来ます。

代かきが
何とか出来上がってくると
のしろに
稲の苗が
大きく育ってきます。

一粒の稲から
ひとつの苗が
育ちます。

百間樋井組の中で
今津村に
田植えの順番が
やって来る日時が
決まると
苗取りが始まります。


2015年05月21日(Thu)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その18

総領息子(家督を
譲ることが予定されていた息子)の亀太郎は
頑張らねばなりません。

長男だからといって
家督を相続できるとは
限りません。

実力と努力がない者は
家督の相続は出来ません。

家督を相続できないと
結婚など
絶対に出来ない時代です。

それを
亀太郎は
知っていました。

父親の
兄弟の
叔父さん叔母さんは
同じように働いても
結婚できずに
一生を終えます。

それだけではありません。

食事の内容や
住む部家
寝る布団まで
全く違います。

亀太郎は
努力していました。

そんな時に
亀太郎の
下の弟が
亡くなりました。

今の病名で言えば
敗血症でしょうか。

湿疹が
全身に出来て
傷口から
ばい菌が入って
高い熱が出て
あっという間に
亡くなったのです。

7才でした。

数え年ですので
満5才です。

誰もがそうであったように
栄養のあるものも
食べられず
衛生的な
住居もないことが
遠因であったことは
現代の目から見れば
歴然ですが
当時は
「寿命がなかった」と
諦めるしかありませんでした。

お寺さんに
簡単なお経を上げてもらいました。

清左衛門や母親は
小さなたるに遺体を入れて
野辺送りしました。

大変
悲しそうでした。




2015年05月20日(Wed)▲ページの先頭へ
防音室がやっとの事でここまで出来ました。

楽器が使い放題の
防音室を
作っています。

もちろん楽器にもよりますが
小社の技術と
努力と
お金を
投入して
作っています。

防音は微妙で
お金をかけたからといって
効果があるとは
全く限りません。

技術的には
高いと
自負しています。



壁貼りを
4分の3まで
来ました。



園田の2重壁防音マンションC102

長編小説「昭和」その17

水が
まだまだ
水路に少ない時なので
川をせき止め
堰を開けたからといって
田んぼに水が
入ってきません。

そこで
水車(みずぐるま)を
使います。

木で出来ていて
一段低い水路の水を
少しだけ
上げて
のしろに
入れます。

備中が
お金を出して
買わなければならないのに対して
水車は
何とか
自作できる代物です。

細い木と
板を組み合わせて
作るのです。

今ある
水車は
先代の
清左衛門と
その弟(清左衛門の叔父さん)が
つくったもので
村の中では
よく上がると
有名でした。

川をせき止めた
ところに
水車を設置します。

水車の上に乗って
足で
水車を
回すのです。

落ちないように
竹の棒を
横に刺しておいて
手すりにします。

端から見ていると
水車の上に乗って
ゆっくりと
歩いているだけのように見えて
ゆったりしている風景のように
見えます。

しかしこれは
見るほど
ゆったりしていません。

どこまでも
続く
坂を
上るような
もので
終わりがありません。

休みもありません。

亀太郎は
まだまだ
体重が
軽くて
うまく回せませんでした。

あまりゆっくり回すと
水が
隙間から
流れて
全然上がってこないからです。



2015年05月19日(Tue)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その16

春先には
空で止まりながら
ピーピーと鳴いて
卵を守る姿が
愛らしいと
思っていました。

それに
ヒバリは
悪いことをしないし
亀太郎は好きでした。

辛い代かきの仕事も
人海戦術で
何とか
田植えの時までに
出来上がりました。

亀太郎が
田おこし代かきをしているときに
父親の
清左衛門は
他の重要な仕事をしていました。


昨年の
お米の収穫の時に
多くの穂を
付けたお米を
種籾としておいてあります。

それを
木のタライに
水を入れて
種籾を
浸けます。

浮いた種籾は
使いません。

苗を作るために
特別に作った
「のしろ」に撒きます。

のしろにする田んぼは
水の便が一番良く
深田(ぬかるんでいる田んぼ)でもない
一番良田の枕に
作ります。

麦は作りません。

秋に
大きく田おこしして
水はけ用の
溝を作っておきます

4月になると
水を張って
代かきです。

まだまだ寒い
日に
代かきは
辛いです。


2015年05月18日(Mon)▲ページの先頭へ
三分の一理論は正しい

世の中には
拮抗する意見において
次の理論が成り立つと
私は
常に考えております。

「A案に賛成の人が三分の一
反対の人が三分の一
反対でも賛成でもなく
感心がない人が三分の一」


その理論が正しいことが
昨日の
大阪キ構想の住民投票の結果が
証明しました。

わずかに反対がうわまっていましたが
賛成票
反対票
棄権票が
それぞれ三分の一だったのです。

___________________________
以下は
私見です。

大阪市民は度量が広い方が三分の一
普通の人が三分の一
そんなことに感心がない人が三分の一
だということになります。

三分の一も
度量の広いひとがいるとは
感心しました。

頼もしく思いました。

関係ない尼崎市民としては
否決されたことが
残念ですが











長編小説「昭和」その15

現代では
無農薬・有機栽培は
とても誉められた
農法だと
評価されています。

江戸時代明治時代の頃までは
効果的な
農薬などありませんでした。

信仰とか
祈祷とか
そう言うものに
頼っていたのです。

農薬がない時代に
田んぼの中は
生き物が
「うじゃうじゃ」です。

蚊やハエ・ネズミなど普通です。

ムカデ・ヒルなどの毒虫などもいます。

毒蛇のまむしで
命を落とすお百姓さんも
希ではありません。

「はめ」と呼ばれていて
見つけた時は
殺してしまうのが
ルールです。

水の張った田んぼの中に入ると
ヒルが
ついてしまいます。

傷みはありません。

かゆみもありません。

亀太郎は
ヒルが足についた時は
母親のところに行って
取ってもらいました。

取っても
血はすぐには止まりません。

「仕事は
しんどいけど
耐えられる。
ヒルは
慣れることが出来ない。

ハメでなくて
良かった」と
思って諦めました。

田んぼの近くにいる生き物は
困ったものばかりでもありません。

可愛いものも
いました。

亀太郎は
「ヒバリは
可愛いと思いました。

親鳥が
子思って
鳴く姿が
愛らしいと
見ていました。


2015年05月17日(Sun)▲ページの先頭へ
大阪市民は度量が広いのか

度量とは
goo辞書によれば
1 物差しと枡(ます)。転じて、長さと容積。
2 他人の言行をよく受けいれる、広くおおらかな心。「―が広い」

広い心の人は良いですよね。

私憧れます。

今日投票中の
大阪キ構想の賛否ですが
結果は
もう少し後にならないとわかりませんが
そのような投票が
行われること自体
大阪市民は度量が広いと思います。

キ構想が実現すれば
今までの大阪市の税収の内
大きな三本柱の
法人市民税と
固定資産税を
大阪府に渡すんですよ。

残るのは
市民税だけと言うことになります。

きめ細かい
行政ができるといっても
財源がないと
何も出来ないのではないでしょうか。


いずれにせよ

自主財源を
差し出す案の
賛否を問う
住民投票をするとは
度量の広さですよね。


大阪市民でもなく
大阪府民でもない私は
そんな度量の広い
大阪市民を
尊敬します。

あえて言うなら
大阪キ構想に
私は大賛成です。

午後10時頃に
結果がわかるそうですが
早く知りたいです。

どの程度
度量に広い方が
おられるのか
結果が楽しみです。






















長編小説「昭和」その14

水の管理は
省力化されていても
代かきは
現代に言えば
「超たいへん」な仕事です。

農作業は
すべて
たいへんですが
代かきは
そんな仕事でした。

水のたまった
田んぼに
入ります。

長靴はありません。

わらじを
履く程度です。

普通は履きません。

田おこしで
ひっくり返した
土を
水と混ぜて
柔らかくして
平にするのが
代かきです。

当地での
道具の名前は
わかりませんが
「まんが」と呼ばれる
板状の枠に
下向きに
櫛のような出っ張りが付いた
器具を
前後に振って
土と水を混ぜます。

その後
板のようなものを
田んぼの上に
引っ張って
平にするのです。

田んぼには
水が張られていますので
木製で出来ている
農機具は
浮力が付いて
うまくいきません。

そこで
重く作られていて
前後にふったり
引っ張ったりするのは
苦労します。

小さい亀太郎には
もうたいへんです。

その上
田んぼに入ると
もっと嫌なことが起きます。




2015年05月16日(Sat)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その13

何とか
時期までに
田おこしが完成すると
次は
代かき(しろかき)です。

水は
順番に
上から使われてきます。

一番下の
今津は
五月末です。

代かきは
田植えをし易いように
田んぼの土に
水を含ませ
柔らかくして
平にします。

言葉にすれば
農作業は
何でも簡単ですが
実際は
これは大変です。

まず田んぼに水を引き込むのですが
田んぼの縁にある
畦から
水が漏れないように
畦作りから始まります。

鍬で
田んぼの土を
塗り壁のように
畦に塗りつけます。

田おこしと違って
力任せでは
うまくできません。
ちょっとした技術が
必要なんです。

畦が出来ると
水が
田んぼの中に
一杯になります。

ながく農耕が続いていた
今津の田んぼは
農耕に適したように
水田・用水路が出来上がっていて
枕(用水路の入り口側の田んぼの呼び名)から水を引き込み
下(しも:枕とは反対方向の田んぼの水を流すところ)
に水を
排出できるように作られています。

水の管理が
容易になるように
作られています。


2015年05月15日(Fri)▲ページの先頭へ
長編小説「昭和」その12

備中は
貴重な鉄で出来ていて
農機具の中では
高価なものでした。

当時の鉄は
粗悪品もあって
歯が折れたりして
鍛冶屋に
修理してもらうことも度々です。

柄の部分は
固い木で出来ていて
丈夫ですが
すり減って
細くなっていました。

細くなって
鉄の部分も
小さくなった備中を
亀太郎は
使っていました。

見渡す限りの
田んぼを
端から
並んで
田おこししても
日が暗くなるまでに
終わるわけもありません。

来る日も来る日も
田おこしです。

もちろん晴れの日もありますが
雨の日も
休むことは出来ません。

晴耕雨読というような
四文字熟語は
小作人には
ありません。

冬の間に作った
簑を背中に
笠を頭に載せても
雨水は
皮膚まで通ってきます。

初夏になって
寒いような時期ではありませんが
五月の雨は
寒い日もあります。

寒い日は
こたえます。

亀太郎は
汗の出る作業には
丁度良いと
やせ我慢で
母親には答えました。



2015年05月14日(Thu)▲ページの先頭へ
アパートの地盤は良い

地震の時の
被害の大小は
家の強度と地盤に比例します。

家の強度が強いほど
もちろん潰れません。

地盤は
家の強度とは
関係なく
揺れの強さを
左右します。

先の関東大震災の震源は
三浦半島沖で
相当離れていましたが
倒壊家屋が出ました。

これは
地盤が
地震の揺れを
増幅すると考えられています。

また
1995年に起きた阪神淡路大地震(兵庫県南部地震)の
震度7を記録したところは
点々と偏在しています。

これは
地盤と関係があるとしか
思えません。

尋常に考えれば
地盤が強いほど揺れは小さくなると
推察されます。

地盤の強さは
地盤の種類
地盤が締まっているかどうか
水を含んでいるかどうかで
決まります。

昔より地盤が高くなっているところは
風雨による浸食に耐えられるくらい地盤が強く
高く積み重なってその自重でよく締まっていることを
意味します。

これらから
昔から
小高くなっているところは
地震の揺れが小さく
震災を受けにくいところだと
考えられます。

現在小社の賃貸のあるところは
明治時代の地図を見る限り
小高い堤防の敷地で
地盤がよいところと
推察しても良いのではないでしょうか。



園田の賃貸のある場所は明治時代は堤防で竹藪だった


長編小説「昭和」その11

麦を刈り取り
束にします。

稻藁でくくります。

束にして
家に持ち帰ります。

刈った後
すぐに
稲を植えるために準備が始まります。

田おこしからはじめます。

備中と呼ばれる
農機具です。

先に話した
千歯こぎと同じように
江戸時代の
農業の
大発明品でした。

それまでの
田おこしする器具は
鍬のようなものと
スコップのようなものが
ありました。

田んぼに
突き刺し
土を
ひっくり返します。

備中は
鉄で出来ていて
先が
3本に別れている
鍬の形をしています。

重くできていて
振り上げて
振り下ろすと
その重さで
先が尖っている
3本の鉄が
田んぼに突き刺さるのです。

突き刺さると
柄を
持ち上げると
テコの原理で
土が
ひっくり返るのです。

幼い
亀太郎には
重い備中を
振り上げて
振り下ろすのは
大変な労働です。

父親の
清左衛門は
深く大きく
田おこし出来るのを
横目で見ながら

汗を
拭き拭き
亀太郎は
頑張っていました


2015年05月13日(Wed)▲ページの先頭へ
二重行政はいけないことなの

日本には
行政機関は
3通りあります。

国・都道府県・市町村です。


都道府県・市町村は
地方自治と言われていて
地方自治は
民主主義の
始まりです。

国は外交と国の未来を
都道府県は大きな地方自治を
市町村はきめ細かい地方自治をすると言うことになっています。

地方自治が
二重になっているんですよね。

これを
二重行政と
声高に言っておられる方が
おられるようですが
そう言えばそうかもしれません。

でも
それって
日本国憲法の「地方自治の本旨」と
矛盾しているようにも見えるのですが
、、、、、、、


私には
金持ちの市の税収を
府が取り上げる理由として
二重行政と
言っているのではないかと
思っています。

ごめんなさい

偉い人に意見を違えて申し訳ございませんでした。





ストローは麦の茎

あなたは
本物の
ストローを
使った事があるでしょうか。

私は
たぶん
7才くらいまで
本物の
ストローを
使っていました。

プラスチック製の
ストローは
衛生的ですので
本物は
現代人なら
きっと躊躇するかも知れません。

しかし
当時は
お店でも
本物の
ストローを
使っていたそうです。


粉ジュースには
やっぱり
本物の
ストローが良いですよね。

それに
超貧乏で
超節約家の
我が家でも
それはそれは
山ほどあったのです。


本物のストローは
、、、、、、、、、、、














長編小説「昭和」その10

10
水利は
農業の要です。

今津の用水は
百間樋井組(ひゃっけんびゆぐみ)
と呼ばれています。

今の
宝塚市の高司辺りの
武庫川から
取水して
天井川の
仁川の下を掘り抜き
今津まで流れてきたものです。

400年以上前
作られて
数々の血なまぐさい騒動があって
現在の水路がありました。

それを守るために
亀太郎も
頑張っていたのです。

何しろ
人力で
仁川の川底に
樋を作るのです。

樋とは水を通す
パイプのようなものです。


大麦の穂が
茶色になった頃から
亀太郎は
忙殺されることになります。

日もながくなり
朝も早くなって
今の時間で言えば
午前4時頃に
起きて
まず
麦の刈り取りです。

麦は
稲に比べて
固い
重い
その割りには
収穫量は少ないのです。

腰が痛くなります。

麦の茎は
ストローにはなりますが
わら細工には
使えません。



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