ロフト付き は、おもしろい - 2013/02

ロフト付き って良いですよね。隠れ家というか何というか。
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皆様お元気ですか。
『心をダイヤモンドのように
清らかで堅くて光るもの
にしてください。
神様が見ていて
助けてあげるようにと
私たち(妖精)にお命じになります。』
(私のブログ小説よりの一節)

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ロフトで笑ってすごそう
亡きアスカルも笑っています

ジーッとアスカルを見ていると変わります。

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2013年02月28日(Thu)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ロフトに住むレジ係」その7

お弁当屋さんの仕事は
朝番夜番に分かれていて
女性の加代美は
夜勤はなかったのですが
残業は多く
休みは
週一度程度です。

加代美は
薄給から
家を借りるときに
父親に借りたお金を
返えしていました。

加代美は
一人暮らしになっても
お金と
時間に余裕がなく
バブルの時の
豪華なレジャーや
食事など
縁遠い存在でした。

働いて
時間がなくなり
お部屋の家賃や
父親への返済
食事に
お金がなくなってしまいました。

加代美は
お化粧とか
ファッションとか
そんなものに
かかわれなくなってしまいました。

休みの日には
何もせずに
お部屋で
呆然と
過ごすことも多かったのです。

幸せとか
不幸せとか
人生のやりがいとか
生き甲斐とか
加代美は
考えないようにしていました。

そんな
不作為な
春が過ぎ
お弁当屋さんにとって
過酷な夏が過ぎ
紅葉の秋が過ぎ
ひときわ寒い冬が過ぎて
また春がやってきました。

暖かい春が来た頃
加代美の
父への返済も
なくなりました。

金銭面で
少しだけ余裕が出来て
加代美は
「何かしようかな」と
いう気持ちになってきました。










2013年02月27日(Wed)▲ページの先頭へ
防音室の効果

防音室の効果は
ビデオのようです。
防音ハイツ
防音室の作り方

ブログ小説「ロフトに住むレジ係」その6

新しい住まいは決まりましたが
働き口は
未定です。

バブルが終わって
冬の時代が始まって
職安に行っても
職が
見あたらない状況です。

当時言われていた
3Kの職場しかなかったのです。

バブルの時のような
笑顔で
お茶を出しているだけで
お給料を
もらえる時代は
遠に終わっていたのです。

加代美は
もう若くないので
それも
働き口がなかった理由です。

ひと月がすぎ
父からもらった
蓄えも
少なくなってきました。

面接を何度も受け
やっと
お弁当屋さんに
勤めることができました。

賃金は
最低賃金です。

やっとこさ
仕事を得て
加代美は
嬉しかったのです。

初めての
肉体労働で
初日は
大変疲れました。

翌日には
筋肉痛でしたが
がんばって働きました。

がんばって働くのは
当たり前と
自分に言い聞かせて
働きました。

加代美の
最初の仕事場は
バックヤードで
お客様と接することはなく
仕事に
接客のための
笑顔は
必要なかったのです。

言うなれば
加代美の
得意を
生かせなかったのです。





主なき犬小屋はもの悲しい

アスカルが
長年
住んでいました
犬小屋に
もういません。

電灯も
点いていない
犬小屋から
アスカルの声が
聞こえてくるような気がします。




2013年02月26日(Tue)▲ページの先頭へ
アスカルを荼毘(だび)にふしました

土曜日に
昇天しました
愛犬アスカルですが
いつまでも
遺体を
手元に置くこともかないません。

最後に
頭を
撫でると
いつものように
ビロードのような
表現しがたいような
よい感触は
まだありました。


今日
2時に
火葬致しました。

しっかりした
遺骨だけが残って
、、、、、、、、、
、、、、


感無量です。


外出から
帰ってくると
いつも
座って待っててくれた
アスカルは
もういません。

朝夕に
「散歩に行こうよ」と
いつも鳴いていた
あの声が
聞こえるような
気がします。



アスカル

天国で
散歩していてね








大阪に近いアパートに防音室カスタマイズしました

かねてより
楽器が使えるようなお部屋に
改造しておりましたが
完成しました。

アパートの入居者のご要望を
出来る限り聞くため
防音室を
設置しました。

初期の期待は
達成できたと思います。




2013年02月25日(Mon)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ロフトに住むレジ係」その5

何となく
心のすれ違いと
経済的な激変が
加代美の
猛への愛が
薄れ
憎しみへと
変わってい行くのを
感じたのです。。

加代美は
悲しくなりました。

このままでは
「人を恨んでしまう」
と思いました。

そこで
猛と
分かれることを
決心しました。

猛に言うと
加代美の
心の中が分かったのか
分からないのか
分かりませんが
同意してくれました。

すこし
加代美は
そんな猛に
がっかりしました。

マンションの
時価価値と
ローンの残額が同じくらいなので
マンションは
猛に渡し
加代美は
実家の
近くに
お部屋を借りることにしたのです。

加代美は
そんな合意が出来た日から
お部屋探しに
なりました。

まだインターネットがない時代ですから
不動産屋さん周りに
なりました。

今後のことを
考えると
なるべく安い
家賃のお部屋を
借りたいと思っていました。

実家近くの
木造のアパートで
4.5畳一間の
小さなお部屋でした。

しかし当時は
バブル時代が破綻したと言えども
家賃の高い時代で
月5万円でした。


そのお部屋で
人生初めての
一人暮らしが始まりました。

父親は
援助すると
言ってくれましたが
あえて
出来るだけひとりで
やりたかったのです。







2013年02月24日(Sun)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ロフトに住むレジ係」その4

猛と加代美が勤めている
別々の会社が
同時に経営不振になりました。

猛の
残業もなくなりました。

それどころか
ボーナスは
全額カット
になってしまいました。

以前より
時間は
充分に
ありますが
何かふたりの間には
しっくりきません。

豪華な外食がなくなって
家庭料理になって
それが
ふたりの間に
反対に
隔たりを作ったとは
普通の常識では考えられません。

それに輪を掛け
お金の問題が出てきました。

マンションの
ローンの
ボーナス払いが
出来ないのです。

ふたりの蓄えは
今のマンションを買うときの
頭金に使ってしまい
その上毎月の収入は
ローンの繰り上げ返済と
ふたりの
遊興費に使ってしまっていたのです。

収入が激減するなど
予想だにしませんでした。

猛は
銀行に
相談して
何とかその場を
しのぎました。


しかしふたりの経済的な問題は
これだけではありませんでした。

ふたりの勤めていた
別々の会社は
時を同じにして
倒産してしまったのです。

ちょうど
冬で
蓄えのない
ふたりは
失業保険を受け取る
失業者になってしまいました。

そんな中でも
猛は
友達との
つきあいと称して
遊びに行ったのです。

加代美は
この状況を
理解できていない
猛には
ついて行けないと思いました。









愛犬アスカル昇天す

我が家の愛犬アスカルは
本日
2013年2月24日午後3時に
天国に召されました。

享年15歳です。
(人間流に数え歳で言うなら
享年16歳)

生前の
ご厚情に
飼い主として
感謝致します。

愛犬アスカルは
我が家の一員として
また
警備担当としてよく働き
また家族の
精神的な
支えになったことは
言うまでもありません。

私にはすぎた犬であったと
いま
思う次第です。

アスカル本当にありがとうございます。

アスカル本当にありがとうございます。

アスカル本当にありがとうございます。

アスカル本当にありがとうございます。

アスカル本当にありがとうございます。

アスカル本当にありがとうございます。


生前
アスカルは
犬ですので
悪行を
することはなかったので
きっと天国に
昇天して
駆け回っているものと
思います。

もし来生で
私が犬で
アスカルが
飼い主になっていても
出会いたいと思います。



アスカル本当にありがとうございます。

アスカル本当にありがとうございます。









2013年02月23日(Sat)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ロフトに住むレジ係」その3

加代美は
勤めた会社で
普通にがんばりました。

がんばっている加代美を見て
ある取引先の
男性が
アタックしてきました。

バブル甚だしいときですので
有名なホテルで食事
クリスマスには
サプライズプレゼントとしての
ネオンサイン
赤いスポーツカー
等々

今で考えれば
分不相応な
ものの数々だったように
思い出されました。

そして結婚
猛と
加代美は
結婚の運びとなりました。


豪華な結婚式と
海外旅行にも行きました。

そして新居は
新しく買ったマンションでした。

夫婦は
別の会社ですが
ともに不動産会社に勤めていましたから
早く買った方が
得だと思っていたのです。

買った翌月には
マンションが上がる
時期だったのです。

猛は
会社で
モーレツに働きました。

朝早くから
夜は
12時頃まで
働きました。

猛と
加代美の
休みも
全く違っていましたので
すれ違いの毎日で
1ヶ月に
数日会えればいい方というような
月日が過ぎました。

でも
ふたりは
仕事が充実していたことと
会ったときには
パーッと
使ったので
満ち足りていたのでしょうか。

マンションの
月々の支払いも
順調に
繰り上げ
返済もしていました。

しかしあるときから
突然
不動産が
思ったように
売れなくなったのです。

加代美も
お茶を出す
階数が減ったように
感じていました。

そんなバブルの絶頂なときは
皆様もおわかりのように
終わってしまいます。

住専が
破綻すると
バブルの崩壊は
決定時となり
寒い冬の時期が
やってくることになります。







2013年02月22日(Fri)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ロフトに住むレジ係」その2

加代美は
普通の努力で
充分だと考えていました。

当時は
バブルのはじめで
普通の努力で
充分な会社に
就職でき
それなりに
お給料見頂けた時代でした。

大学で
楽しんで
4年生の夏から
就活(当時はそんな言葉はありません)して
不動産会社に
就職しました。

今になって考えると
就職先を
間違ったのですが
当時では
家族からや友達からは
うらやまれました。

お給料がよかったのです。

何しろ
不動産バブルとか言われていたくらいですから


そんな会社で
加代美は
庶務・受付係でした。

色んな仕事を
するのですが
重要な仕事と言えば
お茶出しです。

会社を訪れるお客様に
お茶を出します。

もちろん上等なお茶で
100g何百円や何千円というものがありました。

営業のサイン(お茶・緑茶という良い分けでで
高い方のお茶を出します。)を聞いて
うまく出さないといけません。

上手に
出すことが
大きな社命です。

横で聞いていると
何千万とか
何億とか言う
金額が出てきます。

加代美は
大学で
茶道のクラブに入っていましたし
お茶に興味もあったので
お茶の入れ方に
熟達していました。

お茶の入れ方と
笑顔での接客で
上司いや社長からも
誉められたことも
何度もあります。













昨日は残念ながら腰痛になってしまいました。

昨日は
不覚ながら
腰痛になってしまいました。

防音工事の最終場面
吸音材を張り付けるために
切ろうとして
不用意にも
両足をそろえて
両手を出してしまいました。

今日ペインクリニックに
行って来ました。


ダメですよね


皆様も
お気を付けあそばせ


皆様は大丈夫ですよね。

ごめんなさい。


2013年02月20日(Wed)▲ページの先頭へ
ブログ小説「ロフトに住むレジ係」その1

何となく
新たに
ブログ小説を
書いてみようと
思い立ちました。

いつものように
例の構想1分です。

近くのホームセンターに行ったとき
寒い
風が舞い込むところで
かいがいしく
働く女性を
描いています。

もちろん
このお話は
盛り上がりもありませんし
平坦で
筋書きが貧弱で
どんでん返しもありません。

当然ながら
期待しておられないと思いますが
温かい目で
読んで下さい。

ご批判は
あとでまとめてお願いします。


加代美は
普通の家庭に生まれました。

いわゆる中流家庭でしょうか。

30年ローンの
持ち家で育ちました。

小学校3年生の時に
自分のお部屋を
持つことが出来ました。

成績は
中くらい
友達も
普通の女の子で
今も
つきあっている
クラスメートもいます。

そんな
加代美は
地元の
偏差値が
50程度の
普通の
大学の
文学部に
入学しました。

文学が好きだとか
文才があるとか
言うのではなく
単に
学力レベルが
合っていたからに
他なりません。

努力しました。
普通に努力しました。


2013年02月19日(Tue)▲ページの先頭へ
志は高く持つべきか

皆様はお若いので
志を
高くお持ちで
そこに
目指して
努力なさっておられることと存じます。

でも
60歳を
越えてしまった私は
どのような
志を持つべきか
迷っております。

皆様も
感じておられるように
よく言われる"夢"と
"志”は
すこし違うと思います。

志は社会使命というか
社会正義の貫徹を目指すものではないか
と考えています。

夢ばかり追うことなしに
志を
高く持って
進むべきかと思っています。








2013年02月18日(Mon)▲ページの先頭へ
長寿は節食と関係が深い まとめ

世界最高齢の方が
お住まいになる京丹後市について
テレビ放送がありました。

他の町より
100才以上の方の割合が多いらしいのです。

放送では
100才以上の方に聞き取りして
長生きの秘訣は
1.適度な運動
2.腹八分目の食事
の2点を
挙げていました。

昔から
健康のためには
腹八分目が
よいと言われていますが
放送では
遺伝子の点から
腹八分目の
合理的な
理由も
挙げていました。

やはり腹八分目は良いのですよね。

でも
腹八分目は
なかなか出来ないのが
実情です。

しかし
京丹後市の
ご長寿の方々は
きっと
若いときから
腹八分目を
実践されていたのでしょう。

にわかに
腹八分目に
したからと言って
100才以上生きることが出来ないでしょうし
、、、


それでは
若くて
健康になんの問題のないときに
血気盛んな
そんな時に
腹八分目に出来るのは
相当
””意志堅固””な方だったのでしょうか。

冬の
京丹後市
厳しい自然の中にお住まいになる方は
意志堅固と
考えても
差し支えないのでしょうか。

この考え方は
一部当たっているでしょうが
長寿な方々がすごした
大正時代のことを考えると
もっと
合理的な理由で
腹八分目に
なったことが分かると思います。

大正時代はさておき
昭和20年後半頃の
高度成長期以前の頃を
考えてみましょう。

私は
昭和27年生まれです。

私の生家は
農業を生業としていました。

昭和25年の農地解放までは
半分自作半分小作の
農業を営んでおりましたので
裕福という言葉からは
遠く離れた存在でした。

当時の農業は
朝は朝星夜は夜星で
田を耕し
夏にはお米を
冬には麦を
その間に
野菜を
作って
やっと
生活が成り立つ
状態でした。

私の住んでたい村(昔の村で今の行政単位では大字)は
29戸あって
一軒を除き
同じ生活をしていましたので
子供の私は
貧しいとは
思いませんでした。

農業の現金収入は
何と言っても
お米の売却で得るものが大半です。

お米は
新米の時ほど
値が高いです。

そこで
私の家をはじめ
多くの農家は
"飯米"だけを
残して
収穫と同時に
”供出”(政府に売り渡すこと)
します。

供出せずに
残したお米の量は
決まっていますから
次に収穫するまでは
そのお米を
計って食べることが
必要になります。

1ヶ月に食べられる量
そして
1日に食べられる量は
決まっています。

食べ過ぎると
収穫まで
ご飯が食べられない期間が出来てしまいます。

そんなわけで
必要以上に
食べることは
許されません。

家長たる父は
絶対的な権力を発揮して
このミッションを
貫徹することとなります。

即ち
私は
必要以上に
食べませんでした。

食べようとしても
お釜のご飯が
なくなって食べられなかったのです。


そんな習慣が
大正生まれの人たちには
付いているのではないかと
推測しております。

京丹後市の
長老たちは
腹八分目を
習慣として
難なく
しておられるのだと
思います。


大正時代に生まれた方々は
生まれ育った
時代が持つ背景で
難なく
腹八分目を
実行しておられることを
説明致しました。

しかし
現代の飽食の時代
腹八分目・節食は
難しいものです。

でも
意志薄弱な
私は
実行しています。

私が
節食の実行に
精神的負担はありません。

私が
節食に
”成功?”したのは
私の女房殿の
たゆまぬ努力の成果です。

皆様も
健康によい腹八分目と
地球を救う節食を
難なく実行するために
私の食事法を
一度ご検討下さい。

私の食事は
いつも同じです。

私は
幼いときは
前にも
言いましたように
裕福でない家に育ちました。

父は
『早飯 早くそ も芸の内』
といって
なるべく
早く食事を終えて
作業に
かかることが
ミッションのひとつでした。

というわけで
我が家の
家族は
みんな
早食いです。

私も
ゆっくり食べていたら
絶対的権力を
行使する父に
叱られますので
早く食べます。

それと同時に
早く食べないと
お釜のご飯がなくなって
仕舞います。

というわけで
26歳の時まで
私は
早飯の
やせの大食いでした

でも
26歳になって結婚して
幸せ太りなのでしょうか
すごく太って
30才になったときには
85Kgになってしまいました。

そこで
普通のダイエットしたのですが
それとは別に
次のように考えました。

「健康に不安のある
私ですので
あと
何食
ご飯がいただけるか分かりません。

一食一食を
大事に頂くかないと
いけない」


そんなこんなで
私は
それまでの
早飯をあらため
誰よりも
ゆっくに
なってしまいました。


私の食事法のひとつは
ゆっくり食べるです。

でも
意識して
がんばって
ゆっくり食べていた時期もありましたが
今はそんな必要性がありません。

私が
意志堅固になったのでも
慣れたのでもありません。

ゆっくり食べなくてはならない
食品を
毎食食べているからです。

よく噛まないと飲み込めない
ものを毎食たべています。

どのようなものをたべているかというと
難消化性デンプンを
毎日たべています。

難消化性ですので
よく噛まないと飲み込めないんです。

どんなものかというと
次のように毎日女房殿が
作っています。

まずご飯を電気釜で
普通に炊きます。

そのあと冷蔵庫に
仕舞っておき
1日ぐらいたってから
これを
イカ焼き器に
薄く伸ばして
焼きます。

拙宅の
ガスコンロには
空焚き防止装置が付いていますので
火が止まると
もう片面を焼きます。

相当焦げるまで焼きます。

焼いたものを
冷蔵庫で保存して
たべるときに
電子レンジで
温めて
頂きます。

デンプンを
温めて
冷やすことを繰り返すと
デンプンは
変質して
難消化性デンプンが
徐々に
産生します。

その上
この
難消化性デンプンは
とても風味があって
美味しいのです。

それに堅くて
早く飲み込めない。

こんなものを
素早く飲み込むと
命がいくらあっても
始まりません。

皆様も
一度
この
難消化性デンプン
””おこげ””を
召し上がって下さい。
美味しいですよ

その上
この
難消化性デンプン”おこげ”を
ゆっくり食べると
食べた量に比べて
お腹いっぱいになって
自然と
腹八分目になってしまいます。

もうひとつだけ
私の食事法をいうと
充分に煮た
温野菜を
毎日決まった量
たぶん一日に500gぐらいの量を
頂いております。

私の経験では
温野菜は
お腹が一杯になりやすいと
思います。

是非皆様も
腹八分目を達成して
無駄に消費していた食糧を
足らない人たちに回せるのではないでしょうか。

私は
門徒
阿弥陀仏は
他者のためになることこそ
自分の利益になると
説いています。

自分のものになった食糧を
どのように使おうと
自分の勝手だと
考えることは
本当に正しいかどうか
考えてみて下さい。



口幅ったいことを
申し上げて
誠に申し訳ございません。

隕石にも強い割れないガラス?

ロシアに
隕石が落ちて
怖いですよね。

衝撃波で
木っ端みじんに
ガラスが
割れたみたいです。

こんな時に我田引水で申し訳ございませんが
割れないガラスは
ある程度
有効なように思います。

たわみますので
衝撃波を
少しは吸収して
割れないか
割れても
被害は
少なくなるのではないかと思います。

割れないガラスに
カスタマイズしています
大阪のアパート情報です


防犯ガラス(割れないガラス)を付けたアパート

2013年02月17日(Sun)▲ページの先頭へ
長寿は節食と関係が深い その5

私の食事法のひとつは
ゆっくり食べるです。

でも
意識して
がんばって
ゆっくり食べていた時期もありましたが
今はそんな必要性がありません。

私が
意志堅固になったのでも
慣れたのでもありません。

ゆっくり食べなくてはならない
食品を
毎食食べているからです。

よく噛まないと飲み込めない
ものを毎食たべています。

どのようなものをたべているかというと
難消化性デンプンを
毎日たべています。

難消化性ですので
よく噛まないと飲み込めないんです。

どんなものかというと
次のように毎日女房殿が
作っています。

まずご飯を電気釜で
普通に炊きます。

そのあと冷蔵庫に
仕舞っておき
1日ぐらいたってから
これを
イカ焼き器に
薄く伸ばして
焼きます。

拙宅の
ガスコンロには
空焚き防止装置が付いていますので
火が止まると
もう片面を焼きます。

相当焦げるまで焼きます。

焼いたものを
冷蔵庫で保存して
たべるときに
電子レンジで
温めて
頂きます。

デンプンを
温めて
冷やすことを繰り返すと
デンプンは
変質して
難消化性デンプンを
生じます。

その上
この
難消化性デンプンは
とても風味があって
美味しいのです。

それに堅くて
早く飲み込めない。

こんなものを
素早く飲み込むと
命がいくらあっても
始まりません。

皆様も
一度
この
難消化性デンプン
””おこげ””を
召し上がって下さい。
美味しいですよ









2013年02月16日(Sat)▲ページの先頭へ
長寿は節食と関係が深い その4

私の食事は
いつも同じです。

私は
幼いときは
前にも
言いましたように
裕福でない家に育ちました。

父は
『早飯 早くそ も芸の内』
といって
なるべく
早く食事を終えて
作業に
かかることが
ミッションのひとつでした。

というわけで
我が家の
家族は
みんな
早食いです。

私も
ゆっくり食べていたら
絶対的権力を
行使する父に
叱られますので
早く食べます。

それと同時に
早く食べないと
お釜のご飯がなくなって
仕舞います。

というわけで
26歳の時まで
私は
早飯の
やせの大食いでした

でも
26歳になって結婚して
幸せ太りなのでしょうか
すごく太って
30才になったときには
85Kgになってしまいました。

そこで
普通のダイエットしたのですが
それとは別に
次のように考えました。

「健康に不安のある
私ですので
あと
何食
ご飯がいただけるか分かりません。

一食一食を
大事に頂くかないと
いけない」


そんなこんなで
私は
それまでの
早飯をあらため
誰よりも
ゆっくに
なってしまいました。


私は
ゆっくり
食べます。

















ありがとうございます

今日
広島から
互い違い階段のショールームを
見られる方がおいでになりました。

いろいろ聞かれて
互い階段を
上り下りされました。

帰り際に
お土産を
頂きました。

恐縮至極です。

ありがとうございました。

この様なとき私は
如何様にするのが
人間として
正しい道なのでしょうか。


ひとつだけ付け加えると
広島の方は
義理堅いですよね。

重ねて
心底より
ありがとうございました。

2013年02月15日(Fri)▲ページの先頭へ
長寿は節食と関係が深い その3

大正時代に生まれた方々は
生まれ育った
時代が持つ背景で
難なく
腹八分目を
実行しておられることを
説明致しました。

しかし
現代の飽食の時代
腹八分目・節食は
難しいものです。

でも
意志薄弱な
私は
実行しています。

私が
節食の実行に
精神的負担はありません。

私が
節食に
”成功?”したのは
私の女房殿の
たゆまぬ努力の成果です。

皆様も
健康によい腹八分目と
地球を救う節食を
難なく実行するために
私の食事法を
一度ご検討下さい









2013年02月14日(Thu)▲ページの先頭へ
長寿は節食と関係が深い その2

私は
昭和27年生まれです。

私の生家は
農業を生業としていました。

昭和25年の農地解放までは
半分自作半分小作の
農業を営んでおりましたので
裕福という言葉からは
遠く離れた存在でした。

当時の農業は
朝は朝星夜は夜星で
田を耕し
夏にはお米を
冬には麦を
その間に
野菜を
作って
やっと
生活が成り立つ
状態でした。

私の住んでたい村(昔の村で今の行政単位では大字)は
29戸あって
一軒を除き
同じ生活をしていましたので
子供の私は
貧しいとは
思いませんでした。

農業の現金収入は
何と言っても
お米の売却で得るものが大半です。

お米は
新米の時ほど
値が高いです。

そこで
私の家をはじめ
多くの農家は
"飯米"だけを
残して
収穫と同時に
”供出”(政府に売り渡すこと)
します。

供出せずに
残したお米の量は
決まっていますから
次に収穫するまでは
そのお米を
計って食べることが
必要になります。

1ヶ月に食べられる量
そして
1日に食べられる量は
決まっています。

食べ過ぎると
収穫まで
ご飯が食べられない期間が出来てしまいます。

そんなわけで
必要以上に
食べることは
許されません。

家長たる父は
絶対的な権力を発揮して
このミッションを
貫徹することとなります。

即ち
私は
必要以上に
食べませんでした。

食べようとしても
お釜のご飯が
なくなって食べられなかったのです。


そんな習慣が
大正生まれの人たちには
付いているのではないかと
推測しております。

京丹後市の
長老たちは
腹八分目を
習慣として
難なく
しておられるのだと
思います。


皆様も
難なく
腹八分目にできておられますよね。





























2013年02月13日(Wed)▲ページの先頭へ
長寿は節食と関係が深い

世界最高齢の方が
お住まいになる京丹後市について
テレビ放送がありました。

他の町より
100才以上の方の割合が多いらしいのです。

放送では
100才以上の方に聞き取りして
長生きの秘訣は
1.適度な運動
2.腹八分目の食事
の2点を
挙げていました。

昔から
健康のためには
腹八分目が
よいと言われていますが
放送では
遺伝子の点から
腹八分目の
合理的な
理由も
挙げていました。

やはり腹八分目は良いのですよね。

でも
腹八分目は
なかなか出来ないのが
実情です。

しかし
京丹後市の
ご長寿の方々は
きっと
若いときから
腹八分目を
実践されていたのでしょう。

にわかに
腹八分目に
したからと言って
100才以上生きることが出来ないでしょうし
、、、


それでは
若くて
健康になんの問題のないときに
血気盛んな
そんな時に
腹八分目に出来るのは
相当
””意志堅固””な方だったのでしょうか。

冬の
京丹後市
厳しい自然の中にお住まいになる方は
意志堅固と
考えても
差し支えないのでしょうか。

この考え方は
一部当たっているでしょうが
長寿な方々がすごした
大正時代のことを考えると
もっと
合理的な理由で
腹八分目に
なったことが分かると思います。


明日に続く

あなたも
腹八分目で
ご長寿と世界の幸せを


2013年02月12日(Tue)▲ページの先頭へ
窓をもっと防犯

窓ガラスは
簡単に割れて
防犯とは
全く無縁ですよね。

万物は
必ず
流転する。

でも
割れないガラスも
もちろん完全ではありません。

そこで
補強用金属板を
合わせて
取り付けました。

防犯に
完全はあり得ませんが
完全に近いものを
提供していきたいと思います。

補強用金属板でもっと窓の防犯

どのような強い材料でも完全はあり得ません。ある種の工具を用いると割れないガラスでも角の部分を一部だけ割ってしまうことも出来ます。そのような方法に対応するため補強用金属板を張っております。
より完全を求めています。(出来るだけ侵入するのに要する時間を伸ばすようにします。)
普通のガラスが入った窓ではこの様な金属板で防犯性を高めることは出来ません。
ガラス窓補強用金属板 外側 ガラス窓補強用金属板 内側

割れないガラスで防犯を

「スモッグ」の言葉はもう死語なの

私が学生の頃
スモッグという言葉が
よく新聞を賑わせていましたよね。

Smokeと
Fog
を組み合わせた
言葉で
ロンドンで
最初に使われたみたいです。

日本では
公害問題が発生したとき
スモッグの言葉も
出てきたように思います。

そのスモッグを
日本政府・企業・国民の
努力で
克服したので
日本では
スモッグは
死語になりつつなっていました。


そんな平和な日本に
隣国の大国から
PM2.5なるものが
侵入してきました。


PM2.5は
昔の
スモッグではないの?












2013年02月11日(Mon)▲ページの先頭へ
花火は大気汚染の原因になるらしい

私は
花火が嫌いです。

パーと
一瞬の
楽しみだけに
貴重な資源を
使ってしまう
花火は
私は好きになれません。


日本では
花火は
夏のものとなっていますが
外国では違うらしい。

隣国の大国では
大気汚染になるほど
花火を消費するらしいのです。

でも
それって本当なのでしょうか。

当地の近くで
夏催される
淀川花火大会では
1時間ほどの間に
大きな花火が
炸裂しますが
それで
大気が
大きく汚染されたというようなことを
聞きません。

たぶん
大国の方便ではないかと
思ってしまいます。

 

すみません。

隣国の
ことを
この様に言って申し訳ございません。

小人の戯言と
無視して下さい。










2013年02月10日(Sun)▲ページの先頭へ
人生は重い荷物を、、、

齢(よわい)60才になると
体が重く感じます。

気ばかり焦って
もう
はかどりません。

ながく生きてくると
要領ばかりよくなって
得るものも
少なくなるような気はします。


今考えれば
亡くなった母は
60歳の時は
かくしゃくとして
新しい事業を
始めていました。

私は
そんな気力もありません。

人生は
重い荷物を
背負って
歩むがごとし
とおっしゃった方(徳川家康さん)も
おられるようですが
重い荷物を背負って
何かをなしていると
解釈する説が
大勢です。

しかし
私は
何も
達成できていません。


ダメですよね。

母を越えようとは
もうとう考えておりませんが
すこしでも
近づきたいと思いますが
亡くなった母から
徐々に離れていくようなきさえ致します。


皆様には
目標とされる方が
おいでになりますか。

目標があると
気力の源泉となって良いですが
あまりのも目標が
大きすぎるもの
気が
遠くなりますよね。




























2013年02月08日(Fri)▲ページの先頭へ
串を抜くときは回すのが原則らしい

今日の話は
少し痛いです。

痛い話が
嫌な方は
読まないで下さい。

一ヶ月前の
明日
左手中指の
爪の根本を
開放骨折してしまいました。

レントゲンを撮影すると
中指の第一関節が脱臼し
指を伸ばす腱の付け根が
骨折していました。

開放骨折したところが
指の背の方だったので
血管や神経を傷つけていなかったそうで
軽傷だそうです。

そんな所の治療には
ピンを刺して
骨の回復を持つのが
普通らしくて
0.9mmの
金属製の
ピンを
刺して
一応手術は終わりです。

包帯が巻いてありましたので
どのように
ピンが刺さっているか分からなかったのですが
今日2本の内
1本の経過が良いので
抜くことになりました。

そのピンは
爪と身の間から
爪の下を
通って
第一関節と第二関節の間まで
刺さっていました。

私は
指が長い方なので
4cmくらいあって
爪刺さっているところが
かね折りになっていました。


それだけでも痛そうですが
それを
抜くときです。


消毒した
ペンチ(まさかペンチとは言わないと思います)を
袋から取り出し
やおら
ピンのかね折りになっている部分を掴み
グリップで一回
右左と回し
一気に抜き去りました。

痛かったです。

痛そうなので
今日の朝
前もって
鎮痛剤を
飲んでおきました。

効いたか効かなかったかわかりませんが
あと一回ありますので
その時も
、、、、、、
、







皆様
けがをしないように
くれぐれも
ご注意下さい。


























2013年02月07日(Thu)▲ページの先頭へ
防音室の製作は難しい

今日
今作っている
防音室の評価をするために
グレモン錠で
2重ドアにしました。


騒音計で測りましたが
思うような
成果が出ません。

もうワンセット
張り込むべきか
悩んでいます。

明日もう少し
細工をして
それでもダメなら
もうワンセット
防音層を
増やしてみます。


低音側を
低減するのは
難しいですよね。

だから面白いとも
言えるのですが
、。、、、




2013年02月06日(Wed)▲ページの先頭へ
お客様の要望で防音室を作っています。

ギターが
おもいっきり
弾けたら
いいですよね。

でも
普通のところで
弾いたら
苦情の嵐ですよね。


そんな時には
防音室が
いいですよね。

夜に
いい曲が浮かんだとき
どうしますか。

発想を
すぐに曲にしたい
スタジオまで待てないとき
自宅に
防音室があったらいいですよね。

皆様の
そんなご希望を
カスタマイズできます。












2013年02月05日(Tue)▲ページの先頭へ
アスカルの 首輪のあとが 目立つ冬

我が家の
愛犬アスカルは
警備主任の職を
辞してから
久しくなります。

もう
飼い主を
引っ張り回すようなことは
出来なくなってしまって
首輪も
はずしました。


でも長年
首輪をしてましたから
そのあとが
未だに
ついています。

散歩の時に
ヨタヨタと
私のあとを
付いてくる
アスカルがいとおしいです。



人間だったら
たぶん
90才を超えていると思います。

でも
私が
わかるみたいです。

アスカル
元気で長生きしてね。




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