ロフト付き は、おもしろい - 2013

ロフト付き って良いですよね。隠れ家というか何というか。
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2013年12月
       

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皆様お元気ですか。
『心をダイヤモンドのように
清らかで堅くて光るもの
にしてください。
神様が見ていて
助けてあげるようにと
私たち(妖精)にお命じになります。』
(私のブログ小説よりの一節)

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メールください。
ロフトで笑ってすごそう
亡きアスカルも笑っています

ジーッとアスカルを見ていると変わります。

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2013年12月31日(Tue)▲ページの先頭へ
今年も終わり来年は最後まで無理かも

私にとっては
62回目の正月が来るみたいです。


私は
正月は
あまり好きではありません。

お医者様なんかが
休みになって
よく病気になる私にとっては
大変なんです。

なんだかんだと言いながら
もうすぐ
62回目です。

正月や
冥土の旅の
一里塚
、、、、


いままでは
精神的に
限界と感じていましたが
体力的にも
もう限界です。

気力がありません。


一年で
相当余力を失ったように思います。



皆様は
気力体力充実されていると思いますが
よいお年をお迎えください。









クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その18

夏になったら
花火見物に
秋になったら
嵐山にモミジ狩りに
行きました。

その都度
冴子の心は
川上さんの方を
向いていきました。

そして
ルミナルエに
誘いました。

これで
3度目の
ルミナルエです。

川上さんも
毎年のことですので
考え込みました。

見て
それからホテルで
食事なんか
おきまりのコースではと
川上さんは
考えました。

でも
良い策は考えつきません。

川上さんは
何となく
ママに聞いてみました。

ママは
「そんなことを
考えずに
直球で
勝負した方が
手っ取り早い」と
忠告してくれました。

「でも
それができない
川上さんだから
やっぱり堅実の方が
良いかもしれない。」と
言ったあと
考え込んで
「あっ
そうだわ

良いこと教えてあげる

冴子さんはね」
と言ったあと
少し笑いを浮かべました。

川上さんは
「冴子さんは
どうなの?

教えて」
と
ママに
近寄って
尋ねました。

「冴子は
少し不良ぽい人が
好きなんだって」と
冴子の
弱点?を
教えました。

川上さんは
そうなのかと
思いました。




2013年12月30日(Mon)▲ページの先頭へ
クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その17

勇治のことを
忘れても
忘れた方が
良いと言われた
冴子でしたが
駆け落ちまでした人を
おいそれと
忘れられるわけがございません。

二日後
川本さんのところに
行った時も
そのようなことを
言われてしまいました。

私のことを
大事に思ってくれて
言ってくれていることは
よくわかりますが
冴子は
そのような気になれません。

そんな日が
一日一日と過ぎ
いつしかまた花見の季節になりました。

川上さんは
去年と同じように
花見に誘ってくれました。

一瞬
冴子は
考えました。

ママの方を見ると
「ハイと言いなさい」と
目配せしていました。

冴子は
花見に
行くことになります。

近場になりますが
夙川の桜を
ふたりで見に行きました。

冴子は
お弁当を
作っていきました。

川上さんは
感激して
お弁当を
ゆっくりと
食べていました。

桜を
ほとんど見ずに
食べていました。

そんな川上さんを
見ていると
「いい人だな-」と
思って
何か悪いことを
しているような気がしました。

翌る日からは
またいつもの
客と店員との関係でした。


2013年12月29日(Sun)▲ページの先頭へ
防音アパートと小さい防音室

音楽をガンガンに
使うためには
防音室の中に
もうひとつ
小さな防音室を
作りました。

ご覧下さい。

小さな防音室は
30dB程度の低減があります。


クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その16

勇治の三周忌に
同じように
呼ばれました。

岡山の家に
行くのも
4度目です。

駅まで
勇治の姪が
迎えに来てくれていて
懐かしく思いました。

岡山の家は
十年一日が如く
変わりません。

地震がなかったら
神戸でも
同じように
時が流れたのにと
考えてしまいました。

親類縁者
たくさんの人が
三回忌に来ていました。

墓地に行って
遅い昼ご飯を
みんなと一緒に食べて
終わりました。

冴子が
お礼を言って
帰ろうとすると
母親が
少し話があると
言いました。

母親は
「もう
勇治が亡くなってから
丸二年過ぎました。

次の
法要は
4年先です。

冴子さんが
まだ勇治のことを
忘れてくれていないのは
大変嬉しいけど
自分の幸せを
考えた方が良い

私は
民生委員をしていて
独居老人の家を
まわることも仕事に
なっています。

こんなこと言ったら
失礼かもしれないけど
やはり一人暮らしは
淋しいものです。

もういない
勇治のことを
忘れて
他の良い人を
探して下さい。

冴子さんは
まだ
43歳なんだから
まだまだ
人生これから

先のことだと考えずに
老後のことを考えて
良い人を
探しなさい。」と
冴子には
青天の霹靂と
思うようなことを
言ってくれました。

私のことを考えてくれて
大変ありがたいと
思いました。

勇治を忘れようとしても
忘れられないと
思いながら
園田駅まで
帰りました。






防音室の中に防音室製作中 その4

お部屋の中に防音室を新設して
ガンガンにできる
防音アパートを作っています。

外の防音室と
中の防音室の間に
共鳴透過を防ぐために
グラスウール吸音板を
張りました。

極細繊維のアクリアです。








防音室付き角部屋アパート

2013年12月28日(Sat)▲ページの先頭へ
小社駅前支店の看板をキラキラにしました。

キラキラ光ると
目を
引きますよね。




杉原土地有限会社駅前店


貧者の一灯を無駄にしないで

以下に述べることは
私の思い違いかもしれません。

皆様におかれましては
吟味して
ご理解下さい。

これについての
メールは
ご遠慮下さい。


私は
あまり少額なので
この様なことを
申し上げるのは
気が引けるのですが
お聞き下さい。


私は
また申し上げますが
些少の金額ですが
ユニセフに寄付しております。

相当前からで
毎月
ささやかな
金額を寄付しております。

私から申し上げるのは
気が引けますが
「貧者の一灯」です。

確定申告善に
領収書が
送られてくるくらいのものでした。

しかしこの年末は
写真の様な
カレンダーが送られてきました。

12枚綴りで
写真の中に
私の名前が
ローマ字で記入されています。

コンピューター全盛の時期ですので
名前を入れるくらい
何でもないと思いますが
やはり多量に同じものを
印刷するより
経費が要するのではないかと
思います。

デザイン料は
ボランティアだとしても
送料は
必要ですから
幾十円かは
必要ではないかと
思います。

ユニセフの広報では
少しの金額でも
困った人を
助けられると
言ってますので
幾十円でも
役に立つと思います。

私は
このカレンダーを置く机を
持ち合わせていませんので
捨てるしかありません。

全く無駄です。

私には必要がありません。


____________________________

ここからは
私の偏見ですので
読んで頂かなくても
結構です。

このカレンダーを送る経費を使うことによって
ユニセフの
お偉いさんに
バックマージンが
入るのではないかと
げすの勘ぐりを
してしまいました。



ごめんなさい。
高い志を持っておられる
方々に
この様な疑いを抱いて
申し訳ございません。

でも
私には
このカレンダーは
必要ありません。








クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その15

でも
何日か過ぎると
冴子は
元気になりました。

ママが聞くと
亡くなった主人の
夢を見て
励まされたと
答えました。

また
スナックで
せっせ
せっせと
働らきはじめました。

川本さんとも
客と店員との
関係でした。

そうなんですけど
川上さんは
毎日
通ってきていました。

桜の咲く頃には
花見に誘って断られ
暑い夏には
淀川の花火大会に誘って断られ
紅葉の頃には
嵐山に誘って断られ
そんな日々が続いていたのです。

また寒い冬がやってきました。

川本さんは
去年と同じように
ルミナルエに
誘いました。

何度も断ったら
悪かと思って
冴子は
その誘いに
乗りました。

川本さんは
今度は
ルミナルエのあとは
ホテルの食事を
予約してあって
眺めの良いレストランから
夜景を楽しみました。

その日は
久しぶりに
冴子も
楽しみました。

もちろん
川本さんも
「良い人だ」と
思うようになりました。

冴子は
その年の
年賀状は
前のように
出しました。





2013年12月27日(Fri)▲ページの先頭へ
クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その14

川本さんの
お母さんとは
5月に
会ったきりで
懐かしく思いました。

亡くなった娘の
一周忌をするので
来て欲しいというのが
冴子のところに来た
理由ですが
そんなことより
懐かしく
お話ししました。

1月17日は
亡くなった勇治の
一周忌だというと
次の日曜日の
21日に行うので
大丈夫という話しになりました。

夕方まで話して
川本さんは
帰って行きました。

その日も
少し遅れて
スナックに行くと
川上さんは
もう店に来ていて
黙って
野菜サラダを
食べていました。

冴子が
挨拶に行くと
「1月17日の
同時刻に
追悼の式典が
神戸で行われるそうです。

寒いですが
一緒に行きませんか?」と
誘ってきました。

でも
冴子は
「その日は
岡山で
一周忌があるから
行けないわ」と
答えました。

川上さんは
少しがっかりして
「当然ですよね」と
答えるのがやっとのようでした。

追悼は
早朝なので
時間を都合して
言っても良いがと
思いましたが
岡山の
お母さんが
前の日から来て欲しいというので
とても無理だと言うことで
川本さんには
悪いけど
お断りました。

ふたりの
一周忌に立て続けに
行って
少し気が弱くなってしまいました。

スナック勤めも
身が入らなかったのです。

川本さんは
冴子に掛ける言葉もなかったのです。





2013年12月26日(Thu)▲ページの先頭へ
小面積のクロスはカスタマイズで印象的なものに

カスタマイズできるお部屋で
テレビにも出たことのある
小社のアパートですが
クロスのカスタマイズは当たり前です。



クロスを赤して話の弾むお部屋に

テレビで放送していましたが
赤いお部屋で
男女がお話しすると
話が弾んで
互いの印象が良くなるそうです。
一度お試し下さい。
放送は「所さんの目がテン」12月1日放送分です

カスタマイズできるお部屋

クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その13

いままで
川上さんを
単にお客さんとしか
見ていませんでしたが
その時
少し変わりました。

神戸に電車で行って
フラワーロードを
南に行きました。

フラワーロード沿いの
ビルは
ひどい被害を受けているようで
足場や仮囲いがついていました。

東公園で
ルミナルエの点灯を待ちました。

時間が来て
薄暗いところが
パーと
明るくなって
いろんな色が
キラキラと輝きました。

ルミナルエの中を
元町の方に歩きました。

冴子は
元町の方が
少しだけしか離れていないのに
殆ど被害がないことに
驚きました。

こんなところに
店を構えていたら
勇治は
死ななくても良かったのに
と
また
考えてしまいました。

そして
胸が熱くなって
下を向いてしまいました。

それを
感じた
川上さんが
寄り添って
手を繋いでくれました。

混んでいたので
そのまま帰って
尼崎駅前で
食事をして
帰りました。

翌る日からも
川上さんは
ほとんど変わらず
いつものように
来店しました。

でも
冴子が
川上さんを見る目は
少し変わったような気がしました。

それから
二三日過ぎた日
岡山の
勇治の
お母さんから
一周忌の
知らせが来ました。

「もうすぐ一年になるのね」と
思いました。

正月になると
年賀状が
転送されて
やって来ました。

数少ない
高校の友達の
賀状には
震災を心配する添え書きがあったので
返信を出しました。

川本さんのご両親や
義理になった人たちに
寒中見舞いを出して
近況を知らせると
早速
川本さんの
母親がやってきて
一周忌を行うので
来て欲しいと
やって来ました。






クリスマス企画がクリスマスを過ぎても終わらない

もうひとつの冴子を
読んで頂いていますでしょうか。


クリスマス企画と言うことですが
クリスマスも
終わってしまいました。

でも
もうひとつの冴子は
終わりそうにもなりません。

この調子で書いていくと
たぶん
「えべっさん」の頃まで
かかると思います。

クリスマス企画は
ないですよね。

もっと早く書き出せば良かったのですが
震災編が
あまりにも長くなって
そう行きません。

ごめんなさい。

と言うわけで
正月企画に
変更します。


安直です。
ごめんなさい。




2013年12月25日(Wed)▲ページの先頭へ
防音室の中に防音室製作中 その3

ただ今
楽器をガンガンに使えるお部屋を
作っています。

お部屋の中に
お部屋を作る
タイプです。

「地べたから
新しいお部屋を
作ります」

床組を作って
「太鼓」にしないために
グラスウールを入れています。





作っているのは 防音室付き角部屋アパート

クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その12

冴子は
次の休みの
日曜日に
ルミナルエに
川上さんと
行くことを
約束しました。

夜に
神戸まで
ひとりで出かけていくのが
少しおっくうだったので
川上さんの
誘いに
ついていくだけの
気持ちでした。

たぶん川上さんも
そんなことを
感じていました。

ママも
そのことを
知っていましたが
川上さんが
まじめなので
いいかと
思っていました。

約束した
翌日から
何か
川上さんが
嬉しそうに見えました。

でも
冴子との会話は
いつものように
控えめです。

そんな日が過ぎて
約束の
日曜日になりました。

午後4時に
尼崎駅で
待ち合わせしました。

いつもの
川上さんは
少しくたびれた
スーツを着て
やって来ていましたが
今日の
川上さんは
カジュアルな
服装です。

すこし
遊び人ふうです。

冴子は
その姿を見て
一瞬だけ
ドキッとしました。



2013年12月24日(Tue)▲ページの先頭へ
クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その11

そんな川上さんは
毎日通ってきて
4ヶ月あまり
外は
寒く
クリスマスツリーが
街かどにできた
12月の始
いつものより
少しだけ早く店に来ました。

おきまりのところに
座って
いつもの
ビールと
夕食のパスタと唐揚げを
注文しました。

冴子は
パスタを
作り始めます。

それを
カウンターの席で
川上さんは
見ていました。

慣れていて
手際よかったので
ママも
任せていました。

皿に
綺麗に盛り付けて
川上さんの前に
出しました。

ビールは
ちょっとだけ飲んで
冴子に
「今度
神戸の
ルミナリエ
見に行かない」
と言いました。

冴子は
笑って
黙っていると
「ルミナリエは
震災でなくなった人を
追悼するために
始まるそうです。

亡くなった人を
追悼する意味でも
私は行きたいのです。

冴子さんも
行きましょう。」と
物静かに
ゆっくりと
言いました。

冴子は
ニュースでは
見て知っていましたが
華々しく見える
そんな
ルミナリエに
行きたくはありませんでした。

でも
あらためて
「追悼」という言葉を聞くと
やっぱり行かなくては
と言う気持ちになってしまいました。

冴子は
「そうですね。

行った方が
いいかもしれませんね。」と
小声で
答えました。




2013年12月23日(Mon)▲ページの先頭へ
小さな防音室を作っています。

お部屋で
楽器をガンガンに使うために
防音室の中に
小さな防音室を作って
ガンガンにできるお部屋を
作ってみました。

25日に
効果を測定します。


クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その10

一流になったと
感じたのは
本当ですが
実際は
お客によって
違います。

冴子に
明らかに興味を
持っている
男性に対しては
冴子は
苦手みたいです。

冷やかし半分で
からかってくる
人たちには
うまく受け流すのですが
この男性には
うまくいきません。

言い寄るわけでもなく
そうかと言って
離れないわけでもない
そんな人だったのです。

男性は
川上というのです。

川上は
50歳過ぎても
独身の
公務員でした。

公務員と言っても
警察官とか
消防署員とかいうような
堅い職でもなく
現業の
職でもなく
区役所の
窓口係です。

一日
市民のひとから
いろんな要望や
不満を聞く係です。

仕事を終えると
話す力もなくなるよな
「過酷」な職場でした。

そんな
心をいやしてくれるのが
スナックだったんです。

独身ですので
家に帰っても
ひとりっきりだったので
帰りたくなかったのかもしれません。

冴子も
川上も
独身ですので
以前の
冴子のように
不倫ではないので
隠す必要もありませんが
川上は
とても
控えめです。

冴子は
勇治のことを
いまでも愛していて
そんな気分になれないと
自分でも
思っていました。

そして
お客さんに聞かれた時も
そのように
答えていました。

川上さんには
聞かれたことがないので
答えていませんが
きっと
ながく通ってきていたので
知っていたかもしれません。







中山競馬場の有馬記念

このエントリーは
ローカル色が強いので
わかる人だけわかります。

東京にお住まいの方は
わかりにくくて
申し訳ございません。

今日
テレビで
「中山競馬場で
有馬記念が行われた」と
報道されていました。

女房殿曰く
「有名なのね
中山寺の競馬場で
有馬温泉を
記念して競馬をしているって」
と
テレビを見ながら言いました。

私も
25歳くらいまで
「そうなんだ」と
思っていました。

「中山競馬場は
東京の近くにあって
有馬さんと言う人を
記念して
行っている」と
答えました。

たぶん
関西の人は
間違っている人も多いのではないかと
思います。

なぜ間違えるかというと
宝塚に中山寺というところがあります。

西国札所にもなっている
中山寺という寺院があります。

駅も
「中山寺」と言います。

よく知っている地名ですが
あまり行ったことのないところです。

一方
有馬は
日本三名泉の一つに挙げられるような
有名な温泉があるところです。

関東の皆様にも
ご存じの方も
おられるかもしれません。

そのふたつを
結びつけると
「中山寺の競馬場で
有馬温泉を
記念して競馬をしている」
と言うことになります。


もちろん
中山寺には
競馬場はありません。

また
有馬温泉にちなんだ競馬は
地方競馬で
行われているみたいですが
中央競馬では
ないのではなかと
思います。

みなさま
そんな誤解を
している
関西人は
我が家の
面々だけでしょうか。












2013年12月22日(Sun)▲ページの先頭へ
クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その9

スナックの
仲間は
ふたりいて
そんな人に話を聞きました。

やはり
この業界は
若くして
入る方が多く
40過ぎて
スナックに勤め始めるなど
殆どないそうです。

逆に言えば
40歳から
勤まるような
ところではないのかもしれません。

なにかの事情がないと
この業界に
入ってこないので
冴子にも
先輩は
事情を聞いてきました。

震災で
夫とパン屋を失って
就職先がないと
説明すると
先輩は
一応納得していましたが
もっと
他に理由があるのではと
見ていました。

そんな目で見られていると
冴子は
考える閑もありません。

キャベツ工場に勤める
元同僚が
ザーと
やって来てくれました。

もちろん
冴子が
接待する係です。

ママは
冴子が
うまく接客できていると
あとで言ってくれました。

心が通じて
心がこもった
誠実な対応は
こんな風にするのかと
わかりました。

そんな日から
冴子の働きは
めざましくなりました。

ママや
先輩からも
認められるように
”一流のホステス”」になった
様な感じがしました。


防音室の中に防音室製作中 その2

先日来より
製作中の
防音室ですが
防音室の中の防音室を
つくる工程になりました。

しっかりした
床組を
作りました。

高さを調節する事ができる
束を使っています。

床下
にも
グラスウール吸音板を使っています。






防音室付き角部屋アパート

2013年12月21日(Sat)▲ページの先頭へ
クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その8

がんばって
スナックの仕事を
がんばろうとすると
ママから
「がんばるのはいいけど
お客様から
がんばっているんだと
思われるようではダメ」と
だめ出しが出ます。

なかなか難しいものです。

自然体で
がんばると言うことは
話にすれば簡単ですが
そんな簡単なことではありません。

毎日毎日が
試練の連続です。

でも
たまに
お客様に
「ありがとう」と
言われると
嬉しくなりました。

そんな
日が
何日か過ぎ
秋になりました。

慣れない毎日でしたが
帰って
星空を見るたびに
勇治が
応援しているんだと
自分に言い聞かせて
寝る毎日でした。

朝に日差しが
ロフトの天窓から
冴子にあたる頃
目を覚まして
がんばろうとしていました。

お客様との
話にも余裕をもって
することができるようになりました。

お客様の中には
冴子をからかうものもいましたが
臨機応変に
冴子は
受け流していました。

そんな中に
ある男性が
少し
控えめでしたが
冴子に
気がある様子でした。

その男性は
毎日のように
スナックに通ってきました。









2013年12月20日(Fri)▲ページの先頭へ
クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その7

スナックでの
仕事の初日
冴子は
疲れました。

ママ(店長を店内ではこの様に呼ぶことになっています)の
後ろについて
仕事をしていただけですが
疲れました。

そんな勤務時間が終わり
店長に呼ばれました。

店長:
慣れないこととは思いますが
もう少し
積極的にして下さい。

冴子:
何か話そうと思うのですが
思い浮かばないのです

店長:
相手の話をよく聞き
深く相づちをつくだけでも
充分な時もある
話すの
不得意なら
聞き上手になったら

冴子:
聞き上手は
相当難しいのでは

店長:
聞いているフリをするのです。
お客は
酒で酔っていますから
細かいことは
わかりません。

冴子:
そうなんですか
あすから
努力します。

そんな話をして
帰りました。

冴子は
心配でした。

子供の頃から
友達も少なく
とくに
中学生の時の
あの事件以来
親友と呼べる
友達もいなくなった
冴子ですから
話をするのは
苦手だったのです。

でも
キャベツ工場も
辞めて
後がありません。

努力するしかありません。








2013年12月19日(Thu)▲ページの先頭へ
クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その6

昼休みの
同僚との
昼食は
仕事とは
正反対に
楽しい時間です。

この時間がなければ
きっとこの会社の
社員は
辞めているのではないかと
思います。

でも
実際は
そう簡単には
辞められないのが事実です。

いまは
バブル後に不景気で
就職難で
新しい職場を
探すのは
大変で
そんな簡単には
会社は辞められないと
冴子も
思っていました。

そんなことを考えながら
会社を終えて
アパートへの帰り道
先日の
スナックの前を通りました。

まだ
求人のチラシが
貼ってありました。

見た時から
気になっていました。

それに
冴子は
いま40歳
求人のチラシには
40歳までと
書かれています。

最後のチャンス
です。

この「最後のチャンス」という言葉には
冴子は
弱かったのです。

それで
スナックの前に
自転車を止めて
中に入りました。

「いらっしゃいませ」と
笑顔で
ホステスが
迎えてくれました。

冴子は
「求人のチラシを見てきました」と
言うと
中の店長に
それを伝えました。

店長は
「経験は?」と
聞いてきました。

冴子:
経験はありません。
でも
してみたいんです。

店長:
ホステスの仕事は
大変ですよ。
見るとやるでは大違い
勤まりますか。

それに話し上手でないと
いままでに
商売していましたか

冴子:
神戸でパン屋さんをしていました。
地震で潰れてしまいましたが

店長:
それはお気の毒ね
勤め先を探しているのね

一度やってみますか。

冴子:
やってみたいです。

店長さんの目から見て
私にも
できますでしょうか。

店長:
そんな弱気なことを
あなたが言っていたら
できませんよ。

できると思ったから
来たんでしょう。

冴子:
すみません
なにぶん初めての経験ですので
でも
がんばります。

そんな風に
逆に
店長に励まされてしまいました。

被災したことに
同情してもらって
冴子は
本当にありがとうと
思いました。

月末には
冴子は
キャベツ工場を
辞めて
スナックのホステスに
転職することになります。

キャベツ工場の同僚も
冷え性なら
その方が良いと
言ってくれました。

スナックにも
応援のために
来てくれる
言ってくれました。







2013年12月18日(Wed)▲ページの先頭へ
クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その5

星を見ながら
冴子は
考えました。

「この先どうしよう。

キャベツ工場に
冬寒いと言うし
私は
冷え性だし

勤まるか心配

それにしても
スナックの店員は
話し上手よね。

私もあんなに
話し上手なら
きっと
勇治とも
もっともっと
仲良くなれて
繁盛していたかも

繁盛していたら
あのパン屋さんを卒業して
もっと
大きなパン屋さんで
お商売をしていたかもしれない

そうしたら
勇治は
、、、、、」

と考えました。

翌日から
仕事に
励みました。

社長は
従業員が
効率的に仕事をしているか
目を光らしていました。

キャベツの
古い葉っぱを
めくって
洗う仕事は
言葉にすれば
簡単ですが
効率的に
その仕事をこなすのは
大変でした。

どれだけ
古い葉っぱをめくるか
効率的に
めくるかは
熟練していても
大変です。

少しでも
気を抜くと
社長から
叱責されそうで
いつも
気を張りつめていました。





もう夢は叶わない状況です。

60歳を超え
61歳も超えると
体も弱ってきて
もう将来は
ないように思ってしまいます。

皆様にも
夢があるように
私にも
到底達成できないと
第三者的には思われる夢が
あります。

夢は
諦めなければ
必ず実現するものです。

その理由は
「諦めないと夢は実現する」
で説明しているようです。

だから
生きている限り
夢は
実現するものです。

しかし
死んでしまえば
それは
絶対に叶いません。


ここからは
話が
少し飛びますが
最後には
結びつきますので
少し我慢して下さい。



私の母は
13歳(数え年ですので満年齢では12歳です)の時
女学校に行けなくて
働き始めます。

実母と
姪と甥のふたりを
養うために
働いていました。

母の話の中には
「立志伝中」という言葉が
再々出てきます。

そしてその通り
財を成し遂げた女性です。

私の母は
教育には熱心で
私の姉には
相当な心血を注いでいました。

姉はそれに応えて
小中高と副委員長をつとめ
母の念願であった
教師になりました。

母の夢は
そのことによって
ひとつ叶えられたのかもしれません。

それに対して
私は
学業はさっぱり
国語の試験で零点を取ることも
しばしばあります。

母は
口には出しませんが
きっとがっかりしたと同時に
私の将来について
大変心配したに違いありません。

「お前のためにも
あと10年長生きしたい」と
母は50歳の頃から言っていました。

他にも
「お前は
末は博士か大臣に成れる」と
言ってくれてはいましたが
内心は
相当心配だったのでしょう。

母は
50歳から
決意して
事業を始めるのです。

そして
成功します。

私の
最愛の女房殿も
母は
その人脈から見付けてきてくれました。

私の仕事も
私に与えてくれて
もう
いまの私があるのは
母のおかげです。

母の願いである
「博士か大臣」には
遠く及びません。

母の願い
「子供を立派な人間する」は
叶わなかったことを
私は
本当に残念に思います。

私は
母の願いの
ほんの少しだけでも
叶えるために
努力しておりますが
もう
私は
先がありません。


「もう夢は叶わない状況です。」

皆様の夢は
叶いましたでしょうか。






2013年12月17日(Tue)▲ページの先頭へ
防音室の中に防音室製作中

楽器も使える
アパートっていいですよね。

楽器を
使いたい時に
家にいる時なら
いつでも使える
そんなアパートを目指して
作り始めています。

最高のものを作るために
防音室の中に
防音室を作る方法で
作ります。

1階ですので
基礎から全く別の部屋になります。

ただ今
外側の防音室を作っています。

隣室が
さいわい
空き室になっていますので
評価をしながら
工事をしていましたが
10日間
できるだけ隙間をなくし
均一の
遮音材を張っていきました。

今日
初期の性能が
達成できました。

次の工程に移ります。


写真ではわかりにくいですが
既存の床と天井を撤去後
2階床裏壁およびその間の隙間に
くまなく
プラスターボードを二重張り(場所によっては三重張り4重張り)
して
シールしました。
防音アパート




クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その4

スナックに行くと
女の人が
もちろん働いていました。

冴子は
お酒を殆ど飲んでいませんので
冷静に
スナックを
観察していました。

カウンターレディというのでしょうか。

それともホステスというのでしょうか。

話しも上手で
客を飽きさせません。

上手にお商売している
と思いました。

もっと
早く
ここに来て
勉強しておいたら
たぶんパン屋さんも
もっと繁盛したかもしれないと
思いました。

パン屋での接客は
いま振り返ると
紋切り方だと
思い知らされました。

少し遅すぎたと
思いました。

やはり
心が
大事と
気が付きました。

そんなことを考えながら
先輩の愚痴を
聞いて
その日の
宴会は
お開きとなりました。

スナックから出る時
ドアの横に
「求人
カウンターレディ募集
40歳まで
委細面談」と
張り紙がありました。

その紙を
読んで
妙に
スナックという所に
興味を持ちました。

歩いて
夜道を帰り
アパートに着いて
ロフトの天窓から
夜空を
眺めて
お酒も飲んでいないのに
ほてった体を
冷やしました。

星空は
とっても綺麗でした。

「きっと
一番輝く星が
勇治の星よね。

私を
見守ってくれているんだ」と
心の中で思いました。



2013年12月16日(Mon)▲ページの先頭へ
クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その3

冴子は
アルコール類を飲みません。

登や勇治が
お酒を飲まなかったので
冴子も
飲む習慣がなかったのです。

パン屋さんをやる前に
勤めていた
不動産屋のときにも
忘年会などには
出ませんでした。

しかし
キャベツ工場の
同僚が
冴子を誘うので
冴子は
喜んで付いていきました。

ビールは
小ジョッキで
一杯だけで
おつまみを食べて
話が弾んでいました。

そんな話の中に
冬の
キャベツ工場は
大変だという話しになりました。

キャベツの前処理や
洗浄のときは
夏でも
冷却しているくらいで
冬には
暖房が使えないので
ゴム手袋をつけても
寒いと言うことでした。

冴子は
冬は
冷え性で
悩んでいたくらいですので
そんな話を聞くと
この先
キャベツ工場に勤めていいものかと
思ってしまいました。

ビヤガーデンは
時間制で
3時間が経ったので
でなければならなかったのです。

でも話し足らない
みんなは
二次会に行くことになりました。

近くの
スナックへと
進みました。

冴子は
よった同僚を
抱えながら
後ろを付いていきました。

冴子は
飲まないので
スナックは
全く初めてでした。




2013年12月15日(Sun)▲ページの先頭へ
クリスマス企画「もうひとつの冴子の人生 パート2」その2

同僚のみんなとは
仲良く
仕事をしていました。

しかし
同僚のひとりが
ひどく
会社の社長から
叱責されているのを
見ました。

他の同僚に聞くと
キャベツ工場の
社長は
少しの失敗でも
激しく
言うそうで
高い
ノルマを
与えられて
営業職のひとは
大変らしいのです。

専務から
「社員と仲良くして
会社の営業成績を上げる方法と
社員を
叱咤激励して
ときに
強く叱責して
会社の営業成績を上げる方法があるのだが
社長は
偉い先生から
後者の方が
より
成績が上がると
信じて疑わない」と
その裏事情を
聞いたと
言っていました。

冴子のような
入りたての
社員には
厳しく言わないけど
少し責任のある立場になったひとには
言うそうです。

みんなは
社長の前では
何か
ぴりぴりしている理由が
わかったような気がしました。

しかし
社長がいない時には
同僚と
仲良く
仕事に励んでいました。

夏になった頃
職場にみんなで
納涼ビヤガーデンに行くことになりました。







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