ロフト付き は、おもしろい - 2010/04

ロフト付き って良いですよね。隠れ家というか何というか。
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『心をダイヤモンドのように
清らかで堅くて光るもの
にしてください。
神様が見ていて
助けてあげるようにと
私たち(妖精)にお命じになります。』
(私のブログ小説よりの一節)

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ロフトで笑ってすごそう
亡きアスカルも笑っています

ジーッとアスカルを見ていると変わります。

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2010年04月30日(Fri)▲ページの先頭へ
人は貧しさを憂うにあらず、平らならざるを憂う その2

貧しいとわかった人々の不満を
和らげるために
次のようなことをするそうです。


「ヒーローを作る」です。

そのヒーローは
庶民からでて
日本一いや
世界一になった人なら
適任です。

ゴルフの
石○さんや
宇宙飛行士の
山○さんなんか適任です。

自分の夢を
ヒーローに託すんです。

人は
自分より
お金持ちを
応援するみたいです。

皆様も応援されていますか。



人は貧しさを憂うにあらず、平らならざるを憂う その3

私の子供の時
私の村人は
ほとんど貧乏でした。

白米のご飯を食べるのは
一年に数度、
テレビ小説「おしん」で有名な
大根ご飯は
私の村ではごちそうでした。

今から考えれば
極貧の生活も
貧しいとは考えていませんでした。

「みんなが同じ生活をしているから」
貧しいとは考えなかったのです。

でも
私の母は
長らく街の生活をしていましたし
私の村の隣の街へ
行商に出かけていましたから
自分自身が
貧しいとよくわかっていたようです。

孔子や孟子の中国の偉人が
「人は貧しさを憂うにあらず、平らならざるを憂う」と
言ったように
私は当時は
何も知りませんでしたので
貧しさを憂いたことはありませんでした。


しかし現代はどうでしょうか
社会の情報化が進み
「負け組」「勝ち組」のような言葉に代表されるように
多くの人が
「貧しい人もいるが
おお金持ちもいる」
と言うことがわかっているのです。


そんなとき社会は
不安定な方向に進みます。

為政者や
既得権者は
こんな時には
ある方法で
その不満を
少なくします。

さてどんな方法でしょうか。

皆様ご存じですか

人は貧しさを憂うにあらず、平らならざるを憂う

私の子供の時
私の村人は
ほとんど貧乏でした。

白米のご飯を食べるのは
一年に数度、
テレビ小説「おしん」で有名な
大根ご飯は
私の村ではごちそうでした。

今から考えれば
極貧の生活も
貧しいとは考えていませんでした。

「みんなが同じ生活をしているから」
貧しいとは考えなかったのです。

でも
私の母は
長らく街の生活をしていましたし
私の村の隣の街へ
行商に出かけていましたから
自分自身が
貧しいとよくわかっていたようです。

孔子や孟子の中国の偉人が
「人は貧しさを憂うにあらず、平らならざるを憂う」と
言ったように
私は当時は
何も知りませんでしたので
貧しさを憂いたことはありませんでした。


しかし現代はどうでしょうか
社会の情報化が進み
「負け組」「勝ち組」のような言葉に代表されるように
多くの人が
「貧しい人もいるが
おお金持ちもいる」
と言うことがわかっているのです。


そんなとき社会は
不安定な方向に進みます。

為政者や
既得権者は
こんな時には
ある方法で
その不満を
少なくします。

さてどんな方法でしょうか。

皆様ご存じですか

2010年04月29日(Thu)▲ページの先頭へ
お花見とお月見 全話

お花見とお月見

私が子供の時に育ち今も住んでいる村は
昭和34年ごろまで
本当に貧乏な寒村でした。

そんな寒村では
年中行事も
お金の面から
いろんなことをできません。

節分・端午の節句・菊の節句・七五参
そのような行事はしたことがありません。
学校では文部省唱歌「鯉のぼり」を
歌ったことはありますが
私の村では一軒の商家を除き無縁でした。

しかしそんな村にも
年中行事はあって
正月とお盆
収穫後の神社の秋祭り
それに大人たちのくつろぎの「伊勢講」です。

正月は前にも言ったように
元日は寝正月
二日目はお年賀
3日目間何もせず
4日目からお仕事です。

盆は
これといった休日ではなく
お寺さんに参ってもらう程度
特に休むということはありません。

神社のお祭りは
関わりのある人は
前日の夜と祭りの日のみ仕事は休み
その他の人はその時のみ休みです。

「伊勢講」は
おかげ参りから派生したものですが
春と秋に
その年の当番のところに集まって
宴席です。
もちろんその時までは仕事です。

すなわち仕事の合間に
行事といったほうがいいと思うくらい
仕事でした。

皆様誤解があっては困るのであえて書きますが
日曜日祝日などでも
もちろん仕事です。

大人たちはこんな風に
仕事に明け暮れていましたから
子供は
どこかに連れて行ってもらえるとか
遊んでもらえるとか言うことは
まずありません。

子供だけで
遊ぶしかなかったと思います。

そんな寒村にも
子供が楽しめる日があります。

それは
「お花見のようなもの」と
「お月見」です。

子供達だけでするお花見は
もちろん大人の協力があってのことですが
楽しい限りです。

素朴なそんな「お花見のようなもの」は
私の村では
「弁当節句」と呼ばれていました。

普通は
月遅れの桃の節句
4月の3日に行われます。

皆様は御存じない方も多いので
想像ができないかもしれませんが
想像をたくましくして
弁当節句の楽しさを共感していただきたいと思います。

以下は物語ですが、
当時をうまく再現できていればいいのですが、、、
(文中弟は私です。
伏字になっているのは実在のものです。)


明日は
4月の3日
ゆったりと藻川が流れる寒村にも
春の息吹がどことなく聞こえてきます。

遠くには
田起こしをするために
牛を使って鋤を引っ張っている
村人も
春霞の中に見られます。

母親は
橋を越えて住宅にある市場まで
明日の用意のために
海苔とカンピョウ・高野豆腐を買ってきました。

子供は
小学校4年の姉と1年生の男の子です。
姉は弟に
「明日は弁当節句だよ
賢くしていないと
「けと」(短気の方言)のお父さんが
『やめておけ』というかもしれないから
明日の朝出かけるまでは
静かにするんだよ。
そうしたら
明日は楽しい弁当節句なんだから

みっちゃんやよしおくんら皆と
行けるからね
静かにするんだよ」と
言って聞かせました。

弟は
いつもにも増して
父親の前では
賢く振舞うように心がけました。

ご飯を食べる時も
お膳の前に正座して座って
背筋を伸ばして
「いただきます」と言ったきり
静かに食べました。

弟は
明日のことが待ち遠しくて
はしゃぎたくなる気持ちを
ぐっと押さえていました。

無言の食事が終わって
お膳を各自が片付け
棚に仕舞った後も
弟は
ジッと座っていました。

横になったりあくびでもしようものなら
父親の一喝があるからです。


食後のラジオがつけられると
少しだけ
楽にできますが
無駄口を言って
父親の機嫌を損ねたらいけないので
ジッと座ったままでした。

時間が来て
母親に寝るように言われると
寝巻きに着替えて
父親と母親の前に座って
「お父ちゃんお母ちゃんおやすみなさい」と
手を付いて挨拶した後
布団の中に入りました。

わくわくした気持ちが
ありましたが
直ぐに眠りについてしまいました。

そのあと
母親は
麦とお米を洗って
鍋に仕掛けました。

翌日ご飯を炊く音で目が覚めた
弟は
服を着替えて
母親に
「お早うございます」と挨拶しました。

姉は固い雨戸を
開け始めました。
弟も行って手伝いました。


そのあと
土間の流しのところで
金タライに水を汲んでもらって
口をすすいで
顔を洗いました。

自分の手ぬぐいで顔を拭いて
台所まで帰ってくると
朝の間の仕事をして帰ってきた
父親に
「お早うございます」と挨拶しました。

父親が
足や手を洗っている間に
姉はお膳を並べ
母親はヘッツイさんから
釜を持ってきました。
お味噌汁と
お漬物が並べられました。

弟は
お膳の前に座って
父親を待ちました。

父親が座ると
家族全員で「いただきます」と
合掌してから
食べ始めました。

いつものように
背筋を伸ばして
食べていた弟ですが
少し足がしびれて
姿勢が崩れると
父親の鋭い眼光が光りました。

慌てて弟は
姿勢を正して
事なきを得ました。

それを見ていた姉は
ハッとした様子でした。

「ごちそうさま」の唱和のあと
父親の「作業」と言う声と共に
立ち上がり
父親は
仕事に出かけて行きました。

姉と弟は
お膳を片付けました。

こんどは、
母親は、白米だけを仕掛けました。

そのあと
カンピョウと高野豆腐を
水につけました。

鳥小屋から
卵を持ってきて
卵を割って
かき混ぜ
卵焼きを作り始めました。

卵焼きのいい香りが
家にただよいます。

鶏を飼っていて
毎日卵を産みますが
卵焼きを食べるのは
正月以来でしょうか。

弟は
台所で
母親の仕事を
見ていました。

卵焼きを
水屋に仕舞ったあと
母親は農作業に出かけていきました。

弟は水屋の中の
卵焼きを
しげしげと見ていましたが
手を付けることはありませんでした。

姉と弟は
昼までの辛抱と我慢しながら
家で遊んでいました。
昼の11時を少し回ったころ
急ぎ足で母親は帰ってきました。
手を洗う前に
母親は
ヘッツイさんに
火を入れてご飯を炊き始めました。

白いご飯だけの香りは
麦ご飯の臭いとは
全く違ういい香りです。

弟は
もうわくわくして
思わず叫びそうになるくらいでした。

母親は
火をくべながら
手を洗い
カンピョウと高野豆腐に味をつけて炊きました。

卵を帯状に切って
皿に並べました。

カンピョウは高野豆腐も切って
並べました。

生姜を漬けた
壷から
生姜を取り出し
切りました。

ご飯も音がして
炊けたの
少し蒸らした後
木の桶に入れて
酢と砂糖を混ぜたものを切るように混ぜました。

姉が呼ばれて
うちわで扇いで冷ましました。

母親は手際よく
海苔を敷きご飯を均等に並べて
その上に卵とカンピョウ・高野豆腐・生姜を上におき
巻いていきました。

20本近く巻いて
そのあと
水をつけた
包丁で切り始めました。
それを
まず皿の上に
切り口が上になるように
丸く並べ
二段三段とと積み重ねていきました。

皿に載せたのは
父親の分です。

もう一皿
母親の分を並べ
そのあと
洗った重箱のに
今度は横に並べました。  

重箱に
綺麗に巻き寿司が並ぶと
姉は
待っていたかのように
蓋をして
風呂敷に包みました。

姉と弟は
下駄を履いて
「行ってきます」と母親に言って
風呂敷に包んだ重箱を持って
家を出ました。

弟は
重箱を持ちたいと言いましたが
落としては大変なので
姉が持っていました。

その代わり
弟は
門(かど)にあった
ござを持って
家を出発しました。

弟が大き目のござを持って
姉が風呂敷に包んだ重箱を持って
まず近所の家に向かいました。

そこの家には
数人の友達が集まっていて
皆で連れもって行くことになりました。

村の中を通る
有馬道を外れ
春の草が
わずかに生えた
野道を
北に向かいました。
小川のせせらぎが流れていました。

遠くには六甲の山々が
春霞の中見えました。
風もない穏やかな天気で
今日の弁当節句には
格好の日和でした。

年に一度の
子供の楽しみの日になる予感がしました。

弟はうきうきした
気分で大きなござをもって
姉の後ろを
ゆっくりと歩いていました。

空にはところどころ
「ぴーちく ぱーちく」とヒバリが鳴いていました。

ヒバリは空の同じところでずーと鳴いていて
弟はその下にでも巣があるのかと思って
探しましたが
いつも見つけられませんでした。

姉やもう一人の大きなお姉さんが
「ここにしましょう」と
声をかけました。

弟は待ちに待った時がきたと思いました。
そこは
小高くなっていて
小さな梅の木があって
梅の花はもうすでに終わっていましたが
少し出た葉っぱが
青々と春を感じさせました。

弟はござを敷いて
下駄を脱いで
その上に上がりました。
姉もその上に風呂敷をおいて
開けました。

弟に
こぼさないようにと言って
弟の前に弟の重箱を置きました。
弟はそんなこぼすような
へまなまねはしないと
心の中で思いつつ
眼をキラキラ輝かせて
ふたを開けました。

姉自分の分の重箱を取り出し
前に起きました。

皆はおもいおもいの方向を見て
「いただきます」と言って食べ始めました。

遠くの山々
山まで続く田んぼ
ところどころの家々・鎮守の森
近くには小川
空には白い雲
そして
ヒバリの鳴き声
こんな中で食べる
三ヶ月ぶりの白いご飯の巻き寿司が
美味しくないはずはありません。

今なら
山紫水明
山青くして水あくまでも清い
と表現でもするのでしょうが
当時は全くそんな言葉を知らない弟は
ただただ
楽しくて
嬉しいと思いました。

弟に限らず皆は
一口で
お寿司を食べると言うことはなく
少しずつ
箸でつまみながら
食べました。
巻き寿司を
ふたつほど食べたら
大きいお姉ちゃんが
「じゃ次のところに行きましょう」
と声をかけます。


弟は
その声で
箸をおき重箱のふたを閉めます。

姉は風呂敷に重箱を包み
弟はござをくるっと丸めました。

姉と大きいお姉ちゃんの先導で
田んぼの畦を西に向かいます。

今度は隣村の神社に向かいます。

お昼を告げる
各村々のサイレンが
鳴り響きました。

のら仕事をしているお百姓さんたちは
仕事の手を止め
昼ごはんに帰り始めました。

知り合いの村人と
お姉ちゃん達は
挨拶をして
ゆっくりと鎮守の森に着きました。

そこには
大きな木が何本もあって
夏には
森になってしまいますが
まだ春先の
今は
新芽を出している木も
少なく
日が差し込みました。

その場所で今度は
丸くござを引いて
向かい合って座りました。

平素おしゃべりして
食事をしたことがない
子供達でしたが
その日は大人もいないので
「今度はあの木に登って遊ぼう」
とか
「お人形さんを買ってもらった」
とか
話しながらゆっくりとお寿司を食べました。

弟も
姉達の話を聞きながら
おしゃべりしながら
食べるのも良いものだと思いました。

お寿司をまたふたつ食べました。
お姉ちゃんは
話に夢中で
まだまだ時間はありましたが
全部食べては
もったいない気がして
箸をおいて待っていました。

ひとしきり話した後
「じゃ次のところに行きましょう」と声が上がりました。

弟は同じようにござを丸めて
準備をしました。

「今度は、○○さんちに行きましょう。
あそこの桜はとても綺麗だから」
と言いました。

田んぼの畦を
ゆっくりと歩いて
行きました。

太陽は春霞で
穏やかに輝き
気持ちが本当にいい日でした。

穏やかな陽光の中
○○さんの家に着きました。

○○さんは、農地改革があるまで
付近の村々に
田んぼを持っている
有名な大地主で
その家は
後に文化財に指定されるような
お家に住んでいました。

その家の庭には
当時は珍しい桜の木があって
ひときわ目立っていました。


その木が見える畦に
今度は一列に並んで
ござを広げて
食べ始めました。

弟は少し坂になった
ござの上で
重箱が転げ落ちて
お寿司が食べられなくなるのを
心配しながら
食べました。

同じように
弟は
お寿司をふたつ桜を見ながら食べました。

その場で少しジッとしていたので
弟は
眠たくなりました。

姉に重箱を返して
弟はござの上で
横になって
空を見ました。

平素なら
食べた後
直ぐ寝ようものなら
「牛になるぞ」と
父親の一喝があるのですが
今日はそのようなことはありません。

空の雲を見ながら
楽しい気分に浸っていると
寝てしまいました。

どれくらい寝たのかわかりませんが
「行きましょう」の声で起こされて
眼をふきふきしながら
ござを丸めました。

「今度は線路の桜を見ましょう」と
大きいお姉ちゃんが言い出しました。

弟の住んでいた村の真ん中を
阪急電車が通っていたのです。
阪急電車は
線路沿いに
桜の木を何本も
植えていました。
それは桜の帯になっていたのです。

弟の家は
線路のそばにありましたから
その桜は
毎日のように見ていました。

子供達の一行は
藻川の堤防の上の
線路の桜と
藻川の流れが見える場所に
ござをおもいおもいに敷きました。

太陽が西に寄って来たので
眩しかったこともあり
弟は藻川が見える
東向きに敷きました。


同じように重箱のふたを開け
4度目になって
もう残り少なくなったお寿司を
懐かしむように
もっとゆっくりと食べました。

一口食べては
遠くの生駒の山々を
もう一口食べては
春霞にシルエットだけの大阪城を
それから
ゆったり流れる藻川を
みながら
味わって食べました。

友達の中には
全部食べてしまった子らがいて
走り回って遊んでいる者もいました。

弟は
そんな子を
横目で見ながら
「おいしいものはゆっくりと味わわないと
もったいない」と
思いながら食べました。

どんなにゆっくり食べていても
食べたらなくなってしまうのは当然ですが
弟の重箱も
すべてなくなってしまいました。
重箱の壁についた
海苔のかけらも
箸で丹念に取って食べてしまいました。

姉に重箱を渡し
弟は
満ち足りた気分になりました。

弟はこの幸せが
ずーと続くと
思うほど幸せな気分でした。

他の子供のように走り回ることもなく
辺りを見回しました。

藻川の堤防は
最近大改修があって
綺麗な
台形の形になっていました。
川の流れは
ところどころに瀬ができており
その間は
ゆったりと流れていました。

遠くからでも
川の中に魚の
黒い影が
行ったり来たりしているのが
見られました。

弟が座っているところから
少しはなれたところに
橋がありました。

橋は真ん中だけがアーチ型の鉄橋になっていて
両端は木の橋でかけられていました。

すべて鉄橋だったんですが
戦後間もないころ
台風の大水で
両端が流されて
木の仮設橋になっていたのです。

そんな橋を見ながら
また弟はうとうとしてしまいました。
何時間寝ていたのかわかりませんが
夕日が六甲の方角に
なった時
姉は弟を起こして
家に帰るようにいいました。

弟は
ござを丸めて
家に帰りました。

家に帰ると
母親が帰ってきて
「今日はお風呂をたてるから
水を汲んできなさい」と
言われました。

姉と弟は
近くの小川から
バケツで水を汲んでは
お風呂桶に
入れました。

姉は大きな金バケツ
弟は小さな木桶で運びました。

何度も往復して
やっと一杯になったころには
西の空は
真っ赤に染まって
六甲の山の稜線だけが
見えました。

母親が
わらに火をつけて
風呂の焚口に
入れました。

そのあと姉は
わらを丸めては投げ込む係
弟は少し離れたわらの倉庫から
わらを運ぶ係になりました。

とっぷり暗くなったころ
父親が帰ってきました。

「おかえりなさい」と
言って
今日は笑顔で
弟は父親お迎えました。

父親は服を抜いて
先に風呂に入り
そのあと
姉と弟も風呂に入りました。

弟は
疲れましたが
きっちり座って
ご飯を食べました。

眠たいのがわかったのでしょうか
母親は
弟に「今日はもう寝ましょう」と声をかけました。

弟は急いで
寝巻きに着替え
座って挨拶をして
お布団の中に
もぐりこみました。

直ぐに寝入ってしまいました。

楽しい弁当節句の夢でも
見ているのでしょうか
寝顔は笑っているように
姉には見えました。






これで
お花見とお月見終わります。

お月見については
またそのころ
覚えていましたら
書いてみます。

昭和30年ごろの
風景が
頭の中に
浮かんできましたでしょうか。

私は
昨日のことのように
懐かしく思います。

その時怖かった
父親は今はいません。

母親は
寝たきりになってしまっています。
数々の幸せをもたらしてくれた
母親には感謝しておりますが
その恩返しができていません。
親不孝な私です。

ごめんなさい。

2010年04月28日(Wed)▲ページの先頭へ
日本の本の字の正しい書きかたは

小学校や中学校で
書き順や書き方について
詳しく教えていただいたと思います。

例えば
「必」という漢字など
書き順が
「こういう理由で
こうなんだ」と
教わったこともあります。

でもそれって本当に正しいの?

もともと漢字は
漢字と言うくらいだから
中国から伝わってきたものです。


正しい書き方とか
書き順など中国に頼らなければならないところもあるし
それとは別に
あまり古いことなので
わからないと言うことが多いのではないでしょうか。

それなのに
「書き順はこうだ」と決めつかるのはいかがなものでしょう。

今日中国人が描いた
書画を見ました。

その中に「日本」と書かれているのですが
「本」の書き方が
日本と全く異なります。

日本の小学生が書けば
きっと×になってしまいます。

どんな風に書くかというと
「まず『大』の字を書きます。
その下に『十』字を書く」のです。


大
十

付けて書けば
『本』の字になりますが
少し離しているので
日本の字体の『本』の字とは
程遠いように思います。

こんな風に
本場中国では書くのですから
書き方なんて
どうでもいいのではないでしょうか。

いやー
少し話が
発展しすぎですね。
ごめんなさい。





お花見とお月見 その9

何時間寝ていたのかわかりませんが
夕日が六甲の方角に
なった時
姉は弟を起こして
家に帰るようにいいました。

弟は
ござを丸めて
家に帰りました。

家に帰ると
母親が帰ってきて
「今日はお風呂をたてるから
水を汲んできなさい」と
言われました。

姉と弟は
近くの小川から
バケツで水を汲んでは
お風呂桶に
入れました。

姉は大きな金バケツ
弟は小さな木桶で運びました。

何度も往復して
やっと一杯になったころには
西の空は
真っ赤に染まって
六甲の山の稜線だけが
見えました。

母親が
わらに火をつけて
風呂の焚口に
入れました。

そのあと姉は
わらを丸めては投げ込む係
弟は少し離れたわらの倉庫から
わらを運ぶ係になりました。

とっぷり暗くなったころ
父親が帰ってきました。

「おかえりなさい」と
言って
今日は笑顔で
弟は父親お迎えました。

父親は服を抜いて
先に風呂に入り
そのあと
姉と弟も風呂に入りました。

弟は
疲れましたが
きっちり座って
ご飯を食べました。

眠たいのがわかったのでしょうか
母親は
弟に「今日はもう寝ましょう」と声をかけました。

弟は急いで
寝巻きに着替え
座って挨拶をして
お布団の中に
もぐりこみました。

直ぐに寝入ってしまいました。

楽しい弁当節句の夢でも
見ているのでしょうか
寝顔は笑っているように
姉には見えました。






これで
お花見とお月見終わります。

お月見については
またそのころ
覚えていましたら
書いてみます。

昭和30年ごろの
風景が
頭の中に
浮かんできましたでしょうか。

私は
昨日のことのように
懐かしく思います。

その時怖かった
父親は今はいません。

母親は
寝たきりになってしまっています。
数々の幸せをもたらしてくれた
母親には感謝しておりますが
その恩返しができていません。
親不孝な私です。

ごめんなさい。

2010年04月27日(Tue)▲ページの先頭へ
瞑想???!!!

皆様御趣味は何でしょうか。
優雅な御趣味でしょうか。

私の趣味は
「瞑想」です。

子供の時から
つまらないことばかり考えていました。
体を動かすことは嫌いですから
瞑想の趣味はもってこいです。

その上経費がほとんど要らない。

経済的な趣味ですよ。


でも先ごろ気付いたのですが
もうひとつ趣味ができました。

それは
小説です。

読書ではなく
小説の執筆です。

いつもくだらないこの拙作の小説を
書くのが面白くなりました。

私の書いた小説は
私を感動させます。

だって私が書いたものですもの
私が気に入るように書いていますので
感動するみたいです。

もちろん
私じゃない皆様を
感動させるほどの
小説ではないことは
重々承知してますが、
何分
私が書いたものですので
期待をなさらないで
少しでも読んでいただけたらと思います。

皆様も
御自分のために小説を書かれたら
いかがでしょうか。

かなり はまってしまいますよ。
        

お花見とお月見 その8

同じように重箱のふたを開け
4度目になって
もう残り少なくなったお寿司を
懐かしむように
もっとゆっくりと食べました。

一口食べては
遠くの生駒の山々を
もう一口食べては
春霞にシルエットだけの大阪城を
それから
ゆったり流れる藻川を
みながら
味わって食べました。

友達の中には
全部食べてしまった子らがいて
走り回って遊んでいる者もいました。

弟は
そんな子を
横目で見ながら
「おいしいものはゆっくりと味わわないと
もったいない」と
思いながら食べました。

どんなにゆっくり食べていても
食べたらなくなってしまうのは当然ですが
弟の重箱も
すべてなくなってしまいました。
重箱の壁についた
海苔のかけらも
箸で丹念に取って食べてしまいました。

姉に重箱を渡し
弟は
満ち足りた気分になりました。

弟はこの幸せが
ずーと続くと
思うほど幸せな気分でした。

他の子供のように走り回ることもなく
辺りを見回しました。

藻川の堤防は
最近大改修があって
綺麗な
台形の形になっていました。
川の流れは
ところどころに瀬ができており
その間は
ゆったりと流れていました。

遠くからでも
川の中に魚の
黒い影が
行ったり来たりしているのが
見られました。

弟が座っているところから
少しはなれたところに
橋がありました。

橋は真ん中だけがアーチ型の鉄橋になっていて
両端は木の橋でかけられていました。

すべて鉄橋だったんですが
戦後間もないころ
台風の大水で
両端が流されて
木の仮設橋になっていたのです。

そんな橋を見ながら
また弟はうとうとしてしまいました。

2010年04月26日(Mon)▲ページの先頭へ
母は私に何を期待したか。

人生長く生きていると
なぜ生きているのかということを
もう一度考えてみる機会も多いと思います。

それとは別に
人間は社会の中で生きていますから
期待されている方も多いと思います。

人間の親なら
きっと子供に
期待していると思います。

期待していない親など
まずいないのではないでしょうが、、。

私の母親は
私にとっては
世界で一番優れた母親だと
誰もがそう思うように
思っています。

そんな母親も出来の悪い私に
何かしら期待していたように思います。

「末は博士か大臣か」と
言っていた事を
思い出します。

そんな器でないことを
とっくに見抜いていたであろう母親が
本気で
私にそんな期待をしていたかどうか
今となっては知る由もありません。

しかし
それにほんの少しでも
近づくことが
母への少しばかりの恩返しではないかと思うのです。

日夜がんばっているつもりですが
到底その域には達することは出来ません。

「仰げば尊し」の2番
「身を立て名を挙げ
八代励めよ〜♭」の歌詞が
頭の中をめぐる毎日です。
私の残された時間はほんの少しなのに
絶対無理とわかっているのに
、、、、、、、、、



「少年老い易く学成り難し」
人生は
風の前のともし火の如く
はかないものです。

私はもう無理だと思いますが
皆様が
大臣か博士になられることを
お祈りお申し上げます。


2010年04月25日(Sun)▲ページの先頭へ
お花見とお月見 その7

穏やかな陽光の中
○○さんの家に着きました。

○○さんは、農地改革があるまで
付近の村々に
田んぼを持っている
有名な大地主で
その家は
後に文化財に指定されるような
お家に住んでいました。

その家の庭には
当時は珍しい桜の木があって
ひときわ目立っていました。


その木が見える畦に
今度は一列に並んで
ござを広げて
食べ始めました。

弟は少し坂になった
ござの上で
重箱が転げ落ちて
お寿司が食べられなくなるのを
心配しながら
食べました。

同じように
弟は
お寿司をふたつ桜を見ながら食べました。

その場で少しジッとしていたので
弟は
眠たくなりました。

姉に重箱を返して
弟はござの上で
横になって
空を見ました。

平素なら
食べた後
直ぐ寝ようものなら
「牛になるぞ」と
父親の一喝があるのですが
今日はそのようなことはありません。

空の雲を見ながら
楽しい気分に浸っていると
寝てしまいました。

どれくらい寝たのかわかりませんが
「行きましょう」の声で起こされて
眼をふきふきしながら
ござを丸めました。

「今度は線路の桜を見ましょう」と
大きいお姉ちゃんが言い出しました。

弟の住んでいた村の真ん中を
阪急電車が通っていたのです。
阪急電車は
線路沿いに
桜の木を何本も
植えていました。
それは桜の帯になっていたのです。

弟の家は
線路のそばにありましたから
その桜は
毎日のように見ていました。

子供達の一行は
藻川の堤防の上の
線路の桜と
藻川の流れが見える場所に
ござをおもいおもいに敷きました。

太陽が西に寄って来たので
眩しかったこともあり
弟は藻川が見える
東向きに敷きました。



2010年04月24日(Sat)▲ページの先頭へ
私のノートパソコンは寝起きが悪い

私のノートパソコンは
寝起きが悪い時があります。

私は
寝起きは
あまりよくないほうです。

30分くらいは
頭がもうろうとしています。

これは何分たっても
そうだと言えばそうなんですが、
寝起きのほうが
悪いことは確かです。

さて私がいつも使っている
ノートパソコンのほうですが、
よく使っているので
A・S・T・U・I・Oのキーは
表面が
ツルツルになってきています。

パソコンをつけたまま
画面を閉じると
パソコンが
スリープするの機能がついていて
文字通り寝てしまいます。

画面を開くと
「ウインドウを再開してます」
と言う表示が出て
使えるようになるのですが、


スリープの反対だから
これを
ウエークアップだと言うのかと
思っていましたら
言わないみたいです。

パソコンは
寝る→再開で
寝るけど
起きない
不思議なものです。

先日
寝ているパソコンを開くと
画面が暗くなり
それから
縦の筋が現れて
それが徐々に明るくなってきました。

でも画面は
縦の筋だけ
わからないです。

私は一瞬あせりましたが
寝起きが悪いんだから
また寝かせてみようと思って
画面を閉じ
しばらく経ってから
開いてみました。

そうしたら正常に
再開してくれました。

パソコンも
寝起きの悪い時もあるんでしょうね。

私はいつもぼけていますが、、、、、








ナンよりコウ???

インド亜大陸や
イランなどの地域で
広く食べられている
ナンを御存知だと思います。

先日
イカ焼き器をを買いました。
それでご飯をはさんで
焼けば
薄いご飯の焼き物ができます。

材料は違いますが
ナンのようなものができるのです。

しかし
焼き方によっては
固いせんべい

もっと硬い
固焼きせんべい

もっともっと硬い
鉄板のようなもの
までできてしまいます。

硬いものを見て
機転の利く
女房殿は
これは
「コウ」だと

ナン→軟
コウ→硬

皆様
納得していただいたでしょうか。

インドの方々も
間違って硬く焼けた時は
「コウ」と呼んでください。

皆様も御一緒に

しませんよね
ごめんなさい。

2010年04月23日(Fri)▲ページの先頭へ
お花見とお月見 その6

巻き寿司を
ふたつほど食べたら
大きいお姉ちゃんが
「じゃ次のところに行きましょう」
と声をかけます。


弟は
その声で
箸をおき重箱のふたを閉めます。

姉は風呂敷に重箱を包み
弟はござをくるっと丸めました。

姉と大きいお姉ちゃんの先導で
田んぼの畦を西に向かいます。

今度は隣村の神社に向かいます。

お昼を告げる
各村々のサイレンが
鳴り響きました。

のら仕事をしているお百姓さんたちは
仕事の手を止め
昼ごはんに帰り始めました。

知り合いの村人と
お姉ちゃん達は
挨拶をして
ゆっくりと鎮守の森に着きました。

そこには
大きな木が何本もあって
夏には
森になってしまいますが
まだ春先の
今は
新芽を出している木も
少なく
日が差し込みました。

その場所で今度は
丸くござを引いて
向かい合って座りました。

平素おしゃべりして
食事をしたことがない
子供達でしたが
その日は大人もいないので
「今度はあの木に登って遊ぼう」
とか
「お人形さんを買ってもらった」
とか
話しながらゆっくりとお寿司を食べました。

弟も
姉達の話を聞きながら
おしゃべりしながら
食べるのも良いものだと思いました。

お寿司をまたふたつ食べました。
お姉ちゃんは
話に夢中で
まだまだ時間はありましたが
全部食べては
もったいない気がして
箸をおいて待っていました。

ひとしきり話した後
「じゃ次のところに行きましょう」と声が上がりました。

弟は同じようにござを丸めて
準備をしました。

「今度は、○○さんちに行きましょう。
あそこの桜はとても綺麗だから」
と言いました。

田んぼの畦を
ゆっくりと歩いて
行きました。

太陽は春霞で
穏やかに輝き
気持ちが本当にいい日でした。


2010年04月22日(Thu)▲ページの先頭へ
お花見とお月見 その5

弟が大き目のござを持って
姉が風呂敷に包んだ重箱を持って
まず近所の家に向かいました。

そこの家には
数人の友達が集まっていて
皆で連れもって行くことになりました。

村の中を通る
有馬道を外れ
春の草が
わずかに生えた
野道を
北に向かいました。
小川のせせらぎが流れていました。

遠くには六甲の山々が
春霞の中見えました。
風もない穏やかな天気で
今日の弁当節句には
格好の日和でした。

年に一度の
子供の楽しみの日になる予感がしました。

弟はうきうきした
気分で大きなござをもって
姉の後ろを
ゆっくりと歩いていました。

空にはところどころ
「ぴーちく ぱーちく」とヒバリが鳴いていました。

ヒバリは空の同じところでずーと鳴いていて
弟はその下にでも巣があるのかと思って
探しましたが
いつも見つけられませんでした。

姉やもう一人の大きなお姉さんが
「ここにしましょう」と
声をかけました。

弟は待ちに待った時がきたと思いました。
そこは
小高くなっていて
小さな梅の木があって
梅の花はもうすでに終わっていましたが
少し出た葉っぱが
青々と春を感じさせました。

弟はござを敷いて
下駄を脱いで
その上に上がりました。
姉もその上に風呂敷をおいて
開けました。

弟に
こぼさないようにと言って
弟の前に弟の重箱を置きました。
弟はそんなこぼすような
へまなまねはしないと
心の中で思いつつ
眼をキラキラ輝かせて
ふたを開けました。

姉自分の分の重箱を取り出し
前に起きました。

皆はおもいおもいの方向を見て
「いただきます」と言って食べ始めました。

遠くの山々
山まで続く田んぼ
ところどころの家々・鎮守の森
近くには小川
空には白い雲
そして
ヒバリの鳴き声
こんな中で食べる
三ヶ月ぶりの白いご飯の巻き寿司が
美味しくないはずはありません。

今なら
山紫水明
山青くして水あくまでも清い
と表現でもするのでしょうが
当時は全くそんな言葉を知らない弟は
ただただ
楽しくて
嬉しいと思いました。

弟に限らず皆は
一口で
お寿司を食べると言うことはなく
少しずつ
箸でつまみながら
食べました。

2010年04月21日(Wed)▲ページの先頭へ
お花見とお月見 その4

昼の11時を少し回ったころ
急ぎ足で母親は帰ってきました。
手を洗う前に
母親は
ヘッツイさんに
火を入れてご飯を炊き始めました。

白いご飯だけの香りは
麦ご飯の臭いとは
全く違ういい香りです。

弟は
もうわくわくして
思わず叫びそうになるくらいでした。

母親は
火をくべながら
手を洗い
カンピョウと高野豆腐に味をつけて炊きました。

卵を帯状に切って
皿に並べました。

カンピョウは高野豆腐も切って
並べました。

生姜を漬けた
壷から
生姜を取り出し
切りました。

ご飯も音がして
炊けたの
少し蒸らした後
木の桶に入れて
酢と砂糖を混ぜたものを切るように混ぜました。

姉が呼ばれて
うちわで扇いで冷ましました。

母親は手際よく
海苔を敷きご飯を均等に並べて
その上に卵とカンピョウ・高野豆腐・生姜を上におき
巻いていきました。

20本近く巻いて
そのあと
水をつけた
包丁で切り始めました。
それを
まず皿の上に
切り口が上になるように
丸く並べ
二段三段とと積み重ねていきました。

皿に載せたのは
父親の分です。

もう一皿
母親の分を並べ
そのあと
洗った重箱のに
今度は横に並べました。  

重箱に
綺麗に巻き寿司が並ぶと
姉は
待っていたかのように
蓋をして
風呂敷に包みました。

姉と弟は
下駄を履いて
「行ってきます」と母親に言って
風呂敷に包んだ重箱を持って
家を出ました。

弟は
重箱を持ちたいと言いましたが
落としては大変なので
姉が持っていました。

その代わり
弟は
門(かど)にあった
ござを持って
家を出発しました。


2010年04月20日(Tue)▲ページの先頭へ
お花見とお月見 その3

翌日ご飯を炊く音で目が覚めた
弟は
服を着替えて
母親に
「お早うございます」と挨拶しました。

姉は固い雨戸を
開け始めました。
弟も行って手伝いました。


そのあと
土間の流しのところで
金タライに水を汲んでもらって
口をすすいで
顔を洗いました。

自分の手ぬぐいで顔を拭いて
台所まで帰ってくると
朝の間の仕事をして帰ってきた
父親に
「お早うございます」と挨拶しました。

父親が
足や手を洗っている間に
姉はお膳を並べ
母親はヘッツイさんから
釜を持ってきました。
お味噌汁と
お漬物が並べられました。

弟は
お膳の前に座って
父親を待ちました。

父親が座ると
家族全員で「いただきます」と
合掌してから
食べ始めました。

いつものように
背筋を伸ばして
食べていた弟ですが
少し足がしびれて
姿勢が崩れると
父親の鋭い眼光が光りました。

慌てて弟は
姿勢を正して
事なきを得ました。

それを見ていた姉は
ハッとした様子でした。

「ごちそうさま」の唱和のあと
父親の「作業」と言う声と共に
立ち上がり
父親は
仕事に出かけて行きました。

姉と弟は
お膳を片付けました。

こんどは、
母親は、白米だけを仕掛けました。

そのあと
カンピョウと高野豆腐を
水につけました。

鳥小屋から
卵を持ってきて
卵を割って
かき混ぜ
卵焼きを作り始めました。

卵焼きのいい香りが
家にただよいます。

鶏を飼っていて
毎日卵を産みますが
卵焼きを食べるのは
正月以来でしょうか。

弟は
台所で
母親の仕事を
見ていました。

卵焼きを
水屋に仕舞ったあと
母親は農作業に出かけていきました。

弟は水屋の中の
卵焼きを
しげしげと見ていましたが
手を付けることはありませんでした。

姉と弟は
昼までの辛抱と我慢しながら
家で遊んでいました。

2010年04月19日(Mon)▲ページの先頭へ
お花見とお月見 その2

子供達だけでするお花見は
もちろん大人の協力があってのことですが
楽しい限りです。

素朴なそんな「お花見のようなもの」は
私の村では
「弁当節句」と呼ばれていました。

普通は
月遅れの桃の節句
4月の3日に行われます。

皆様は御存じない方も多いので
想像ができないかもしれませんが
想像をたくましくして
弁当節句の楽しさを共感していただきたいと思います。

以下は物語ですが、
当時をうまく再現できていればいいのですが、、、
(文中弟は私です。
伏字になっているのは実在のものです。)


明日は
4月の3日
ゆったりと藻川が流れる寒村にも
春の息吹がどことなく聞こえてきます。

遠くには
田起こしをするために
牛を使って鋤を引っ張っている
村人も
春霞の中に見られます。

母親は
橋を越えて住宅にある市場まで
明日の用意のために
海苔とカンピョウ・高野豆腐を買ってきました。

子供は
小学校4年の姉と1年生の男の子です。
姉は弟に
「明日は弁当節句だよ
賢くしていないと
「けと」(短気の方言)のお父さんが
『やめておけ』というかもしれないから
明日の朝出かけるまでは
静かにするんだよ。
そうしたら
明日は楽しい弁当節句なんだから

みっちゃんやよしおくんら皆と
行けるからね
静かにするんだよ」と
言って聞かせました。

弟は
いつもにも増して
父親の前では
賢く振舞うように心がけました。

ご飯を食べる時も
お膳の前に正座して座って
背筋を伸ばして
「いただきます」と言ったきり
静かに食べました。

弟は
明日のことが待ち遠しくて
はしゃぎたくなる気持ちを
ぐっと押さえていました。

無言の食事が終わって
お膳を各自が片付け
棚に仕舞った後も
弟は
ジッと座っていました。

横になったりあくびでもしようものなら
父親の一喝があるからです。


食後のラジオがつけられると
少しだけ
楽にできますが
無駄口を言って
父親の機嫌を損ねたらいけないので
ジッと座ったままでした。

時間が来て
母親に寝るように言われると
寝巻きに着替えて
父親と母親の前に座って
「お父ちゃんお母ちゃんおやすみなさい」と
手を付いて挨拶した後
布団の中に入りました。

わくわくした気持ちが
ありましたが
直ぐに眠りについてしまいました。

そのあと
母親は
麦とお米を洗って
鍋に仕掛けました。


互い違い階段はこうして作られた 42話

昇;
それは真子さんは
ハシゴを
上ったことがないから
わからないですね。

ハシゴは
小さいでしょう
それに横に縦の柱があるでしょう
そこで足をぶつけるんです。
靴を履いていると問題ないんだけど
素足の場合は
足の小指をぶつけて
痛いんです。

真子:
それは痛そう
横の柱にぶつけるんですね
、、、、、、
だったら
なくしたら良いんじゃないの

父親:
なくしたら
ハシゴにならないだろう

昇:
そうか
柱を足の当たらないところに
持ってくるんですね。

父親:
そうか
そうすると良いのか。

真子:
後ろに持ってきて
こんな風に三角の板で
支持するの

父親:
そうか柱から
三角の板をつけて
出っ張るんだね
それはいい考え

昇:
三角板で出っ張るのもいい考えだけど
板を三角状に組むのは
どうかな
連続して付けると
稲妻の様になるんじゃないですか

真子:
そちらのほうが
細い材で良いですね

お父さんは
なんかないの

父親:
二人が考えたので
他にはないよ

_________________
著者注
移動できるタイプは
二つ同時に考え出しました。
同時に考えましたが
真子が考えた
三角の板で
踏み板を支持するものの方が
製作が容易であったために
早く実用化されました。
VX-Typeです。

昇が考えた
踏み板と蹴上げ板を
柱から三角状に持ち出すやり方は
板を柱に取り付ける
方法に困難なところがあって
直ぐには
実用化されません。

この取り付け方法については
この小説で詳しく述べます。
LX-Typeです。
いずれの方法も
意匠登録を済ませております。
_____________________

2010年04月18日(Sun)▲ページの先頭へ
お花見とお月見 その1


私が子供の時に育ち今も住んでいる村は
昭和34年ごろまで
本当に貧乏な寒村でした。

そんな寒村では
年中行事も
経費の面から
いろんなことをできません。

節分・端午の節句・菊の節句・七五参
そのような行事はしたことがありません。
学校では文部省唱歌「鯉のぼりの歌」を
歌ったことはありますが
私の村では一軒の商家を除き無縁でした。

しかしそんな村にも
年中行事はあって
正月とお盆
収穫後の神社の秋祭り
それに大人たちのくつろぎの「伊勢講」です。

正月は前にも言ったように
元日は寝正月
二日目はお年賀
3日目間何もせず
4日目からお仕事です。

盆は
これといった休日ではなく
お寺さんに参ってもらう程度
特に休むということはありません。

神社のお祭りは
関わりのある人は
前日の夜と祭りの日のみ仕事は休み
その他の人はその時のみ休みです。

「伊勢講」は
おかげ参りから派生したものですが
春と秋に
その年の当番のところに集まって
宴席です。
もちろんその時までは仕事です。

すなわち仕事の合間に
行事といったほうがいいと思うくらい
仕事でした。

皆様誤解があっては困るのであえて書きますが
日曜日祝日などでも
もちろん仕事です。

大人たちはこんな風に
仕事に明け暮れていましたから
子供は
どこかに連れて行ってもらえるとか
遊んでもらえるとか言うことは
まずありません。

子供だけで
遊ぶしかなかったと思います。

そんな寒村にも
子供が楽しめる日があります。

それは
「お花見のようなもの」と
「お月見」です。


互い違い階段はこうして作られた 41話

この後順調に
ΔE-Typeを数台
受注して
売り上げますが
数ヵ月後
またもや大きな難題がやってきます。

それは
東京のインターネットを見た
顧客からの電話で始まります。

顧客の言うのには
その地域では
ロフトへの階段は
取り外しが出来ないといけないということに
なっているということです。

互い違い階段は
その時には
ΔE-Typeしかなく
もちろん取り外しは不可能でした。

そのため顧客は
取り外しが出来る
互い違い階段を
要求してきたのです。

電話に出た父親は
顧客の要求はよく理解できましたが
しかし互い違い階段を
取り外すのは
どのようにすべきか
直ぐにはわかりませんでした。

そこで
「考えさしてください」といって
連絡先を聞いて
電話を切りました。

父親は
ハシゴを
互い違い階段にすればいいのかと
安直に考えました。

でもそんな風に作ると
どうなるのかと
想像も出来ませんでした。

そういうわけで
困った時の
真子頼みとなります。
今度は昇も入れて
日曜日に相談することになりました。

父親:
昨日話したとおり
取り外しが出来る
互い違い階段を
作らないといけないことになったんだ
なんか良い考えないかな
昇考えてくれたかな

真子:
そんなの突然言われても
良い考えないわ
昇さんきっといい考えあるでしょう。

昇:
えー
僕だって
突然言われて
良い考えなんかありません。
ハシゴの段を
交互に付けるくらいの物です。

父親:
それは俺も考えたよ
でもそれって
問題あるよね

昇;
そう問題あると思います。

真子:
えーふたりとも
ハシゴの段を
交互に作るのは
どんな問題あるの?


2010年04月17日(Sat)▲ページの先頭へ
今年は寒いかも??

今日は寒いですね。

今年は寒いかもしれません。

以下の文章は
私の考えです。

根拠がありませんので
信じないでください。

太陽には活動期と休止期があるそうです。
活動期には
太陽の黒点が増えるそうで
短くは11年周期だそうです。
長い周期の活動期と休止期には
400年の周期のものがあるそうです。

前の大きな休止期は
日本の戦国時代のころにあって
凶作が続いて
飢餓で死ぬ確率が
戦争で死ぬ確率よりも多いため
戦国時代になったと私は思っています。

その休止期が
始まりつつあるそうです。


もうひとつ寒くなる原因が
アイスランドの火山から噴出される
火山灰です。

大気圏に放出された火山灰は降雨と共に
地上に落ちてきますが
成層圏まで達した
火山灰は
長くとどまります。

日光をさえぎり
冷夏の原因になります。

「今年は冷夏になる」と
私は思っています。


半年経つとこれが
正しかったかどうかわかりますので
検証しましょう。

暑いのは嫌ですので
冷夏はいいのですが
凶作になるほど寒いと
困りますよね。

2010年04月16日(Fri)▲ページの先頭へ
専業主婦をしたら2億5000万円の損??!!

先日 健康診断に行ったときに
ある雑誌「プ○ジデ○ト」が
閲覧可能で置いてあったので
何気に読んでおりました。

何しろお金儲けだけを考えている雑誌ですので
いろんなお金にまつわることが
書かれていたのですが
その中のひとつの記事です。

「会社勤めの女性が
子供の出産を機に
やめた時と
辞めずに産休を取って
勤め続けた時の
生涯給与の差は、
2億5000万円」と書かれていたのです。

主婦としても働き
OLとしても働くのですから
その差はあって当たり前とも思いますが、
主婦は
その雑誌に寄れば
働いていないかのような記述には
閉口してしまいます。

主婦として
家庭を守り
子供を育てることは
私はすばらしい価値があると思います。

所詮会社勤めは
代替性が高い仕事です。
それに対して
家庭での仕事・家族としての仕事は
余人を持って代えることのできない
大切な仕事でしょう。

それを評価せず
そのように評価するのは
如何なものでしょうか。

世の女性に叱られませんのでしょうか。


男性の私がいうことではありませんが
余人を持って代えることのできない仕事
任務こそ尊いことと思います。


2010年04月13日(Tue)▲ページの先頭へ
PET診断

大阪に健康診断に行ってきました。

私が病気になると
皆様に迷惑をおかけしますので
早期発見早期治療をはかるため
健康診断に大阪に行きました。

PET診断です。

PET診断の有効性を
疑問視される方もおいでですが
私は3年半前にこれで命拾いしております。

結果は一週間後ですので
今はわかりません。

それはさておき
大阪はいつものように
たくさんの人出でした。

趣味というか癖というか
私はたくさんの人を見ると
その人たちがどんな人かと
直ぐ観察してしまいます。

以下の文章には
少し特定の人を
批判しているとも取れますが、
決してそのようなことはありません。
私自体
以下の文章に出てくる
風采の上がらぬ
ざっぱな人間ですので
そのような人を批判しているものではありません。


電車の中では
皆様
参考書を読む人
図書館で借りた小説を読む人
携帯を見る人
たぶん携帯ゲームをしている人
テレビゲームに興じる人
新聞を読む人
寝ている人
ただ単に座っている人
などがおられるようです。

世間一般的に言えば
ゲームをするより
読書をするほうが
有意義だということになっていますが、
そうでしょうか。
あまり変わらないような気がします。

大阪の街を歩いていると
ホームレスの人も散見されるなか
若い女性が
それは高そうな井出たちで
闊歩されるのも見受けられます

人生をどのように歩めば
その差が生じるのでしょうか。
わかりません。

帰りに女房殿にお土産を買おうと
百貨店に寄りました。

百貨店の中の
いわゆるお客様の身なりは
明らかに外を歩く
通行人の身なりより
確実にいいように思います。
こざっぱりしている人もいれば
アクセサリーをつけている人もおられるように思います。
家の近くの
安売り店のお客様と
身なりが違うように思います。


もうひとつだけ
全く関係ないんですが
前に女子高生が歩いていたんですが
そのひとりの足が
すごく細いんです。
普通の人の足の
70パーセント細さでしょうか。
よくよく観察すると
太い足の人は
その人の倍はありそうです。
足の長さが同じだと仮定すると
普通の人の足の半分の重さ
太い足の持ち主から考えると
4分の1の重さになります。

そんなに細くても
歩くのに支障ないみたいです。
だったら
太い足の人は
何のために太いのでしょう。
こんなつまらぬことを考えて
帰ってきた私は
本当につまらぬ人間です。

すみません。
つまらない話を書いてしまいまして
すみませんでした。




2010年04月12日(Mon)▲ページの先頭へ
大阪に近い園田にも春が来た!

時候の良い季節がやってきました。
春ですよね。
春は気分が「張る」ので
「春」というらしいですって

出かけたるなる気分です。
アパートの近くの堤防にも
たくさんの人がお出かけにられているみたいです。

桜も満開ですので
園田にぜひお越し下さい。
園田一級河川藻川の標識
一級河川藻川標識 英語表記が Mogawa Riv.と書かれています。
Mo Riverではないらしい。
園田宮園橋北遠望
園田の藻川宮園橋西詰から上流側景色 遠くに見える山は箕面方面
園田宮園橋河川敷芝生
園田の藻川宮園橋西詰下流側 河川敷で日曜日には
サッカーを平日にはゲートゴルフに興じている人たちを見かけます。
園田宮園橋付近中州
園田の藻川宮園橋東詰西向き 遠くに見えるのは六甲連山 甲山も見えます。
藻川中州には菜の花 子供が魚取りをしています。
最後には川に入って獲っていました。川に入るのは危険だと思います。
園田宮園橋堤防南側
園田の藻川宮園橋東詰下流側 お昼には桜の木の下でお花見をしている方がいました。
園田宮園橋堤防遠望
園田の藻川宮園橋東詰上流側 園田遊歩道の堤防です。遠くの山は池田の山
良い天気の日には散歩やサイクリングをしている方が大勢見られます。
園田アパートロフト窓からの藻川北西側
園田アパートロフト窓からの藻川西側
園田の小社アパートよりの藻川

2010年04月11日(Sun)▲ページの先頭へ
薬剤師試験受験票

今から
35年前の受験票です。

35年前には気づきませんでしたが
文面が
今ではちょっと使わない様な言葉があります。
どちらが表か分かりませんが
左の日時を記入したところに
「出頭すること」
と記載されています。

「頭から出るんだ」と
愛娘が突っ込みを入れました。

当時は髪の毛が豊富な私ですが
頭から入った様な気もします。

愛息子の受験票は
「出頭」の言葉はありませんでした。

35年前って
そんな昔なんですね
「老兵は消え去るのみ」でしょうか。

資格はあった方が良いでしょうね。

日本のグローバル化が進んでいます。
先日お隣の韓国では
留学生を積極的に重用して
国の反映貢献させていると言う報道がなされています。

このようなことが
報道されるのは
それなりの力が働いたからだと思いますが、
労働力のグローバル化への方向は
避けがたいと思います。

アジアの諸国特に中国から
優秀な人材が留学生としてこられています。
それらの人と接する機会が
家業として多いのですが
明らかに日本人の平均を遙かに上回る
人材です。

その様な方々が
日本で就職して
日本の中枢になる日も間近いと思います。

そんなとき
本来の日本人は
どのように対処すればいいのでしょうか。

失職しないまでも
閑職あるいは
下働きの地位になることは
予想されます。

こうならないために
私の愛息子愛娘には
資格を取る様に
日頃より言っています。

そのかいあって
一番下の
愛息子が
薬剤師の資格に合格致しました。
合格証が送られてきました。

感激です。

35年前
私自身に
合格証が送られてきたときよりも
感激です。

皆様もお励みになられることを
切にお願い申し上げます。

35年前に送られてきた合格証
ペンで書かれています。
A4の用紙です。愛息子に来た合格証はハガキです。
厚生大臣田中正巳さんは自民党の議員だったんですが2005年に亡くなっておられます。

2010年04月09日(Fri)▲ページの先頭へ
かわいいお部屋になっていますでしょうか。

お部屋の改装を
しておりますが、
先日行った改装について
写真で見ていただきたいと思います。

改装の主なる目的は
もちろん入居者の満足度を増すことにありますが
その主な手法は
クロスのフルスペックバージョンと
クロスの貼り分けです。

これをうまく行うことにより
お部屋が
よりかわいいお部屋になルと思います。

それ上天井が高く見えたり、
お部屋が広く見えたりするのです。

高い天井や
広いお部屋にするには
物理的には無理ですから
いわゆる錯覚を利用するしかありません。
ロフトの改装クロス全面貼り改装前
ロフトの改装クロス全面貼り改装前
ロフトの改装クロス全面貼り改装後可愛くなったでしょうか
ロフトの改装クロス全面貼り改装後
全面貼りでお部屋を軽く可愛く仕上げました。
ロフトの改装入り口側クロス全面貼り改装前
ロフトの改装入り口側改装前
ロフトの改装入り口側クロス全面貼り改後天井は高く見えるでしょうか
ロフトの改装入り口側改装後
天井が高く見えるように貼り分けしております。
ロフトの改装入り口側クロス全面貼り改後天井は高く見えるでしょうか
夜になるとダウンライトでさらに雰囲気がよくなります。
ご意見を賜りたくお願い致します。 今までの分はかわいいお部屋でご覧下さい。

2010年04月08日(Thu)▲ページの先頭へ
速読って

速読の仕方を
テレビが伝えていました。

速読って
良いことなんですか。

字を読むことが
仕事の人は
速読は有効かもしれません。

でも一般の人が
小説や
新聞を読んだりするのは
楽しいからしてるんじゃないんですか。

楽しいことは
ズーと続いた方が
良いと思いませんか。

そうですよね。

ゆっくり読んだら
良いんじゃないんですか。

速読が出来ない私の言い訳かもしれません。

2010年04月06日(Tue)▲ページの先頭へ
観桜会は盛況でした。

小社アパートの入居者向け
お花見を
日曜日致しましたが
かなり盛況でした。

よい天気で風もなく
お花見日和で
幸運でした。

おいでになった方々が
ご満足いただいたか心配です。

桜って良いですよね
かなり生命力もあるみたいです。

こんな風に満開ですが

こんな所にも咲いていました。
でも散り始めると付近の人のお掃除が大変ですよね。
ありがとうございます。

2010年04月04日(Sun)▲ページの先頭へ
今日花見をします。

オフ会ではありませんが
小社アパートの入居者向けに
花見をします。
桜満開です。

観桜会でしょうか。

簡単なお弁当と少量のご酒がございます。

このブログを
見られている方で
もし本日お昼に
お時間がある方は
お越し下さい。

場所は尼崎市東園田町9丁目阪急園田高架下公園です。
12時頃から行います。

お越しの節は
杉原まで来て下さい。

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