アスカルの飼い主の屁理屈 人は金持ちを応援する。その2
アスカルの飼い主の屁理屈
このカテゴリーは、
何の根拠もない事柄を
あたかも理由があるように
私アスカルの飼い主が論述するものです。
たぶんに妄想が含まれますので
真に受けないで下さい。
『決して他言は無用です』
言ったあなたが恥をかきますから、、、
応援する人と
応援される人の
才能の
違いは歴然です。
一般人では
到底できないようなことを
やってしまいます。
ハンマーを80m投げたり
どんな玉でも打ち返したり
本当に回っているかどうかもわからないくらい早く4回転半回ったり
本当にすごいのです。
でも良く考えてください。
ハンマーを80m投げれたからと言って
実社会でどんな利益があるのでしょうか。
そんな仕事はしらみつぶし探しても見つからないかもしれません。
優れた能力でも
応援する人がいなければ
何にもならならないのです。
さてもう少し違う面で
次回は
応援する人と応援される人を見てみましょう。
長編小説「昭和」 その70
長編小説「昭和」 その70
前書き
今までのあらすじ
その1からその50まで まとめたもの
皆様ご承知のように
「たわけもの」は
時代劇に出てくる言葉ですが
「田分け者」と書きます。
田を分ける者が
「たわけもの」で
無分別の者の代名詞なのです。
田畑は限られています。
どの様な努力をしようとも
収量は努力と比例して
増加しません。
既に十分な努力をしているので
収量は既に最大限に達しています。
即ち土地は限られていますので
収量は同じです。
即ち満足に食べられる人数は
決まっています。
昭和の始めの頃なら
1反300坪で少なく食べて
ふたり分程度の人しか収量がありません。
年貢や地租などのためになくなる分を入れれば
一反でひとり弱の収量しかないと考えられます。
平均的に7反ぐらいあれば
一家は最低限の生活が可能でしょう。
終戦後に行われた農地改革では
1町2反までしか所有できなかった事実と合わせて考えても
一家が生活できるためには
7反程度が必要だったんです。
それを分家して分かれると
段々細分化し
7反を下回ると
みんな共倒れの憂き目を見ることになります。
そんな理由で
分家→田分け→たわけもの→無分別
の構図になります。