ロフト付き は、おもしろい - 2006/05

ロフト付き って良いですよね。隠れ家というか何というか。
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ロフト付き は、おもしろい
ロフト付き は、おもしろい/一覧 (880)


私の病気(下痢する病気)の原因は
不明です。
しかし食事制限していると
無症状にすごせます。
しかし生活の質を向上するために
そのためふたつの面から
解決をしようと考えています。
ひとつは原因物質の探求
もうひとつは代替食品の開発です。
ご協力くださる方は、メールください。

上記メールアドレスをクリックしても
新しいメールが出てきません。
上記のメールアドレスを
あて先に打ち込んでください。
メールください。

ロフトで笑ってすごそう
「笑う」とがん細胞を
やっつけるとのことで
「笑っています」

皆様もご一緒に


アスカルも笑っています
ロフト君もよろしく

2006年5月
 
     

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ロフト付き アニメ
ロフトってこういう感じなんです。
一度見学に来てください。

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2006年05月31日(Wed)▲ページの先頭へ
アパート の外観また新しくしました。

アパートの外観を新しくしました。
石目調の窯業サイディングにしました。
アパートは、重厚感のある風合いになったと思います。


建物遠景


エントランス


エントランス全景

2006年05月26日(Fri)▲ページの先頭へ
防犯フイルムの貼り方

防犯フイルムは、防犯性のを強くする大きな方法です

既存のガラスに貼る場合

防犯フイルムはガラスにあわせて買ってください。
透明ガラス貼付用の防犯フィルムは、たくさん売っているのですが、
型板ガラス用のものは、なかなか売っていません。
売っていても割高です。
勧めませんが、透明ガラス用を使います。
ガラスから枠を取らずに貼ることもできますが、
防犯上のことを考えるとやはり枠からガラスを
はずした方が、よいでしょう。
窓ガラス戸を枠からはずします。
最近のガラス戸は、はずれ止めが付いていますので、
枠に書いてある使用説明書をよく読んではずしてください。
ガラス戸をはずせたら平らな場所に置いて
枠に付いているビスを回して取ります、
古くなるとガラスと枠のビード(本当は、ガスケット)
と呼ばれるゴムが堅くてはずれにくいことが多いと思いますが
少しずつはずしてください。
ビードは、再利用しますが、
堅いと地震の時揺れを吸収できず、
ガラスが割れてしまいますのでこれを機会に交換してください。
建具屋さんで売ってますが、
一巻き単位の場合もありますからお近くの建具屋さんと相談ください。
ガラスを取ったら机の上に置いてください。
ガラス掃除の洗剤とガラス掃除用のゴムベラで何回も掃除してください。
古いガラスは、いろいろなものがこびり付いていますので、
丹念に掃除してください。
どんなに丹念に掃除してもやはり取りきれないゴミがあるので、
新しいガラスでない場合は、やはりうまく貼れないと考えてください。
型板ガラスの場合は、めだちません。

型板ガラスは、ざらざらしていない方に貼ります。
よく清掃したガラスにまず中性洗剤をほんの少し含ませた水を
霧吹きで吹き付けます。
防犯フイルムをその上に置いて
ガラスより少し大きめに切ってしまいます。
フイルムの保護シートを取りながら同じように
霧吹きで水を吹き付けます。
ゴミが付かないように注意してください。
場所を決めたのちゴムベラで水を切ります。
気泡が残らないように注意してください。
ナイフでガラスより少し小さめにフイルムを切ってください。
それからゴムベラで水を切ってください。出てきた水を、
乾いたタオル等でふき取ります。
ゴムベラで防犯フイルムをしごくときは、
フイルムに傷が付かないように
ゴムベラにゴミが付いていないよう見てください。
水を吹き付けると滑りがよくなりますので、
吹き付けた後してください。
それから防犯フイルムを貼ったガラスを窓の戸にはめます。
ビードを取り付けてそーと枠にはめ込んでください。
防犯フイルムを貼った方が室内側です。
窓ガラス戸を枠にはめ込んでください。
はずれ止めも同じようにしてください。

防犯フイルムを貼ったガラスを割ったことがありますが、
割れ落ちません。
枠に入っている限り相当強いと思います。
枠に入っていないと曲がってしまって役に立ちません。
枠の中まで防犯フイルムを貼ることを薦めます。


2006年05月25日(Thu)▲ページの先頭へ
井戸があったあの頃


水道のない時代は、井戸は、大切なものです。
私の家にも井戸は、ありました。
しかし皆様もご存じだと思いますが、
どこでも井戸を掘れば飲み水がでるとは、限りません。
私の住む村は、猪名川の扇状地というか、三角州です。
そのため井戸を掘っても水脈がないと、
飲み水は、沸き出しません。
井戸を私の父が掘ったのですが、飲み水は、出ませんでした。
洗濯・掃除・お風呂の水は、使っていました。
でも飲み水には、臭いがあるし、少し色もあるみたいです。
それで、当時空き家になっていた家に水がよく出る井戸があったので、
そこまで汲みに行ったのです。
重いのに大変です。
本当に大変だと思います。
やっぱり水道は、良いですよね。
水道が通ったのは、昭和30年頃です。
貧乏でも、水道は、あった方がよいと思います。


2006年05月24日(Wed)▲ページの先頭へ
お腹を直ぐこわしますが原因を調べています。

幼いときよりお腹を直ぐこわす私は、
二十歳の頃までよく病院に通いました。
大人になってもお腹の調子は、悪かったですが、
「こんな程度は、病気じゃなくて体質ではないか。
と思って、お腹が少々痛くても
「また前と同じか、まあ仕方がないか。
と深く考えないようになりました。
しかし50歳になったある日気が付いたことがあります。
手巻き寿司を食べたり、イクラ丼ぶりを食べたりすると
3時間後にすごい腹痛に見舞われるんです。
イクラが大変怪しいと思うようになりました。
そう考えると、魚のカレイに、よく付いている卵を
食べた後も下痢をします。
「そうか魚卵が、原因の一つか。
と初めて気が付いた次第です。

ここで、原因のひとつかと言ったのは、
魚卵をやめてから、お腹をこわすことは、
すっかり少なくなってしまいましたが、
やはり時々腹痛になることがありました。
特に特定のものとは考えられないのです。

それで食事を制限し、
どの食材が問題か調べることにしました。
まずご飯のみを、塩だけで食べます。
3日間食べました。
4日目の朝、塩だけでは、おいしくないので、
しょうゆ掛けご飯にしました。
昼も同じくしょうゆ掛けご飯です。
そうすると、昼食後の午後1時頃ひどい腹痛に見舞われます。
これは、ひどいものでだったので、食事は、その日の晩から
今までの食事に変えました。
でもこの腹痛は、3日間続きます。
また、納豆のたれ、すき焼き
(昔から何となくすき焼きは、苦手でした)
などでもお腹をこわすことから、
しょうゆがきわめて怪しいことに気づいたのです。


原因があって結果があるので、
お腹をこわすのも原因があるのではないかと考え、
その原因を調べ始めた私です。
皆様の中にもおいでじゃありませんでしょうか。


2006年05月16日(Tue)▲ページの先頭へ
防犯フイルム

今日は、防犯フイルムを窓ガラスに貼りました。

弊社では、防犯に留意しています。
窓ガラスは、防犯の弱点のひとつです。
ガラスは、簡単に割れ侵入されるのです。
この窓ガラスからの侵入をを防ぐには、
ガラスを割れないガラスに変更するか、
防犯フイルムを貼って補強するかです。

防犯フイルムは、薄いプラスティックでできており、
片面に糊が付いていて、保護シートが貼ってあります。
ガラスを清掃した後、水を噴霧し保護シートを取り除いた後、
貼り付けます。
その後ゴムべらで水を切って仕上がりです。
(実際は、窓枠よりガラスを取り出して中まで 防犯フイルムを貼り込んで補強しています。)

防犯フイルムが貼られたガラスは、ガラスを割っても 割れ落ちません。
またドライバーのような尖ったものも、
そう簡単には、貫通しません。

防犯フイルムは、頼もしいですね。


2006年05月15日(Mon)▲ページの先頭へ
昔のドロボー

泥棒に入られて、

サ○エさんのテレビを見ていると、
よくまぬけな泥棒がサ○エさんの家に
入ってるのがよくでてきます。
私の家にも8歳頃入られました。
と言うか、、、、、

詳しく言うと、6月下旬の田植えも済んだある日のことです。
朝母が起きてみると、土足の足跡が、
枕元まで続いているのです。
母は、誰が土足のまま上に上がったのか、
家族みんなを疑いました。
でもよく調べると、裏口が開いたままになっています。
それから、お風呂場の窓の格子が、1本はずされているのです

そう、夜の間にドロボーが入って枕元までやって来ていたので す。
北側の家にも入って、家人を脅かし、
金品を奪って逃げたそうです。
警察の人がやってきて、指紋を採っているのが窓から見えました。
私の家は、何も取られなかったので警察には、届けませんでした。
同じドロボーが隣は、脅かして取っていったのに、
我が家では、起こさず「そーと」裏口から出ていったのには、
大きな理由があります。

当時の我が家は、雨漏りがひどいので、
建て替えて新しい家に引っ越したばかりでした。
なにぶん節約家の我が家では、
家は、新築でしたが、
畳やふすま、障子は、前のものを使っていました。
その上左官仕事もお金がないため、
上塗りをしていませんでした。

ドロボーが入ったときの我が家は、
壁は、荒土のまま、
ふすま障子は、破れたまま、
畳もボロボロでないところもあります。
こんな廃屋とも言うような我が家に入ったドロボーは、
一目して
「こんな貧乏な人間を起こしても何も盗るものがない。」
と考えたのでしょう。

やっぱり、ドロボーにもわかることだったのですね。
その後、窓格子は、
鉄に改めましたが、必要なかったでしょうかね。


2006年05月14日(Sun)▲ページの先頭へ
中学生の時に倉庫を造りました。

栂の木の香り

今日栂の木の加工をしました。
木の香りが出てきて、
私中学3年の時が思い出されました。
中学校の3年の冬に、
母は、突然空き地に貸倉庫を建てると言い出したのです。
その上、母と私で建てると言い出したのです。
高校入試は、兵庫県方式と言って0点でも合格することになっ ていました。
時間があった私と母は、倉庫を建て始めました。
基礎をブロックコンクリートを並べた作りました。
そのあと、栂の木を刻みました。
建て方をして、周りに胴縁を張り、
波鉄板を貼りました。
大きさは、8.1mx5.4mの大きさです。
簡単に書きますとこうですが、
今でしたら、この程度のものならそう時間は、 かからないと思います。
しかし施工する人間が、51歳の母と15歳の中学生です。
それに初めての仕事にで全くの未経験者です。
工事のために、電動鋸と電動ほぞ取り機を買いました。
今でしたら、釘打ち機やスライド鋸自動かんな盤等も使うので
しょう。
でも当時は、ありませんので、本当に大変でした。
普通に考えると大工さんに頼むのが筋なのに、
自分でするなんて節約家なのかもしれません。
でも自分で作ってしまう人も少ないでしょうね。


2006年05月13日(Sat)▲ページの先頭へ
私の自転車

自転車

私の子供の時の自転車は、とても小さいものでした。
子供の時の自転車ですから小さくて当たり前と
思っておられる方も多いと思いでしょう。
私は、幼稚園の時は、背は、中位でした。
でも小学校6年生の時は、165cmぐらいあって学校一番の高い身長です。
(ちなみに高校では、182cmあったんです。
それから、座高が1mあったんです。
初めて高校で1m以上座高があった新記録を
私が樹立したと言っていました。)
そんなに急に高くなった私ですので、
小学校1年から6年まで同じ自転車に乗っていた私は、
最後の方は、極端に小さな自転車の乗っていたことになります。
そろばん教室に自転車で通っていた私は、5年生の秋頃になると
本当に自転車が小さくなったのです。
そろばん教室は、級が上がってくると遅くから始まりますので、
帰りは、7時頃になります。
そんな時間になると向かい風になって帰るのが、
大変です。
昔は、街灯は、ほとんどないし家がほとんどない道は、
真っ暗で怖い。
早く帰りたいのに自転車は、小さくてスピードが出ない。
思いっきり自転車をこいでがんばっていました。

大きな自転車に変えないのは、
やっぱり我が家が倹約家だったからでしょうね。

2006年05月12日(Fri)▲ページの先頭へ
手術してちょうど一年

手術から一年が経過しました。
私は、生まれてからこの方病弱です。
大柄な私は、皆様からそうは、見えないと思いますが
病弱だったんです。
私は、小学生高学年ぐらいの時に大きな病気をしました。
小学校5年生の1月頃私は、突然高熱に見舞われます。
42度近い高熱です。
水銀の体温計の目盛りが42度までしかないのは、
体温が42度以上に上がらない、上がると「死ぬ」と言うこと なのです。
私は、もう意識は、なかったように思います。
母は、どれほど心配したことでしょう。
隣の駅の駅前にある診療所に私を抱いていき、
すぐに入院しました。
それまでも、6歳頃髄膜炎で同じような高熱が、
でて入院したこともあります。
このときの高熱は、1週間ばかり続き、
それ以降血便が長く続きます。
このときより、私は、いわゆる下痢症になってしまいます。
少しのことでおなかを壊し3軒隣のお医者さんへ、
1週間に一回ぐらい通います。
時には、お医者さんに往診していただきます。
そんな病弱な私ですから母の心配は、絶えなかったことでしょ う。

私も、こんな病弱だからきっと長生きは、しないだろうと考え ていました。

53歳まで生きて来た昨年青天の霹靂で、
癌を宣告されていました。
それも相当進行してしていて、末期だと言われてしまいました 。
「もう充分に長生きしたので、これで最期になっても悔いはな い。」
と思いましたが、
「死ぬときは、痛そうー」とも思いました。
事実手術の時は、麻酔が最初効かないし、その上術後痛いの何 のって、
大変でした。
手術でさえ大変なのに死ぬときは、
「もっと大変なのだろ」と素直に思いました。
私の覚悟とは、反対に手術してみたら良好で、
1ヶ月半で腫瘍マーカーが正常値になってしまいました。
おかげさまで命をもう少し頂けた私は、
もうちょっとがんばりたいと思います。

でもおなかを壊すこの体質について只今鋭意研究中です。
皆様ののかにおなかを壊しやすい人が居ましたら、
どの様なもので不調になるかお知らせください。


雨漏りは、いやですね。

雨漏り

昨日の浸水の次は、雨漏りについてお話ししましょう。
今までも雨漏りなんてあり得ないことでは、ありません。
昭和30年始めの頃でしたら、漏って当たり前と思っていました。
少し横降りになると雨が漏ったのです。
雨が降ると、鍋やたらいを並べて水を受けます。
ポタポタと言う音が家中に鳴り響きます。
私は、建築士ですので建築的に言うとこの雨漏りは、
至極当然です。
当時屋根は、屋根下地(竹木舞の時もあるが私の家では、たぶん荒板)
の上に葺き土(壁土のようなもの)を敷いて素焼き瓦を並べたものでした。
瓦は、もちろん重なっていますが、強風が伴うと重なりから逆流したり、
あるいは、瓦がずれたりした隙間から雨水が漏ります。
また漏らなくてもいろいろな理由で瓦の裏面に結露したり、
素焼き瓦を通り抜けたりして、雨水は、家の中へ落ちてきます。
これを防止するため、今では、アスファルトフェルトあるいは、
アスファルトルーフィング等を防湿あるいは、
防滴の目的で敷きこみます。
この様なものがなかった時代は、トントン屋根と言って
檜の薄板を野地板の上に貼ります。

話は、また変わりますが、このトントン屋根をする職人は、
すごい特技を持っています。
口の中に1cmの釘をたくさん含んで、舌で一本ずつ出して
それを左手で取り出し、右手に持った専用の金槌で一回打った後、
2度目で先を曲げます。
その早さがすごくてびっくりする程です。
今は、たっかと呼ばれるホッチキスの親玉みたいなもので打ちますので、
今は、もうそんな技術を持っていても役に立ちません。

倹約家の我が家には、とてもそのようなものをするお金がないので、
トントン屋根のをしませんでした。
そのために持っているのです。当たり前ですよね。
ちなみに当時の我が家は、
建物疎開で得た廃材をもとに私の父が作ったものです。
(建物疎開は、戦時中延焼を防ぐために建物を強制撤去すること。)


とっても困ったことですね。やっぱり貧しいですね。


2006年05月11日(Thu)▲ページの先頭へ
床下浸水

水につかってしまいました。

今は、そんなことは、ありませんが、
昔は、私の家は、床下浸水を度々します。
何しろ家の敷地の高さが、田んぼの高さより30cmぐらいしか高くありません。
前の県道より50cmは低くなっています。
今ならそんな低い敷地は、地上げをするのでしょうが当時は、
トラックで土を運ぶのが大変な上、
土自体が高価なものでした。
今でしたら良質の建築廃土が無料でありますが、
当時は、そんなもの自体ありません。
話は、変わりますが、大正時代に私の家の近くに牽いた阪急電車の土は、
田んぼの土を取ってそこを池にしてしまいました。
昭和45年頃までは、阪急池と称して線路伝沿いにたくさんありました。
そんなこんなですから、倹約家の私の家は、低く、
大雨が降ると床下浸水となります。
一年に何回もです。
でも今と違って、浸水する水は、泥水では、なかったように記憶しています。
もちろんトイレの「何」も混ざってしまうかもしれませんが、
当時は、人口が希薄な村ですから、
そんな心配は、少なかったようです。
私は、家の中の水たまりを上から見ていましたが、
母は、大変でしたでしょうね。
いつもいつもお母さんごめんなさい。

こんな家は、昭和35年に建て替えられて高い敷地になりました。
今は、一階が駐車場になっていて3mの水が来ても大丈夫となっていますが、
浸水のない町を行政が押し進めていただいた関係で、
そんな低地でも浸水することは、ありません。
公共投資は、ある程度必要かもしれませんね。


2006年05月10日(Wed)▲ページの先頭へ
窓が小さな電話ボックス

昔の電話ボックスを覚えていますか。

今は、電話ボックスを探すのも大変になっていましたが、
昭和30年代の電話ボックスを覚えておられるでしょうか。
私の住む”村”には、今は、
バス停の隣に全面ガラスで出来た電話ボックスがありますが、
昭和30年代には、ありませんでした。
たばこ屋に赤電話がありましたから、そこからかけたものです。
話は、少し変わりますが、
鉄腕アトムの実写版がテレビで放送されていたのを
覚えておられる方もおられるでしょう。
そのテレビの中に電話ボックスがでてきました。
クリーム色の鉄板製で、窓が四方に空いています。
確か屋根が赤くなっていたように覚えています。
それを見た私は、「ホー、都会には、あんな電話機があるのか」
と思ったものです。
それからわずかの時間が経ったある日、
小学校までの道の途中の県営住宅の入り口に同じ電話ボックスが出来ました。
「ホー、ここも都会になったのか」と感じました。
でもそんな電話ボックスも確か私が高校に行く頃には、
ガラス張りの電話ボックスにに代わりその後なくなってしまいました。
話によると、昔の電話ボックスは、よからぬ人たちが、
中で用を足すのでよろしくないと言うことらしいです。
住みません卑近な話で、、、
昔も今も困った人は、いるものですね。


2006年05月09日(Tue)▲ページの先頭へ
昭和30年代の道路続き

かまぼこ道路のつづき

昔の道路って今考えると
夏になるとなんか変と思いませんか。
どう変かと言うと
夏になると道路がべたべたするんです。
ご存じない方は、ご存じないと思いますが、
真夏道路は、部分的にアスファルトが熔けて
黒いべたべたしたものができます。
このべたべたは、アスファルトですから靴につくとなかなかとれない。
服に付くと絶対とれない。

困ったものですね。
こんな暑い夏には、県が車で砂をまきに来ます。
熔けたアスファルトに砂がまぶされて
ぺちゃと付かないようになります。
「へー! そんなことないやろー!」とつっこむ方も
おられると思いますが事実です。

やっぱり節約もここまで来ると今思うと
「貧乏ーくさー」と思いますよね。
今は、道路にタイルを貼る時代ですが、
それは、やりすぎだと思いますが、、、、

中庸は、ないのでしょうかね。


アスカルの童話

昔々、あるところにおじいさんと、愛犬のアスカルがいました。
アスカルは、とても可愛い犬でしたが、高いところは、嫌いでした。
人間で言えば高所恐怖症、
何ですが、、、

おじいさんの家には、ロフトがありました。
おじいさんは、ロフトが子供の時から好きで、
ロフトにいつも上がっていました。

アスカルは、いつも下から見上げるだけでした。
ある時、アスカルは、
「おじいさん、いつもロフトで何をしているのですか。」
と尋ねました。
おじいさんは、
「アスカルも上がればいいのに、、、」
と答えました。
「怖いー」とアスカルは、言いました。

アスカルは、ロフトって何だろうと、
ヤフーで検索しました。
そしたら、「ロフト」(有名な雑貨屋さん)がでました。
そうか、上に雑貨屋さんがあるんだ。
どんな物があるのかな。と不思議に上を見ていました。

ある時おじいさんが、ロフトに上がるのを見て、もう無性に上がりたくなりました。
「おじいさん、ぼく上に上がりたいんだ。お願いだから抱いて連れって。」
とアスカルは、例の懇願するような顔でたのみました。

おじいさんは、アスカルにたのまれると断れないので、重いアスカルを持ってロフトに上がりました。
「アスカル上がったよ。ここがロフトだよ。」といいました。
アスカルは、高いところは、恐いので目をつむっていました。
そーと目を開けてあたりをアスカルは、見ました。
「あれ!雑貨屋さん何かないじゃないの。
あるのは、パソコンと本がたくさんあるだけ。
そんなに珍しいものもないのに何故おじいさんは、ロフトが好きなんだろー」
と考え込みました。
おじいさんの隣で伏せておじいさんを見ました。
おじいさんは、楽しいそうです。
そんなおじいさんを見ていたアスカルも
なんだか楽しくなっていました。
アスカルは、何故かふるさとに帰ったような
不思議な感覚に襲われたのです。
「これは、どうしたことか。
何故だろう、、、
何か不思議な感覚だ。」
と心の中で考え込みました。
都会育ちのアスカルなのに、
ふるさとに帰ったような、
あるいは、子供の時に兄弟の犬と母犬と一緒にいるような、
感覚です。

アスカルは、その時はっと感じました。
「そうだこのロフト、
犬が本能的に巣を作る時の、
土のくぼみのような、
暖かさがあるんだー!!
それは、このロフト特有の斜めの天井、
少し狭い空間、
そしてロフトに開けられた天窓からの光、
それらが、ぼくの本能の中にある、
巣への郷愁をよびさますのだー!!!」
と、悟ったのです。
そんなことを思いながら、
おじいさんを見ていると、
「おじいさんもきっと本能の中の、
巣を思い出してロフトにいる時は、
たのしくしているのだろう。」
と思いました。

アスカルは、安心しきった様子で、
おじいさんの隣に寝ていました。
アスカルがそんなことを悟ったとは、知らないおじいさんは、
とても満足そうなアスカルを見て、安心しました。


2006年05月08日(Mon)▲ページの先頭へ
昭和30年代の道路

かまぼこ道路

昔の道は、かまぼこ道路と言われていましたね。
かまぼこのように真ん中が妙に高くて、
端が急傾斜になっているのです。

前にも言いましたが私の家の前は、
私の家の敷地より50cmほど高くなった道になっています。
道は、江戸時代いやもっと前からの幹線道路で
ありまみちー有馬街道ーと呼ばれていました。
昭和の30年代の頃は県道になっていて、付近では、
一番早くアスファルト舗装がされました。
土木的に言えば、
路床がしっかりしていなくかつ当時のアスファルトコンクリート
(アスファルト舗装をする砕石とアスファルトを混ぜたもの。
冷やすと固まる。)
が粗悪でかつ締め堅めが不十分なため当時のアスファルト舗装は、
すぐ穴が空きました。
そのためその上にアスファルト舗装をします。
今でしたら、古いアスファルト舗装をめくるか、
あるいは、削り取ってからアスファルト舗装をするのですが、
手っ取り早くその上にします。
お金を節約するためにも、そうするのだと思います。
そんなこんな理由で、かまぼこ道路になるのです。

こんな道ですので道路の端は、歩けません。
道路の幅は、6m近くありますが、
実際使えるのは、5mぐらいしかありません。
前からバスが来ると注意しなければなりません。

昔って道路行政も貧しかったんですね。
私の家が倹約家であった理由もうなずけますね。



2006年05月07日(Sun)▲ページの先頭へ
ひえ取り

昨日に続いて稗取りについてお話しします。
稗(ひえ)は、雑穀の一種であることを皆様ご存じだと思います。
実がなると稲と稗は、はっきりとわかりますが、
若葉の頃は、わかりにくいです。
母の話によると稗は、
葉っぱの中央に筋があり稲と見分けがつくそうです。
しかしまだ小さいときには、
そのすじは、少しでとても見分けるのは、困難です。
母は、町育ちで稗取りなどしたことがありませんでしたから、
最初稗取りをしたときには、
間違って稲を引っこ抜いて問題になったと述懐していました。
何事も奥が深いですね。
稗取りをする理由は、
収穫の時に稗が混入して困ると言うよりも、
稗の方が成長が早いのでお米の収量に
少なからず影響するだろうということです。
少しでも収入を上げるために労を惜しまなかった昔ですね。
と言うよりぎりぎりのところで生活していたのかもしれません。
本当にありがとうございます。


2006年05月06日(Sat)▲ページの先頭へ
草取り

昨日田植えの話をしましたが、
田植の時には、次のこともしなければなりません。
草取り、稗取り、水の管理です。
草取りは、一番大変な田んぼの作業です。
当時の道具は、名前をどういうのか定かには、
覚えていませんが、”○○式草取り機”とか言ったように思います。
どんな機械かというと、
鉄の板でできた平たいとがった板が回りについた車輪が
二つ付いています。
それを押すことができるように棒が付いていて
取っ手が付いています。
これを稲の苗の間を押して行きます。
そうすると車輪に付いている板が田んぼの泥に刺さって、
かき回されます。
それで、その当たりにある草が引っこ抜かかれると言う原理です。
簡単な機械ですがとても便利な機械です。
では、この機械がないとどうするかというと、
手で水のたまった田んぼを”なでる”のです。
この作業の名前を”手なで”と聞いたような気がします。
腰を曲げてする大変な仕事です。
草取りは、暑いときにするとても大変な仕事です。
私は、したことはありません。お母さんごめんなさい。


2006年05月05日(Fri)▲ページの先頭へ
田植えの時期ですね

皆様の所の近くに田んぼは、ありませんでしょうか。
ゴールデンウイークですので、今、田植えの時期でしょうね。
私の住んでいるところは、
すっかり田んぼがなくなってしまって
田んぼのある風景が見られなくなってしまいました。
私の住んでいる”村”は、昔は、
6月下旬頃田植えの季節でした。
機械がありませんのでもちろん田植えは、手作業です。
記憶が間違っていたらすみませんが、
おおむね次のような順序です。
牛に鋤をを引かしてまず田おこしをします。
その後川をせき止め水を田んぼに入れます。
板を牛に引かして”のしろ”を作ります。
その前に鍬で田んぼの畦作りをしなければなりません。
これは、
低い方の田んぼや川に水が落ちないようにするためです。
稲の苗を”苗取り”と言って取ります。
その後田植えです。
水が回ってくるのが順番ですので、
私の住んでいる”村”は、6月下旬頃です。
”早苗”さんと呼ばれる人を雇って田植えをします。
日が昇ると同時に仕事を始めて日没までします。
私は、一度も田植えをしたことがありませんが、
中腰でする田植えの動作は、とっても大変なことだとは、
予想がつきます。
6月下旬と言えば暑くなってくる頃で仕事は、
過酷の限りでしょう。
そんな今では、
想像もできない仕事をしている父母や兄の姿を見ていたのに
私は、楽しい思いでしかありません。
今考えると涙が出そうな大変なことなのに、、、



2006年05月04日(Thu)▲ページの先頭へ
べいごま、べったん

べいごま、べったん、駄菓子を皆様は、懐かしく思われますか。
昭和30年代に子供時代を過ごした方々の多くは、
懐かしく思われる方も多いと思います。
でも、私は、べいごま、べったん(めんこの方言)駄菓子を
懐かしく思いません。
と言うかこれらについての思い出がありません。
私の子供時代にそれらで遊んだり、
食べたりした思い出がありません。
前も言いましたが、私の家は、農家です。
もっとはっきり言えば、水飲み百姓です。
限られた食料品は、ありますが、
現金収入は、ほとんどありません。
それにも関わらず資本主義の社会ですから、 現金がなしには、生活や農業自体ができません。
子供の私にお金が回ってくる余地は、全くありません。
私の住んでいた”村”の子供達についても同様です。
当時そのようなものあること自体知りませんでした。
その時は、それで充分だったのです。
貧しかったけど楽しかった思い出ですね。


昭和30年代始めの頃の道

昭和30年代初めの頃
私は、幼稚園から小学校に行っていた頃です。
幼稚園までは、1kmぐらいありました。
私の家の前の道は、県道でその昔は、
大阪から有馬へ向かう道
(有馬道;ありまみち)でした。
昔から幹線道路だったのですが、
道は右に左に理由もなしに田んぼの中を曲がっているのです。
何もない平地の田んぼですから真っ直ぐに道を
つけることもできるだろうに曲がっているのです。
道の横をまたの機会にお話ししますが、
有名な大井(おおゆ)の農業用灌漑水路が流れていました。
道路は、地道(舗装されていない道)でした。
時々タイヤローダーと呼ばれる道路を平らにする機械が
やって来て平らにしていただけますが、
普通は、穴ぼこだらけで、
雨の日なんか水た まりになってすごく大変です。
風のある日も土が舞い上がって大変です。
夏の日には、散水車が水をまいていきますが、
すぐ乾いてしまいます。
そんな道を元気に(??? 私は、病気がちでしたので、
あまり、、、)登園してました。
もうひとつだけお話しすると、
県道は、狭いのにバスが通ります。
その上道は、理由もなしに右に左に曲がっているので、
前からバスが来ると横によけなければないません。
不用意に川の方によけたため、
いわゆる外輪差で私は、川に突き落とされ、
濡れて家に帰ったことが一度だけあります。
でも楽しかったあのころですね。